Juneh

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風に学ぶ、船暮らし。海暮らし。 思ったこと感じたことのかけらたち。 ⚪︎セーリングリトリートツアーお問い合わせは  Insta @La_wacca or @junehh_ へ⚪︎

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    詩、文章、何気無いことばたち。

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    帆船の軌跡。旅路。

最近の記事

フードロス 飽食と飢餓

4/1の朝、このニュースの記事を見て、考えさせられた。 食べものが、スーパーで売られていたり、カフェやレストランがたくさんあったり、あらゆるところに溢れていて、「飽食」という言葉をよく聴くようになった。食べものが、飽和している状態。有り余っている状況ということ。 足りないよりは、余ったほうがいい。 たくさん作って、売れれば、それだけ利益が出る。という利益を求めた大量生産。 そんな考えがあって、作られた状況なのかなあ、と思う。 一時期ホテルで食器洗いの仕事をしていたことも

    • 雪国への旅

       2年ぶりにラワッカ(ヨット)を離れた。  2年ぶりに長野の雪山の麓の村、野沢温泉に来ている。  改めて私は旅が好きなんだなあと思う。  近すぎると、のめり込み過ぎてしまって、全体をよく見渡せなくなる。リフレッシュだと思って久しぶりに来た慣れ親しんだお山は、わたしの心の風通しをよくしてくれている。  澄んだ冷たい空気がきもちいい。  新しい出会いが刺激的だ。  2年間ヨットであれこれ考えていたことが、ここに来てすーっと流れていった気がする。  2年前までは毎冬通っていた

      • 船出

        遠ざかる街の明かり 行先は水平線の闇の向こう 海とわたしだけの時間。優しい風が吹いていた。船が水を走る音が、微かに聞こえる。風と共にうねりが船に押し寄せる。それは湾の終わりを意味していた。 月が静寂とともに海面で踊る。船がかき分ける水面とともに、また月も大きく躍った。 月明かりに照らされたセイルは、力無く孕む。その向こうに見えた星空は、わたしにとって、揺るぎなく見えて、それは果てしなさへと続いていくのを感じた。 それは地球起源以来、静かに刻まれているものなのかもしれない

        • 食べること

           彼は目を閉じて、ゆっくりと咀嚼を始めた。優しい仕草だと、思った。  「味わう」という、この光景は、わたしが三年前に見たものだ。  長野の山奥で、自給自足を営むお百姓さんのお手伝いをしていたとき。彼も、わたしと同じ志で、その場所にやってきた、きれいな顔立ちをした男の人だった。  なんて美味しそうにご飯を食べるのだろうと、感激したのを今でも覚えている。その仕草は今でも優しく瞼の裏に残っている。彼の一連の仕草は、”今”を心から楽しんでいるものだと思った。  その時、わたしも

        フードロス 飽食と飢餓

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        記事

          「わたし」という地球の細胞

           地球で生きる生命って、わたしたちの体の中で生きる細胞みたいなものかもな、て考えてみるとおもしろい。  死生観とか違うアングルで考えられる。細胞も思考も感情も日々生まれて死んで、また生まれる。  それはまるで輪廻転生。  わたしの身体の内側から、細胞たちが元気モリモリ楽しそうに心地よくしてたら「わたし」っていう意識はすごく嬉しい。  「わたし」の外側にもそれは現れてくる。肌が綺麗になったり、髪艶が出てきたり、目が輝いたり。  それを地球に置き換えても、同じなんじゃないか

          「わたし」という地球の細胞

          呼吸する

          ゆびさきを合わせる 足の裏で流れるものをとらえる 心に流れ込むものの正体 身体をめぐりてまわる 呼吸する わたしたちは宇宙だ 臍の緒から吹き込まれた命を繋ぐ 母の名残が臍にある へそのあなの隣のちいさなほくろ あの日 あなたを選んだことは なんと意味付けするのだろう わたしの臍もいつか誰かに繋がるのか 生命は星だ まぶたの裏に抱えたものを いつも見ようと 試みて 涙が邪魔して覗けない裏側を あなたは見てくれるのだろうか 救ってくれるのだろうか 触れてくれるのだろうか

          呼吸する

          As it is。今年最後の満月。

           昇り初めは雲に隠れていたお月様も、今年最後の燦々と光り輝く太陽の光を浴びてとても力強く慎ましく輝いています。  大切な石たちを月に当てて浄化の最中、満月をじいと見ていたときに浮かんできたワードのシェアです。 「As it is」「そのまま」 日々起こる出来事の奥底で安心すること。大安心の航海中である私たちに起こるすべての出来事は、用意され、乗り越えることにより、昇華されていく。 やることはシンプル 「自分らしくあること」「すきなことをする」 自分らしく、好きなことをして

