上善如水
水のようになりたいと、強く思う。
" 上善水の如し "
--最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。--
わたしがとてもすきな老子の言葉。
弱くても強くてもどちらでも良い
上も下もなく
右も左もない
争わずに心を平和にニュートラルに保つこと
わたしを心から求めてくれる人、
出会う人の心を潤すような行いをする。
透明でも濁っていても良い。
わたしは何色でもない。
殺めるなどして誰かを悲しませることはしなくて良い
そこに在る そこに流れる
まるで湧水のような、
海のような、川のような。
いのちを左右しなくて良いのです
あなたが生きているという事実を、心から感じることができれば。
生きることに、長いも短いも無いと思うんです
時間は誰かが決めた概念のひとつにすぎないと思うから
わたしといることによって、
「あぁ、心が戻ってきた」
「あなたと居るとニュートラルに戻れる」
「笑っていられる」
そう言われる存在でありたい。
そう思い出させる存在でありたい。
誰かがわたしで優しい気持ちになれたら良い
例え触れあった一瞬だけでも。見つめ合った数秒だけでも。
わたしは水のようになりたい
水のように生きたい
水とともに生きたい
わたしは水になって、あなたの喉を潤し、身体を満たし、心に流れたい。やわらかな風があなたの頬を撫でたとき、わたしの心は歓喜に満ち溢れると良いなと思います。
まあるい水の玉に生きている
体の7割が水の宇宙である、いのち
優しく、すくって、触れて、浴びてください
誰もが愛の源に気づきますように。
わたしたちは、もうすでに、許されているし、愛されている、満たされたいる。
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