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キリスト教と仏教、それぞれの救いについて

ここのところ、マザーテレサとか、聖書とか、天国だとか書いていて、、
信心深い人なのかな、と、思われそうだけれども、、、

全然信心深くないです💦 
クリスマス、ケーキを食べるくらい(それはもはや信心ではない、、、)

私が子供の頃、英語を教えてくれた方は、とても信心深い方でしたが、、
( "oh my god!" と言うことすら、冒涜的だからと禁じられた、、)
(その影響で、いまだに十字架をファッション感覚で身につけるのをためらう、、、、)

その後の教育も、流れで、カトリック系だったりプロテスタント系だったりしましたけど、、、

むしろ自分が触れてきたのは、仏教かな、、、

キリストの教えもブッダの教えも、どちらも素晴らしいですよね。
それに、両者が指し示しているものは、究極的には、同じもの。

「個」を超えた存在(神、もしくは全体・唯一なるもの)であり、
色即是空の、空と色の両方であり、
絶対的な愛と平和であり、真理。

そういえば、、、
仏教の浄土真宗って、めちゃキリスト教と似てると思うんだけどな、、、

キリスト教が、「(神を)信じる者は、救われる(天国へ行ける)」と言っているところを、
浄土真宗は、「(阿弥陀如来に)ゆだねれば、救われる(極楽浄土に行ける)」と言っているというか、言い換えているというか。
「(お念仏の「なむあみだぶつ」の意味は、「阿弥陀如来に帰依(明け渡し)します」です)」です)

「神(God) = 阿弥陀如来」 で、
実は、同じものなのですよね、、、
文化が違うから、たまたま当て嵌められた言葉が異なるだけで。

いずれも、その真髄は、
「個」である存在が、「個」を超えた「大いなる何か」に委ねることで、「個」を超えることを示唆しているのでしょう。

そして禅では、逆に、まず徹底的に「個」を観察してゆくことで、「個」が幻想であると知る。

たぶん、イスラム教も、深く深く原点まで見ていくと、同じところにたどり着くよ。

ヒンズー教の流れをくむインド哲学もそう(梵、すなわちブラフマンこそが真理)

同じ真理を、皆が、それぞれの文化の言葉で、指し示しているのだと思う。

ブッダが

「わたしが月を指さすときは、指でなく、月を見なさい。 
言葉(教え)は指にあたり、真理が月だ」

と言っていたのを思い出した、、、、

色んな文化圏で、同じ月を、さし示してくれてきた、指がある。
ばらばらのたくさんの指が、同じ月を、さし示してくれている。

となると、するべきことは、指ではなく、月を見ること。

「へーおかしな形の指がたくさんあるなぁ」って指を調べ始めるのではなく。

思えば、宗教戦争って、ほとんどが、
「あっちの指は、色がおかしいから異端だ」
「あっちの指は、形が変だから間違ってる、認めん!」
って、指について争っているよね、、、、
指し示されている、唯一のもの、月を見ずに、、、、


たぶん、みんな、、、、月に興味がないのでしょう、、、、
仕方ないよね、人間やるのって大変だもの。
地上で精いっぱい人間を生きてる私たち、偉い。

そして、、、もし、、、たまには月でも見てみようかな、って思えたら、
今は、より現代風に、科学的見地から月を示してくれているものもあるので、

(仏教の「阿吽」 は アインシュタインの法則で解くのが最適解)

いいな、と思うポインターを見つけて、
時代を超えて、いにしえより、様々な文化圏の賢人たちによって、引き継がれてきた叡智に触れるのも、
新たな発見につながるかも知れません。

キリストとブッダ http://whocaresaboutanime.com/2016/03/10/saint-young-men/  

心に平和を。

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