          As it is。今年最後の満月。

          ひかりの粒

          影があるから光がある 闇があるから光がある  静と動、男と女、月と太陽、すべては対になっていて陰と陽の世界だなぁとよく思う。それは二元論という話ではなく。陰の中に陽もいる。すべては対の存在があるからこそその存在が浮き出てくる。おかげさまの関係性。  光のおかげさま。かげのおひかりさま。  人にはそれぞれ振れ幅があるのではないかなと思う。光を強く放てる人ほど闇が深い。でも生を重ねるうちに、その振れ幅をいかにニュートラルにキープするか、というのは大事になってくるのではない

          ひかりの粒

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          愛する帆船からの景色。

          愛する帆船からの景色。

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          奄美から沖縄へと渡ったあの日

           2020年12月21日。忘れもしない。その日は冬至だった。  奄美大島海峡でセーリングの練習を1ヶ月ほどしていたわたしは、ヨットの師匠、りゅうちゃんの後を追いかけて、沖縄へと南下する決心をした。12月、南にある奄美といえど、とても寒い日々が続いていた。  まだ夜が明けないうちに、りゅうちゃんがわたしの船をノックする。「行こうか」緊張で寝付けなかった前の夜だったが、すぐに飛び起きた。朝の3時、4時ごろだったと思う。  暗い中、慣れた港を出港。大島海峡内でメインの帆を上げ

          奄美から沖縄へと渡ったあの日

          海の上で暮らす。

           わたしたちが今、生きている、まあるい水の星、地球でのおはなし。  日本列島の南の島、奄美大島でわたしは帆船、ヨットで暮らしている。  帆船に出会って、恋をして、もうすぐ2年が経つ。今乗っている船、名前は、La wacca 7mほどの大きさの船。このおふねのおうちと出会ってもうすぐ1年。船暮らしを始めて、半年近く経つ。  まともに陸で一人暮らしもしたことのないわたしの、はじめての一人暮らしの場。愛おしい小さなおふねのおうち。海は、常に学びの場であり、感動の場であり、心安

          海の上で暮らす。

          日没

          じい、っと太陽を見つめていると それは明らかに変化した 青から赤へ 燃えていると思ったら静かになる 光に包まれたと思うと 今度は甘く桃色にゆらめく 太陽はじいっとわたしを見ていた わたしはじいっと見つめ返す わたしと太陽だけの空間 そこから蜘蛛の巣が広がっている どこまでも 木の根のように 毛細血管 ふ、と、目を閉じると 瞼の裏でも 太陽は細胞と踊る 青から赤へ 光から闇へ 森から海へ わたしは心にも太陽があるのだと知る 自分の体さえも宇宙

          太陽をつかめ

          【サンキャッチャー】 日照時間の短い北欧などで、少ない太陽が顔を出す時間、サンキャッチャーを窓辺に飾り、部屋に光を入れて華やかにするためのインテリア。 ---- お母さんが趣味でたくさん作っていて ローカルマーケットなんかに出してるんだけどネットでも販売できたらなぁと思考中。 note、まだフォロワーは全然いないけどそういう販売品の場にもしていけたらな。 サンキャッチャー ¥1000〜 up to youでやりたいと思っています。 品物が沖縄にあり、わたし自身

          太陽をつかめ

          上善如水

          水のようになりたいと、強く思う。 " 上善水の如し "--最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。-- わたしがとてもすきな老子の言葉。 弱くても強くてもどちらでも良い 上も下もなく 右も左もない 争わずに心を平和にニュートラルに保つこと わたしを心から求めてくれる人、 出会う人の心を潤すような行いをする。 透明でも濁っていても良い。

          上善如水

          過去のわたしより

          連なる山々の影は、美しく、はかなく、遠く。すべてが違う色で、すべてが違う形。 わたしにはなにができるだろう わたしはなにを考えているんだろう わたしはなにを考えているようにみえる? あまりにも気にしすぎた他人の目線だと思っていたものは、わたし自身がわたしを見る目であって、誰1人としてわたしのことを気にしちゃあいない。冷静に考えるとそうだ。わたしはこんなにわたしのことで精一杯になっている。隣の誰かのことを考えただろうか。考えても数秒だ。わたしはあまりにもわたしを俯瞰しす

          過去のわたしより

          わたしのなかの自然

          わたしにとって自然とはなんなのだろう。 自然と向き合えば向き合うほど、人はそれを考えるようになってくるのではないかと思う。わたしはまだ未熟者で考え始めたばかり。答えはわかっていない。答えがわかる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。なにかしらをずっと大いなる自然の中で、手探りで探しているような感覚だ。言葉にはし難いなにか秘めた力がある。 わたしが自然と遊ぶようになったのは、長野県野沢温泉スキー場で初めて雪山で働いたときだった。南の島で生まれたわたしにとって、雪景色なん

          わたしのなかの自然