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及川恒平さん「自分にとって瞑想と音楽は地続きにあるもの」

日本のフォーク・ムーブメントの中心的グループ『六文銭』のメンバーであり、『出発(たびだち)の歌』の作詞者としても知られる及川恒平さん。30年以上、超越瞑想(TM)を実践されています。7月に東京でおこなわれたライブにうかがい、その後メールで瞑想についてのお話をうかがいました。

及川さんが超越瞑想(TM)を実践していることを教えてくださったのは、同じくTMを実践されている伊藤銀次さん。おふたりはかつて同じレコード会社に所属されていたことがありました。1972年、及川さんの『六文銭』は1stアルバム『キング・サーモンのいる島』を、銀次さんの『ごまのはえ』はデビューシングル『留子ちゃんたら』をベルウッド・レコードからリリースしています。

また、及川さんが構成・作詞、作曲を坂本龍一さん、作・編曲を山下達郎さんが手掛けられたアルバム『海や山の神様たち─ここでも今でもない話』(1975年)にも銀次さんがギターで参加されています。

歌が生まれる瞬間を感じさせる歌

今年7月、及川さんがゲスト出演されると知り、原宿ペニーレーン50周年を記念する『NEKO』のイベントにうかがいました。そして、初めて生の歌声を聴かせていただき、その美しさに大変おどろきました。

この日に演奏された『出発の歌』や『天のしずく』は、それぞれ上條恒彦さん、少年少女合唱団みずうみによる歌唱で何度も聴いていた楽曲ですが、及川さんの内側からあふれてくるような歌唱を通して聴くことで、まるでこの歌が生まれる瞬間に立ち会っているような感覚を味わいました。及川さんの歌は、まさに「詩人の歌」だと感じました。そして、学生時代に読んだ「(詩人は)『見者』でなければならない」という言葉を思い出しました。『見者』とは、旧約聖書では未来を見通す者、預言者を指す言葉とされ、インドの古代の言語(サンスクリット語)では「真理を発見する賢者」を指す言葉です。

「天のしずく」

森や湖が歌っている
しずかに しずかに
たゆとうように
銀のしずく降る
銀のしずく降る 降る
銀のしずく降る 降る 降るよ
コタンの屋根に

森や湖が歌っている
しずかに しずかに
たゆとうように
金のしずく降る
金のしずく降る 降る
金のしずく降る 降る 降るよ
まつりの野辺に

天のしずく降る
天のしずく降る 降る
天のしずく降る 降る 降るよ
すべての上に

作詞:及川恒平 作曲:坂本龍一

詩が世界にもたらすもの、美が未来の私たちにもたらすものについて思いをめぐらせつつ、メールでいただいた及川さんの言葉を以下にまとめました。

自分にとって瞑想と音楽は地続きにあるもの


ピアニストのウォン・ウィンツァンさんを通してTMの存在を知り、興味を持ちました。TMの個人指導を受けたのは1990年の夏です。個人指導は新鮮でしたが、どこか当然のなりゆきと感じていました。

TMの説明会では、瞑想中に「超越」(思考を超えた意識の状態)に至る心の状態についての説明を受けましたが、それはそれまでの私の体験を顧みても腑に落ちるものでした。その後、TMを始めてからは私の進むべき人生の航海図のようなものは、それまでのものより鮮やかになりました。その航海図は今まで自分なりにずいぶん修正もしてきましたが、加筆修正的な程度で済んでいるのは幸運です。よく「お前は楽観的なタイプだ」と言われている自分ではありますが。

TMを実践する日々が始まることは新鮮ではありましたが、「何か別の生き方が始まる」というのでもありませんでした。つまり、TMを知らずにいた時に漠然と思い描いていた心のあり方が、より科学的に理解できたということなのかもしれません。「超越」することは、自分にとって何か特別というよりは当然のなりゆき、「なじみ深い感覚」という言葉がぴったりです。音楽やランニングなど日々の暮らし、もっと言えば、特別に区別することもないぼっとしている時間も、ささやかな喜びの延長にあるとより強く思えるようになりました。

