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風は西から

20240509

二人でいられれば行き先などどこでもかまわないのだった。

食べものがどれだけ人を幸福にするか、どんなに人生を変える可能性に満ちているかについて、今から思えば面映ゆいほど熱く語り合ったのを覚えている。

自分の母親に対して優しい物言いをする彼を、やっぱりとてもいいと思った。友人たちの中には、男が母親を大事にするのをマザコンなどと決めつけて嫌がる者もいるけれど、そんなふうに感じたことがない。自分を産んでくれた女性を大事にできない男に、自分のパートナーとなる女性や、一緒につくる家族を大事にできるはずがない、と思うからだ。

美味しいものは、人を幸せにする。

私だって、そんなふうな箇条書きで好きになったわけじゃないよ。条件並べて誰かと比べたことなんか一度もない。だからこその「いちばん」なんだよ。

想いが募ると、言葉はどこまでも単純になるのだと知った。心に追いつける言葉など無い。だからこそ、ひとは抱き合う。言葉では伝えられないものを手渡すにはもう、その方法しか残されていないから。

逢えなかった間のことより、今の私を知ってよ。

どんなに好き合っていても、二人は別々の人間なのだ。

失うものなんか何もない。一番大事なものは、既に失ってしまったのだから。

もう一度、彼と見たかった。そう思わないものなど、この世にひとつもない。目にするものだけではなく、何を聞いても、何を味わっても、二度と再び彼と分かち合うことはできないのだという絶望を積み上げてゆく。今は少しずつそれにも慣れてきている。慣れてしまうことがまるで彼への裏切りのようにも思えて哀しい。

いま笑えるようになったのは、何より、時間の経過が大きく作用しているに違いなかった。時の流れというのは優しく、かつ残酷なものだ。都合よく辛い記憶だけを忘れることはできない。覚えておきたい記憶もまた、必死につかもうとしていても、だんだん手の中からこぼれ落ちてゆく。

もう、二年以上になるのか彼を喪ってから。
いつのまにか、などとは思えなかった。そんなに簡単に過ぎた日々ではない。最初の頃は時間の流れとともに心が凍り付いてしまっていたし、最愛の人の死という直接的な痛みが、ようやくいくらか薄れてからは、彼のいないこの世界で生きてゆくのに必死だった。
また一日とやり過ごして一週間になり、それを四度積み重ねてひと月を生き延びた。
彼のいない夏が二度巡っては過ぎてゆき、今また秋が来ようとしている。

生きている者は、明日をまた無事に迎えるために、まずは今日という日をよく生きなくてはならないのだ。 











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