【自己紹介②】社畜から窓際へ

これで自己紹介は最後です、お付き合いくださいw

どうも。
窓際ジンジ+🏠づくりパートナー(@JTC_Energie)さん / Twitter
です。

これまで、家に関わることを紹介してきましたが、”窓際ジンジ”思考に至るまでを自身の備忘もかねてまとめてみました。
世間は休日のクリスマスイブでにぎわっているかもしれませんが、妻子帰省中の私はこのnoteをしこしこ書いていましたw
お酒のつまみ程度に、ご一読いただけると嬉しいです。

学生時代(「モテたい」は正義)

私は小学校から始めたあるスポーツを大学まで続けたスポーツガチ勢です。
小中学生の時は運動ヒエラルキーの頂点に君臨、その競技で全国大会に出場するチームのレギュラー選手でした。自分でいうのもなんですが、その道で食べていけるのではないか、と思われていたし、内心、親も期待していたと思います。

中学3年の春にはスポーツ推薦で進学先が決まっていましたが、秋の試合中、選手生命を脅かすケガに見舞われ、推薦の話は消失。
いろんな学校をまわって、ビデオを見せてPRしましたが、いつ完治するかも見通せないなか、推薦で獲得の意志を示してくれる学校はありませんでした。

この時は相当やさぐれて、煙草を吸ってみたり、先生に暴言を吐いたり、、完全なる中二病に陥りました。そこからまともな人生に舞い戻れたのは、親父にボッコボコに殴られたから。

人生初の挫折でした。
ただ、今思えば親父の狙いだったのかもしれませんが、親父に勝ちたい!こいつを黙らせるにはどうしたらよいかを考えるようになりました。
力ではかなわないので、違う形でこいつをギャフンと言わせないと気が済まんと奮い立ちます。

やんちゃしていた自分が馬鹿らしくなり、そこから数か月真面目に勉強し公立の進学校に合格。幸い、ケガは1年程度で完治し、その競技の弱小校だったので、スポーツ推薦レベルの実力があった私は無双状態。
最高学年時には、主将も務めます。
体系は筋肉質で細身、身長は175センチ前後、容姿は可もなく不可もなく。控えめにいってクラスの中心的存在でした。

よってそれなりにモテました。

ここからがとても大事です。

以下とても失礼ですが、好意を示してくれる女性はいつもブ〇でした。

悔しいほど〇スからしかモテませんでした。

悔しくて悔しくて、美人にアプローチしますが、玉砕が続きます。

いま、思えば女性の気持ちを全く考えないオ〇ニーアプローチをしていたので、そりゃモテないわwと思えるのですが、当時はこのハイスペ()な自分がなぜモテないのか、全く理解できませんでした。

モテたい、美人からモテたい、そしてヤ〇たい。

その実現に向けて出した結論は、

そうだ、早慶にいこう

でした。早慶にいけばモテるだろう。いや、絶対にモテる。
何かに取り憑かれたかのようにそう自分に言い聞かせていました。

部活を引退後、「そうだ、早慶にいこう」を実現すべく猛勉強します。
夏休みは、睡眠・風呂・食事・予備校への移動を除き毎日最低15時間の勉強を約40日間休みなく続けました。

夏休み前の5月頃に行われた校内模試は学年240人中220位。
夏休み明け、9月に行われた校内模試で学年2位に急浮上します。
220位の時点で、“俺、早慶いくんで”と大見栄を切っていたときに嘲笑っていた先生たちの手のひら返しは今でも忘れられません。
(このとき、周囲に宣言して自身の首を絞める大切さを学びます)

そのまま猛勉強を続け、見事早慶に現役合格。明治や他大学に落ちたりもしましたがw

部活を最後までやりきってから勉強を開始してからの早慶合格はシンデレラストーリーとして語られました。後輩向けにそのノウハウを語る場などが設けられ、偉そうにしゃべったことをこのnoteを書きながら思い出しました。
そのときは、ただただモテたかったから、とは言えませんでしたが。

