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エッセイ:人類はなぜ「泳ぐ」ことができるのか?

 運動不足を解消するために、私は週に1回のペースで、近くのスパに行き、屋内プールで泳ぐことにしている。

 プールにいるのは、だいたい2時間くらい。まずはウォーキング専用のレーンで、水の中をひたすら歩き、腰をひねったり、腿をあげたりしながら何往復もする。どの運動も水の抵抗を受けるので、地上にいるよりも力を入れる必要があるから、体を使っているという充実感がある。

 そして、ウォーキングで体の筋肉がほぐれてきたあたりで、レーンを移動して泳ぐことになる。片道初心者優先のコース。25mの距離を、クロール、平泳ぎを交互に繰り返して泳ぐ。普段はまったく運動をしていないので、1往復しただけで、息が切れてしまう(笑)。

 呼吸を整えては泳ぎ、泳いでは休み、を繰り返すことで、1時間水の中にいる。その後は、10分間の休憩タイムを挟んで、もう30分、調子がよければ1時間泳いで、プールをあとにする。

 こんなルーティンを、週末に繰り返しているのだが、水泳を続けているうちに、ふと疑問に思ったことがある。どうして「人間は泳ぐことができるのだろうか」という極めてシンプルな疑問である。

 幼い時の習慣として、プールに通っていたから、というのはもちろんある。子供にもプールに行かせて、泳ぎを学ばせる、訓練させるというのは、今や習い事としての定番でもあったりする。

 しかし、私たちがなぜ泳げるのかは、人間が泳ぐ技法を身につけ、訓練してきたから、という理由はわかるにしても、そもそも人間にとって「泳ぐ」とは何か、「泳げる」のはなぜか、という疑問の解消にはならない。

 ネットで調べると、これがなかなかすぐに出てこない。

『なぜ人間は泳ぐのか?』という本があることはわかった。まだ読めていないので、わからない部分の方が多いのだが、どうもこの本の内容は人類の「泳ぎの歴史」らしい。レビューでも、水泳のうんちくに終始しているという意見もあることから、私が求めている回答にはたどり着けなさそうだ。

 
 私が知りたいのは、「なぜ人類は泳ぐのか?」ではなく、「なぜ人類は泳げるのか?」である。

 移住のため海を渡ったり、川などの移動において泳ぐ必要性に迫られたからであり、人類の生活史の中での必然性において身につけてきた技術なのだろう、ということはなんとなくわかる。

 だが、そもそも泳ぐという行為は、人類にはアプリオリ(先験的)に備わっていた能力なのだろうか。それとも、人類にとって「歩く」「走る」という行為が、進化によって獲得してきたものになったように、「泳ぐ」行為も、進化ののちに、当たり前の行為として定着したものなのだろうか。

 ここに、人類の起源に関する、面白い学説がある。

『人類の起源論争: アクア説はなぜ異端なのか?』 
エレイン モーガン (著), Elaine Morgan (原名), 望月 弘子 (翻訳) どうぶつ社


「アクア説」と呼ばれるもので、人類は通説で語られるような、陸の上で進化をしたサルではなく、半水生生活を送り、その生活こそが二足歩行や無毛性といった人間特有の特徴を生むという、「水上で進化をしたサル」なのだという説である。

 学会では異端視され、ほとんど総スカンをくらっている説なのだという。理由は、シンプルに「証拠」がないからなのだそう。

 科学はとうぜん、実験結果のデータやエビデンスなどがないと、学説として認められない学問であるため、証拠がない以上、空想、疑似科学と呼ばれてしまうのはやむをえまい。

 だが、学界を支配している陸の上での進化=「サバンナ説」も、本当にその科学性を満たしているのかどうかは微妙である。学会の政治的なもの、権力的なものも働いているのでは、という主張が本書の中にもあった。

 そのあたりはともかく、「アクア説」は、たんに妄想、空想の類で片付けてしまうには、あまりにも惜しまれる説である。なぜなら「アクア説」がとる考え方の方が、いまのわれわれにとって、経験的にも皮膚感覚的にも説得力があるからだ。

