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『ハイキュー!!』はなぜこんなにも人を魅了するのか

※原作最終巻の内容も含めた記事となります。
未読の方はご注意ください。

ハイキュー!!は古舘春一先生が原作の、週刊少年ジャンプで2012年12号から2020年33・34合併号まで8年半連載された作品。

簡単なあらすじを紹介すると、
体格的・環境的に恵まれず中学最初で最後の大会に出場し、天才セッターの影山飛雄のチームに負けた日向翔陽が主人公である。日向は高校で影山に再会し、そこから独りでは見ることのできない「頂の景色」を見るために努力をしていく物語である。

2020年11月4日発売のコミックス最終45巻をもって、シリーズ累計発行部数5000万部を突破するほどの人気ぶりだ。
また、2020年現在「ハイキュー!!展」となる原画展が連載終了を記念して仙台で開催され、今後東京や名古屋でも開催される予定である。その他舞台やアニメ化もされておりハイキュー!!の魅力は様々な形で広がっている。

日頃あまり少年漫画を読まない人でも、バレー未経験者でも、男性でも女性でも、学生でも会社員でも、人々を引きつけ、連載が終了した今でもファンが多い。
なぜこんなに面白いのか。なぜこんなにハマってしまうのか。なぜこんなに人気なのか。
その魅力を自分なりに考えてみた。以下、一つずつ詳細に紹介していく。

① 負けと挑戦
② 誰しもが主人公
③ 「繋ぐ」の表現
④ 正解はひとつではない
⑤ 胸に刺さるもの

① 負けと挑戦
これは私がこの作品の最たる特徴であると考えるものだ。
「友情・努力・勝利」を三大原則とする週刊少年ジャンプはもちろん、漫画の世界ではもちろん勝利はよく描かれる。

しかしハイキュー!!はそうではない。インターハイ予選では決勝で青葉城西に敗北するし、春高では決勝でも準決勝でもなく準々決勝で敗北する。日向が入学する烏野高校のバレー部も「落ちた強豪・飛べないカラス」と揶揄されている。
試合だけでなく、多くの場面で負けが描かれている。それも日向翔陽だけでなく、影山も、全国2位のチームも、全国三大スパイカーと呼ばれる選手も、みんな誰しもがどこかで負ける。壁にぶつかる。敗者となる。

ただしこれで終わりではない。敗者となっても、それを受け入れて糧にする。そして常に前を見て先を目指して挑戦するのだ。勝利をゴールにしない。最終回のタイトルは「挑戦者たち」で締めくくられる。話も日向と影山が対戦する場面で終わり、勝負の行方は誰にも分からない。
作中でも「今日敗者の君たちよ 明日は何者になる?」というセリフがあり、負けたから終わりではない。立ち止まらない。諦めない。
日向たちの顧問、武田先生が「負けは弱さの証明ですか?」と言うシーンがあり、これには多くの読者の心を揺さぶっただろう。たとえバレーをしていなくても、皆誰しもこれまでに何かに負けた経験はあるだろう。上手くいかなかった経験はあるだろう。悔しかった経験はあるだろう。
そんな過去を救うかのような描写があることがこの作品の特徴であり魅力である。


② 誰しもが主人公
最初にあらすじで日向が主人公としたが、正確に言うならば、日向を軸として彼の視点を中心に進んでいく話とするべきだろう。
当たり前だが、一人一人これまで育ってきた環境も違えば思考もやりたいことも違う。そしてこの作品においてはモブというキャラクターはいないに等しいと感じる。どのキャラクターも作品の中で悩みつまずき喜び考える。個性がある。そのキャラクターそれぞれに共感できる箇所がある。

私が最初に泣き、作品により引き込まれたのは40話。IH予選で烏野と当たり敗戦した池尻、烏野高校女子バレー部員で同様に試合に負けた道宮の「俺たちもやったよ バレーボールやってたよ」というセリフである。(ダメだ……書いているだけで泣きそう。)
通常の漫画やフィクションであれば主人公たちを引き立たせるモブであり、ただの1キャラクターで終わるだろう。しかし、そんな彼らにもスポットを当ててその心情を描くのがこの作品。これまで、スポーツはもちろん何かに挑戦し敗れた人は思わず共感せずにはいられない。

そしてこの作品では烏野高校排球部のだけでなく多くの対戦高校があり、それぞれのチームメイトがいる。その登場人物の性格が誰一人として同じではない。伊達工業・青葉城西・白鳥沢・梟谷・音駒・稲荷崎・鴎台のような対戦したチームのキャラだけに止まらず、烏野高校は対戦していない戸美学園・井闥山学院・狢坂高校のキャラにもきちんとスポットが当たる。バレーをしている。人生がある。
私たちが生きている現実社会では当然の、主人公でありその他一般である“個人”がしっかりと形づけられ色付けられている。

このように、対戦相手も、チームメイトも、マネージャーも監督もコーチもかつてバレーをしていた人もそれを見守る家族も友人も、皆誰しもがその世界で精一杯に生きていて、一人一人どう考え何を感じているのか語られる。
それがまた読者を引きつけるのである。


③ 「繋ぐ」の表現
これはバレーボールのコンセプトであり作品中でも大切にされてきたキーワードである。排球という競技を一言で表すのなら正に繋ぐ競技である。人を繋ぎ思いを繋ぎボールを繋ぐ。これが作品でも忘れられず丁寧に描かれている。