早慶合格を引っ提げて、久しぶりの同級生との再会。
「お前すごいな~」と声をかけてくれる男の友人はいましたが、美人たちは声をかけてくれません。

なぜ?なぜなんだ?全くの理解不能。
日東駒専すら受からずに“俺浪人w”とか言っているイケメンより俺のほうがよっぽど価値あるのに?お前ら正気か??なんて思考をしていました。
それりゃモテませんよねw

当時は、
“こんな公立高校の狭い世界でモテてもしゃーない”
と無理やり自分を納得させました。

日本の中枢、日本の高校生・同世代であればだれもが知る早慶に行けば、きっとモテるだろうと思い、大学生活に突入するのでした。

いざ大学生活へ

早慶に受かった自分。この時点で自分が偉かったと思うのは、早慶合格はまぐれだと自覚していたこと。明治や他の1大学も不合格でしたから。
地頭がよければそういう結果にはならないでしょうし、もともとIQ的なものは極めて低く、最大瞬間風速的な馬鹿力での合格だったと薄々気づいていました。
そんな自分が大人になっても金や女性に困らない生活を送るためには何が必要を考えました。

そうだ、体育会に入ろう

でした。

自分が活かせるスキルは、プロに入るほどの実力はもうないけど、それなりに高い運動能力。それを活かさない手はないと思い、体育会活動に4年間を捧げます。

ここで最大のミスであり、成果でもあるのはサークル活動というものに触れる機会をもたなかったこと。
ヤ〇サー、テニサーで、どこどこの女子大の子とヤっただの、バイト先のJKとヤっただの羨ま悔しいトピックがどんどん垂れ込まれるなか、何とか踏みとどまります。

こっちもmixi()で繋がった子と合コンしたり、時には致したりもしたけれど。クラブでナンパして、致したりキモいと言われたり。

ヤリティン界隈と比べると全く満足できていませんでしたが、満足する暇がなかったのも事実。授業に週6の部活にバイト。最高学年では副将となり、それもまた忙しさに拍車をかけました。
ただ、副将とは体のいいポジションで主将ほど責任はないけど、肩書があるということで就活では大いに役立ちました。

暇がなかったとはいえ、周囲と比べても満足できない性活を送っているという事実が悔しくて、ただただ女性を抱いているこいつらよりも絶対にいい会社に入って、モテてやろう、金に困らない生活を送ってやろうと。

そして、

いざ就活。体育会らしく、学ランで説明会や面接に臨んでいましたw
モテたい、金が欲しい軸で就活をしていたので自然と大企業病になります。
スタートの早いキー局に始まり、総合商社、不動産(総合デベ)、生損保、金融、インフラ、メーカー、を業界トップ3までを順々にエントリーするいわゆるダメな例でした。

大企業であったこと、志望動機を考えるのが面倒で先輩のエントリーシートを概ね丸パクリしていたこと、などなどの理由もあって落ちましたが、それなりのコミュ力と体育会ガチ勢&副将パワーで就活氷河期の雰囲気が残るなかでも3社から内定を獲得。

内、業界最大手のインフラ企業への就職を決めます。
それが今も勤めるJTC。この業界の最大手は?と聞かれたら、日本人の成人90%は当社と答えられるでしょう。
知名度が高く、福利厚生もよさそうで、給与水準も高いこの企業に入ればモテないはずがないと確信しました。

なのに、まあ、モテませんでした

ここでようやく、肩書きだけではダメだ、本質的にモテるための努力をせねばと思い、恋愛指南書なりを読み漁ります。

そうして私に足りなかったのは、圧倒的に聴く力(岸田かっ)だと気づきます。自分が話しすぎでした。

女性の話を聞き、共感を示すだけで、女性の態度が徐々に変わっていく様子を感じられるようになりました。その手ごたえを感じつつ、社会人生活に突入します。

社畜1~2年目(「モテたい」は正義)

ゆるふわ新人研修期間中、自分語りマンだったころに身に着けた突破力と、新たに身に着けた傾聴力を駆使して、合コンではそれなりの成果を収め始めます。お持ち帰りなるものも経験するようになりました。

