クリスマスとおじいちゃん
社会人1年目のクリスマス。
おじいちゃんにクリスマスプレゼントを贈った。
これと同じものだったと思う。
飛行船の金属模型。
おじいちゃんは鉄道模型や帆船模型など自分では作れないけど手先の器用な息子。
僕から見て叔父に作ってもらい飾っていた。
なので、こういうのも好きかと思い、作るのはおじいちゃんと同じ市内に住む叔父に任せてクリスマスプレゼントに贈った。
子供の頃からクリスマスにお小遣いを送ってもらっていたので感謝のつもりで贈ったが、
「これは安くても2~3万はするはず。親父、ユリアンはどえらいもの贈ってきたぞ」
叔父は値段を調べた訳じゃないけど、精巧な作りにそう思ったそうだ。
それを聞いたおじいちゃんからお礼の手紙とともに1万円が送られてきた。
でも、これだと送料入れても収支がプラスになってしまう。
プレゼントしたのにこっちがプラスになっちゃうのは…と、母に相談したが、
「おじいちゃんは値段じゃなくて孫が自分の好みを覚えていてプレゼントしてくれたことが嬉しいのよ。もらっておきなさい」
そう言われたので、ありがたく頂戴した。
おじいちゃんに電話でお礼を言ったら、「手紙にも書いたけどな」と色々、話をされたが問題は手紙。
おじいちゃんの手紙は達筆で出だしの名前以外、ほぼ解読できなかった。
母のとこへ持っていって代読を頼んだが母もすべては解読できなかった。
おじいちゃんはお坊さんで筆で文字を書くことが多い。
とにかく達筆。
巻物に書かれてる文字のような感じ。
さすがにおじいちゃん本人に『手紙、読めませんでした』は言えないので“ 読んだてい ”で話した。
お坊さんであるおじいちゃんにキリスト教の行事であるクリスマスにプレゼントを贈るなんて人によっては怒られるかもしれないけど、
「信じる神様が違っても、その宗教の吉事を祝うことは良いことだ」
小学生の時におじいちゃんに言われた言葉。
日本においてクリスマスは“ 宗教観の乏しい行事 ”という事でわざわざ、目くじらを立てる必要はない。ということらしい。
去年も書いたが、おじいちゃんのこの考え方は良いことだと思う。
吉事である以上、他教徒であっても祝うことは侮辱にはならないだろうし。
こういう考えを持てる人が宗教に携われば宗教上の色々なこと。
揉め事とかが変わるのかも?
クリスマスのたびに思う。
ジュースが飲みたいです('ω')ノ