ボールを繋がなければそこでバレーは終わってしまう。そしてボールを繋ぐことは一人では決して出来ない。仲間が必要なのである。

日向はそれを理解しており、「独りでは決して見ることのできない頂の景色」と言っている。そしてチームメイトの存在や指導してくれる監督やコーチ、刺激を与える対戦相手との縁を大切にしながら成長していく。彼が高校卒業後ブラジルへビーチバレーの修行をする際には、かつての対戦高校の監督である鷲匠監督にお世話になった。

日向の相棒でありライバルである影山も繋ぐことの大切さを知った。彼は中学時代圧倒的なセンスとバレーボールへの熱意からチームメイトに見放されトラウマを持っていたこともあった。しかし烏野高校で日向や先輩セッターの菅原を始め多くの人々に出会い、少しずつ変わり乗り越えていく。自分一人で勝てると言っていた彼が、春高で敗戦した際にはもっとこのチームでやりたかったと言い、最終的にはスパイカー達は最高のトスを待っていると言うようになる。

そして繋ぐと言えば忘れてはいけないのが音駒高校。東京の高校で烏野高校とは長年の因縁をもつ。そんな高校の横断幕でありコンセプトがこの「繋ぐ」で試合前に「俺たちは血液だ」から始まる言葉で士気をあげる。そのキャプテンが黒尾鉄朗である。
この音駒高校の監督である猫又監督に幼い頃に出会い、ネットを低くしてバレーボールの楽しさに一段ハマった気持ちを決して忘れない。その思いを大切にして、バレーボールの面白さをより世界に広めるため日本バレーボール協会に就職する。たとえバレーをプレーしなくても、魅力を伝えるために別の面から繋がっているのである。

他にも北さん→治(→侑)の話もあるのだが、どんどん長くなってしまうのでこれはまた他の機会で話したい。というか思い入れのあるエピソードがあって書ききれない。


④ 正解はひとつではない
先ほど黒尾がバレーのプレーヤーではなく日本バレーボール協会に就職したように、春高後の様子も紹介されている。クロのようにバレーに携わっている人だけではない。教師や警察官、デザイナー、保育士、葬儀屋、獣医学生、医学生、農家、モデル、ユーチューバー……。
皆それぞれの進路に進んでいる。中には転職を考えているものや大学生で居酒屋バイトをしているものもいる。それは、たとえ熱心に打ち込んだ競技であっても、バレーボールをプレーすることが必ずしも正解でただ一つの道ではないと示していると思う。

そしてこの話をする上で絶対に取り上げるべきエピソードは稲荷崎高校の双子、宮兄弟の喧嘩だろう。高校でバレーを辞めると言った治に怒る侑に対して、治は「何でバレー続けてる方が“成功者”みたいな認識なん?」という。
このセリフを初めて読んだときには頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けた。なぜならこれはバレー漫画だからである。その上でこのセリフである。
そしてこの後治が続けて言う「80歳なった時俺より幸せやって自信もって言えたんなら そん時もっかい俺をバカにせえや」と言うセリフにもまた衝撃を受けた。
夢に向かって道を分かつことは間違いではない。そして決断したところで終わりではない。そこからどう進んでいくのかも重要である。まだまだ道の途中なのである。最後の”結果”として幸せかどうかを問いている。

生きていく上で選択しなければならないことは非常にたくさんある。今日何食べるか、あした何を着るかといった小さいことを始め人生を左右する選択も多くあるだろう。そしてその際に不安なく選ぶことが出来る人ばかりではない。
これが正解なのか、“普通”や“一般”から外れていないか、不安になり心配になることもあるだろう。
しかし、このセリフはそんな自分を肯定してくれる。そして同時に、どんな選択も間違いではないし正解でもない。自分で選んだことを進んでいくことが大切だと諭しているのだと思う。


⑤ 胸に刺さるもの
ハイキューは人生のバイブルだ。心の支えだ。そういう人もいるのではないだろうか。そう思うのは、私自身がそうだからだ。
ある人のセリフ、心情で胸に刺さるものが多い。ハッとし、励まされ、元気が出て、優しさを感じる。

作中で名言といえば烏野高校排球部の顧問である武田一鉄先生が挙がるだろう。
上記にもあげたように「負けは弱さの証明ですか?」の他にも、「遠きに行くは必ず邇きよりす」など多くの名言がある。
もちろん武田先生だけではない。①〜④で紹介してきたセリフやシーンも好きなファンは多いだろう。
他にも「小さい事はバレーボールにおいて不利な要因であっても、不能の要因では無い!」や「負けたくないことに理由っている?」のように自分を叱咤するような言葉。
「才能は開花させるもの  センスは磨くもの」や「思い出なんかいらん全部ここにあんねん」のようにこれからの自分を支える言葉。

また、胸に刺さるのは言葉だけではない。プレーや表情もそうだ。強さに貪欲な牛若が烏野と出会い変わっていく様子、研磨がバレーを楽しいといった瞬間やクロにお礼を言った後のクロの表情。北さんが初めてユニフォームをもらって泣いたシーン。鴎台戦の日向の最後。名言や名シーンを挙げ始めたらキリがないので、残念だがここで止めておく。

これら多くの描写に救われることもあれば、刺激を受けることもある。頑張ろうと思える。これがバイブルであると感じる理由である。

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これまで非常に長くハイキュー!!の魅力について述べてきたが、正直全然語り足りない。一つ一つの話に、一人一人のキャラクターに、面白さが詰まっている。 読みたい/読み返したいと思って頂ければ非常に嬉しい。


最後となりましたが

こんなにワクワクする漫画に出会えたことに、
素晴らしい漫画を描いてくださった古舘先生に、
編集された週刊少年ジャンプに、
その他アニメや舞台、ハイキュー!!展やグッズなどに関わって下さった方々に、
深い感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

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