ゆるふわ研修期間を終えた新入社員は現場実務を学ぶことを目的にグループ会社へと出向します。
1年目の12月、グループ会社に就職したプロパー新人のボーナスが3万円だときいたとき、約50万円もらえていた自分の額は言えませんでした。
同じ仕事をしていても、この格差。何を仕事にするかよりも、どこで仕事をするかが大事であると考えさせられる出来事でした。
学生時代、動機はさておき、やるべきことをやってきてよかったと。
バチクソに殴ってくれた親父に感謝しました。

出向期間中はほぼ定時退社だったので、グループ会社の各拠点に散らばっていた本体の同期と合コンやナンパを繰り返します。
平休日合わせて、年間100回は合コンを行っていました。
それがTwitterのプロフィールに“プロ合コン士”と語る所以。

CA、記者、商社、生損保、銀行、不動産、保育士幼稚園教諭、教師、業界問わず合コンを開きまくりました。
一次会から二次会にどうつなげるか、どうお持ち帰りするか(させるか)を徹底的に考え抜きました。そうしてカラオケ、ダーツ、バーなど、手広くいろいろ駒を持つように。おかげで貯金はゼロでした。
(そのうちの1回で妻と出会い、今に至ります)

お金と引き換えに、ロジ構築力やその場を盛り上げる力、相手を自分の思うように行動させたいときにどのような声掛けをすべきかは、かなり身についたように思います。

そうした経験を経て出向を終えて本体に復帰。希望していた住宅業界への営業職に配属となります。

社畜3~5年目(人的ネットワーク構築)

バンバン成果出して成り上がってやるぜ!と社畜思考全開だった当時の私。
配属が非大手、中小企業への営業職場で打ちひしがれます。積水ハウスや三井不動産レジといった大手を担当する花形部署ではなかったからです。
ただ、この配属が私の人生をさらに好転させます。そういう意味ではツイている人生です。
この配属がきっかけでコネをフル活用したコスパ最強注文住宅を建てられたのですから。

中小企業を相手にする職場は、無能オジサンの掃きだめみたいなところでした。
ただいま~とさぞ営業巡回してきたかのように、11時過ぎに出社してくるおっさん。
いってきまーすとさぞこれから営業巡回に繰り出す雰囲気を醸しながら15時にいなくなるおっさん(だいたいパチンコ)。
ちなみにそういうおっさんはだいたい高卒です。

なぜそれで、それなりに会社が回るのか。会社業績が維持されるのか。
”腐っても大手”ですからね。
スペックイン営業ではあるのですが、最終的には施工会社とその営業先の契約となります。その施工会社が営業先とよろしくできる関係を構築できてさえいれば、実質本体の営業パーソンは不要という構図だったのです。

上司たちは、関係構築済みの企業を無能なおっさんたちに割り当てる一方、新規開拓に近く攻略が必要で負荷の高い企業を若手に割り当てます。
上司の評価は全体の成績で決まるのでクビにできない無能よりも血気盛んな若者に頑張らせようとするのは至極当然です。

今思えばバカバカしすぎるのですが、社畜思考全開の私はよく上司と衝突しました。
なぜ、なにもしない高卒おっさんより、これだけやってこれだけの成果を残している私の給料がこのおっさんたちより低いのか。納得できん!!と。
社内の制度上仕方ない、の一点張りでこんな上司にはなるまいと心に誓いました(いまはなるとしたらこんな上司だろうなと思っています)。

その高卒の4-50代のおじさんでさえ、年収1,000万円を超えるのですからJTCは大したものですよね。年収4-500万でくすぶっているみなさん、これから就活するキラキラ学生の皆さん、JTCを目指しましょうね。

同じような境遇にいた優秀な同期は、国家公務員になったり、戦略コンサルに転職したりと徐々にいなくなります。私も転職が頭をよぎったことはありますが、踏みとどまります。

そう、体育会ガチ勢で低IQであること、勉強も嫌いでスキルがないことを自覚していたからです。例えばでいうと、TOEICは新入社員時代に初めて受けて、450点でした(長文の問題は鉛筆を転がして選択肢を決めていました)。

