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継続は力なり?〜日記を365日欠かさず書き続けて思ったこと

日記をつけてる人の割合ってどれくらいなのでしょう?
自分の周りの人にあまり直接聞いたことはありませんが、稀に話題にでたとしてもそんなに食いついてくるひとはいないので、どちらかというと少数派な気がしています。

こんな疑問が湧いた時はgoogle先生や!と早速検索をかけたところ、以下のようなアンケート結果を発見。信憑性は謎ですが、男性だと大体20%くらいだそう。


自分の日記遍歴を辿ると、小学校から高校の時は全くといっていいほど何もせず、大学に入ったあたりから、毎日ではないですが大学ノートに日記ぽいものを書くようになりました。で、社会人になってからも手帳に簡単にメモ程度に書いていた、という流れ。
で、1年ほど前なにかの本を読んだのをキッカケに5年日記なるものを買い、昨日、めでたく(?)日記継続丸1年を迎えました。

当初、継続できるか疑問もありましたが、習慣化してしまうと「今日書かないと継続記録が途切れるぞ」という気持ちも生まれ、数ヶ月経った頃からは逆に書かなきゃ気持ち悪いという状態になり、無事1年の継続達成といった顛末です。

そもそも5年日記ってなんぞや?

ノートの1ページが5分割されたものが365ページあり、それが1冊に綴じられているもの。書くページにはあらかじめ日付のみが印字されていて、年と曜日は毎日自分で記載していきます。
その5分割されたスペースに、一年目は1段目、二年目は2段目と毎年記載していくので、二年目に日記を書く時には一年前のちょうど同じに日の日記の内容が確認できます。
ちなみに1日の記載量は5行程度。イベントや思ったことが多ければ少ないかなと思う時もありますが、そんなことは滅多にないので、書くのに負担にならず、それといって少なすぎない、絶妙な量かと思います。

過去の日記を読み返すのは意外と面白い

エビングハウスの忘却曲線云々を言うまでもなく、人間、忘れていく生き物。
良かったこと、悪かったこと、不安で夜も眠れぬ夜、達成感でアドレナリンがドバドバ出た体験、大失敗をしでかして反省したこと。
全部鮮明に記憶していたらそれはそれで生きづらいと思いますが、より濃密に生きることと感情が大きく揺さぶられる体験の多さと繋がる部分があるとすると、何かをきっかけに過去の体験を反芻するのも意味のあることなのだと思います。
これは一生忘れないだろう、とそのとき思っても結構忘れてしまったりしますからね・・・。自省。
といういう意味で、日記は未来の自分へ向けた記憶装置という役割もあるなと思っています。

ちなみに、1年前の自分は社会人ドクターで論文を提出し終わって達成感に満ち溢れていたようです。
過去の自分よ、気分良くなってるかもしれんが、結局学位をとってもそんなに人生変わらんぞ!w

日記をつける意味合い

そんなこんなで1年間とぎれることなく日記を継続してきました。
記憶装置としての意味合いもありますが、それ以上に日々の体験と自分の考えを言語化することのほうが大事だなと思いました。

荒木さんの書かれた本書がうまく言語化してくれているのですが、自分の体験を解像度低いままにしてしまうと、(それが悪いわけではないのですが)嬉しい・楽しい・悲しいといった雑な感情体験で終わってしまいます。
何か学習の機会が与えられたとして、感想が「勉強になりました」「ためになりました」では、将来、何一つ変わらない可能性が高い。
勉強になりました、なんて、むしろその機会を体験する前から準備できる感想ですからね。

負荷はかかりますが、何かを経験・体験した時に一歩踏み込んで具体的にする。
その作業が成長のスピードを早めてくれるのだろうなと日々感じているところです。

デジタルでもアナログでも良いと思います。
5年日記、みなさんもぜひ始めてみてはいかがでしょうか?

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