TMを始める前から、一人で山中を走っている時に心の静けさを感じることがありました。身体的には楽とは言えない行動ですが、月間500kmほど走っていたこともありました。TMを実践してからは、山中を走行をしていたとき感じていた心の静けさを、より鮮明に体験している気がしていました。その深度が増しただけではなく、質の向上を知ることになりました。また、誰もいない場所で痙攣を起こした時などにTMを始めると、痛みがやわらいだこともありました。

TM以外で「超越」に近いだろうと思われる体験は、山頂に立った時に眼下に広がる雲海につつまれた瞬間などの、身体的にはリラックスした状態で、言葉や音などを伴わない静けさとして訪れるようです。TMをするようになってからは、そういった体験が私にとって大切なものだったのだと、より強く思うようになりました。しかし、その特別のような感覚も日々の暮らしと地続きです。むしろ特別とは思うことなく過ごしていることが大事かもしれません。毎日、朝夕20分ほどTMをするというのは基本ですね。

また、ライブコンサートの始まる前には必ず、TMを実践することになりました。より安定したライブ表現ができたと感じます。私がTMを始めた時期は人付き合いのほそい頃でしたが、TMを通じて人と関わることが多くなっていきました。当時横浜にあったセンターでは、季節ごとにTMと音楽の会を開いていただきました。那須にあった研修センターではレジデンスコース(瞑想を行い、知識を学ぶ合宿のコース)に招待いただき、最終日には歌わせていただく機会を得ました。数年にわたりそれらは続きました。このレジデンスコースへの参加は、私個人としても大きな変化を毎年生むことになりました。レジデンスコースを終えて帰ると、心身ともに変化が起きていることを実感できました。音楽表現にも多大な力を得ていたはずです。

2011年に開設したYouTubeチャンネル『うたとえ』では、自分で撮影した写真を使用したミュージックビデオを発表しています。私がインターネットを眺め出したころ、インターネットを通じての音楽表現が大事になることは明らかでした。その後の科学の進化は、それまでの時間空間の認識では収まらないものになっていると思います。科学的な分析など私にはできませんが、TMから得られる感覚は、なんとかそんな変化を受け入れる態勢を私にも作ってくれているのでしょうか。もともとある真理の存在に気づかせてくれただけなのかもしれませんが、これらの実感は私にとっては音楽と地続きにあるような気がしています。これからもインターネットを通じて音楽を発信できたらうれしいです。

︎最後にTMについて私見ですが、「効果」という捉え方を私はあまりしたくありません。TMを続けていると本来あるものがあきらかになっていきますが、それは特別なことではないと思うようになりました。つまりツールとしてではなく、TMをして過ごしている時間空間そのものを大切に思っています。私には山中の走行や、音楽の地続きに、日常の動作、行為としてTMはあります。きっとTM以外のことで気づきをもたらしてくれるものがあっても何もおかしくありません。たまたま私はTMをすることで、よりそのあたりが見えるようにはなったのですが。まだTMを知らない方々の中にも、多くのことに気づいている人がたくさんいらっしゃるでしょう。でも、私にでも「TMを知ったらたぶん楽しくなる」と言うことはできます。ですから、既にTMを知っている方々とはこれを喜びあい、ご存知ではない方々には、私の日常を見ていただくことになるのでしょう。

及川恒平(おいかわ・こうへい)
1967年に演劇活動開始。別役実作品『カンガルー』作曲・出演。「転形劇場」「演劇団」などの音楽を担当。別役実『スパイ物語』にて小室等に遭遇、「雨が空から降れば」などを歌唱し、フォークの世界へ。「出発(たびだち)の歌」作詞、「面影橋から」作曲・共作詞など。その後ソロ活動を経て、70年代後半からは、歌謡曲・ドラマ主題曲・CMソングを多数制作。「六文銭」「PaperLand」「K2」としてライブ活動中。近年はYoutubeにて「うたとえ」として作品を発表している。
https://www.youtube.com/@koheoikw260/videos