とどまった私は、さてこの会社でどう生きるか。どう収入を増やすか。を考え抜きます。
会社の制度をよくよく勉強し、たどり着いた結論は、

そうだ、コーポレート職に異動しよう

でした。
収入増≒出世するために必要なのは結局社内の評価です。
大事なことなのでもう一度言います。社内の評価、きわめてあいまいな、ヒトの主観・感想に近いもので下される“評価”です。
営業パーソンとして、取引先から評価をされてもなかなか昇格につながる評価には結びつきづらい。定量的にわかりやすい成果を残しても、相対評価になった時点で正当に評価されづらくなる構造です。

そこで考えました。

そうだ、社内人脈を広げてコーポレートへの異動を勝ち取ろう。

と。
結局、異動人事を決める課長たちもヒトです。その課長たちだって、知らないヒトよりも自分の駒として馬車馬のように働いてくれて、成果を残しているヒトが欲しいのです。なかでも“課長自身が人となり知っているヒト”を引っ張ってきたいと思うはずだ。と

そう考えて積極的に偉い人たちのネットワークに入り込みます。
飲み会、ゴルフ、BBQ、などなど。
巷の若者が忌避しがちなイベントを積極的に開き、参加し、人的ネットワークを広げることに努めました。

なぜなら人が嫌がること、避けることは競合が少ないということでもあるからです。
弊社は業界最大手とあってそれなりに優秀な人々が集う企業。競合が少ない環境で勝負すれば低IQな体育会ガチ勢の私でも出世街道を切り拓けると考え行動し続けました。

気づくと取締役が参加する会に、現場に近い場所で頑張る活きのいい若手がいるということで声がかかるまでになりました。
社内だけではありません。社内の人が社外の人と行う懇親の場に、私を呼んでくれるようになりました。弁護士、税理士、行政書士、医者・・・などなど。

本来、相談するだけで有料の方々に、ちょっと相談なのですが、と声をかけられるネットワークを構築できたのは生きていくうえでの圧倒的価値になりました。
(ん?そのノウハウは有料noteになるか?)

そのノウハウのひとつである、接待の名店紹介はこちら
(今買えば、あなたが一番乗りですw)

営業の仕事そのものはチートなので中の上の成績をコンスタントに残し続けていました。
その結果、住宅に関わる知識や人的ネットワークも広がり、それらを駆使してコスパ最強のコネフルベッドハウスの築城に至るのです。
お時間あれば【自己紹介①】もご覧ください。

社畜6~9年目(全社コーポレート職で無双)

社畜6年目を迎える直前の3月。晴れてコーポレート職への異動内示を勝ち取ります。
その半年前、異動希望を伝える上司との面談で希望部署を伝えた時、“そんな職場にここ(営業部署)から異動できるわけがない”と全否定されていたにもかかわらず。
そんなコーポレート職場からお声がかかれば、無能上司は私を現職に抱え込む力などなく、あえなく放出。

ちなみに、弊社でいうコーポレート職とは、経営企画、広報、人事、財務など、対外的な仕事も行いつつ、社内の様々な情報・リソースをホチキス止め()して、経営に諮るお仕事たちです。
経営にも近く、担当であっても部長・課長陣と対等に議論しなければならないなかなかしびれるポジションです。

そこで馬車馬のように働きました。朝7時には出社し、22時に帰宅できれば早いほう。ただ、それでも社内の課長たちから、
“君のおかげで助かった”“いい仕事ができた”
などと褒めてもらえるのがただただ嬉しかった。

そうした課長たちの評価は社内の相対評価で優位に働きます。当然です。
営業で一部の人としか関わらない人間と比べて、私は各方面の課長に対していろんなgiveを提供できています。異なる職場の同期や拠点で働く同職位の人たちよりも評価が高くなるのは当然といえば当然です。

残念ながら、キレキレ東大同期マンなどには及ばずトップ年次にはなれていませんが、準トップ年次のポジションを確立。名実ともに“仕事ができるやつ”というセルフブランディングは成功していました。

一方、幼い子供を抱え、休日はお出かけ、平日は朝から晩まで仕事に飲み会。若くして年収1,000万円を超えた優越感だけではもたず、徐々に疲弊していきました。

窓際10年目~(Twitterという魔界との出会い)

コーポレート職で馬車馬のように働くこと4年。大手JTCあるあるの人事ローテーションで、営業職場を束ねる戦略企画ポジションへと異動となりました。この異動は実に危険でした。

コーポレート職で評価を高めてしまったことが禍いし、難しい戦略企画・本部のかじ取りを担う重要ポジションに異動してしまったのです。
傍からみれば完全な“栄転”なのですが。

ここまで読んでくださった方はお気づきだと思いますが、私は低IQの単なる体育会ガチ勢です。入社以降もアカデミックな勉強をしてきませんでした。仕事、合コン、ナンパ、セ○クスに明け暮れていた体力バカなのです。

極論、マーケティング?4P?何それ?という人間が、マーケティング部署に、“できるやつ”という看板を背負って異動してしまったのです。

私は焦りました。このままではまずい。無能がばれる。どうしよう。

どうしようどうしようどうしよう

そんな思考に陥っているときに何気なくTwitterを開きました。
そこに飛び込んできたのは、“戦略的窓際族”の文字

最初の出会いはでぃめさんでした。
でぃめ(@demeblog)さん / Twitter

そこからたどって、

えりまど///(@mad_career)さん / Twitter

窓際くん@復職中(@road_of_window)さん / Twitter

エンゲル部長👼土地から新築RCx事業(@Engel_0510)さん / Twitter

ニーガン@窓際界のメッシ(@madmax2million)さん / Twitter

のアカウントにたどり着きます。

衝撃でした。ただただ。

こんな生き方があるのかと。青天の霹靂でした。
本業をそこそこに、副業で人生をリスクヘッジする生き方がこの世の最適解だと悟りました。

でぃめさんのように破天荒なことやる勇気もないし、リスクを背負えないまだまだ窓際見習いですが、徐々にいろんなことをフェードアウトし始めています。

まず手始めに、旧帝院卒リケジョ後輩ママに仕事を基本的に“任せる”ことにしました。
成長を促すという名目でいろいろ仕事を振っているのですが、意識高い系でもある彼女は育児勤務の限られた時間の中で最大限の成果を残そうと必死になって資料作成等に励んでくれます。

私は、彼女が帰宅して以降、”フォローするから”と伝え、帰り際にあとは任せてと資料を受け取り、上司に後輩ママと一緒に考えましたと言ってそのまま提出する流れを構築しました。

後輩も上司も私のことをできるやつと勝手に思っているので、
上司:二人でよく考えてくれた!
後輩:○○さんのOKが秒で出た!嬉しい!
となってくれているのできれいに仕事が回っていくのです。

重要ポジションということは冷静に考えれば、周囲もできるやつが多いのです。そのできるやつにやってもらえばいいんだ!と気づくことができましたね。

このサイクルを回すために欠かせないのが“出社すること”です。
ここが窓際見習いを抜け出せないポイントかもしれません。
リモワ×副業とは異なるので。
真の意味での”窓際”になれるかもしれませんがw

上司たちは結局、見えているか見えていないか、不安になる生き物です(そんなマネジメントはクソだ!という気持ちはわかりますが、郷に入っては郷に従え、です)。

常に出社し、パソコン画面を険しい顔・真剣なまなざしで見つめながら、Twitterやチャート画面を覗いているのです。
そして日中存分に蓄えたエネルギーを夕方以降に発散させ、ちゃっかり数時間の残業をつけて小遣いを稼ぎ、帰路に就きます。

そんな仕事の傍ら、人事部の採用担当の仕事もするようになりました。これはマーケティング部署から異動(逃亡)するためのつなぎとしての、計画的な犯行です。要はコーポレート職に戻りつつ、窓りながら、最低限の評価も得てやろうという戦略なのです。

Twitterを徘徊し、

ギンギン👺(@ropponginza)さん / Twitter

窓際ジョニー(@jonny_mado)さん / Twitter

といった大御所アカウントに出会い、学び、試行錯誤を繰り返しているところです。これがPDCAサイクルというやつなんですかね。

自分の経験がどれだけの価値を有するか未知数ですが、低IQの体育会ガチ勢が0⇒1を生み出せるのか、覗いていってください。

こんな私ですが、Twitterをフォローいただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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