 アクア説について、まずWikipedia から引用すると、

アクア説(アクアせつ、英語: Aquatic Ape Hypothesis: AAH or Aquatic Ape Theory: AAT)とは、ヒトがチンパンジーなどの類人猿と共通の祖先から分岐して進化する過程で、一時期「半水生活」に適応したことによって直立二足歩行、薄い体毛、厚い皮下脂肪、意識的に呼吸をコントロールする能力など、チンパンジーやゴリラなどの他の霊長類には見られない特徴を獲得した、とする仮説である。水生類人猿説(すいせいるいじんえんせつ)とも呼ばれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

とある。

 アクア説では、二足歩行をはじめとする人類の多くの特性は、人類が住んでいた場所がそもそもサバンナではなく、湿地や川辺など、水があった環境であったとし、人類は水中生活をする必要があり、川を渡るうえで、川から半身を出すために二足歩行が進化したのだという考えを採用している。

 一方、二足歩行が進化したのは「サバンナ説」の方が定説とされているのだが、「サバンナ説」の方は、人類になる前のサルが、樹木生活からサバンナに降りた時、直立できた方が遠くまで見渡せるから有利であったため、と説明されるようだ。

 だが、サバンナに棲息する多くの動物たちのうち、二足歩行をするのが人類だけだったのはなぜか、という疑問はどうしても出てきてしまう。遠くまで見渡すことが進化において有利だったのならば、人類だけそうだった理由がよくわからない。
 
 また、陸上での二足歩行というものは、相当負荷のかかる行為であり、サルやチンパンジーが二足歩行を選択していないということも、サバンナでは二足歩行をする必然性がないからなのだという。
 
 しかし、水中生活を余儀なくされた人類においては、川を渡る必要性があったため二足歩行が進化した。水中での直立は、遠くまでの移動を可能にするし、水の浮力が上半身を支えてくれるでの、陸上での二足歩行より負荷がかからない。

 二足歩行が、陸ではなく水中で進化したということが、エネルギー効率の観点から説明されている。

 また、アクア説では、水中環境に適応するために、サルやゴリラにはない、ほぼ無毛といってもよい薄い体毛、厚い皮下脂肪を手に入れたのだとしている。人間のこれらの無毛、脂肪の特性は、サルというよりも、ジュゴンやイルカといいった水中哺乳類に近いものなのだという。

 泳ぐといううえでは、毛は抵抗を受け邪魔になる。無毛であることは、水中での適応、進化の証左というわけだ。また、無毛性は水中で温度を保つのに都合がよいようで、これは他の水棲哺乳類と同じ理由によるもののようだ。

 ちなみに、人間は多くの体の部分が無毛でも、頭部だけ毛髪が濃いのは、水中の二足歩行もしていて、頭だけ外に晒していたから、そこは外的なものから守る必要があったからだ、という説もあり、水中で、泳ぎと歩きを両立していた人間の独自の特性である、という点で説得力がある。

 また、赤ちゃんも生まれてくるときはまん丸で、大人よりも脂肪が多いのだそうだ。赤ちゃんはプールでそのまま浮くことができるようなのだが、これもまさに、人類が水中出産を行っていた証左とのことだ。そして、人類が、脂肪を蓄えやすい動物であり、「太る」理由も、泳げなくとも、浮くことで溺れることを回避するため、ということが説明される。
 
 もう一点、人類の「鼻」は、他の四足歩行の哺乳類や、ゴリラやチンパンジーの鼻の穴が正面を向いているのに対し、「下を向いている」ということも水中生活の根拠としてあげられている。

 鼻は正面を向いていたほうが、呼吸をするにも、臭いをかぐにもずっと有利であるからだが、これは陸上での話。だが同じ陸上で進化したはずの人類はそうではない。

 このことについて、アクア説なら、単純な説明が可能になる。鼻の穴が正面を向いていてしまうと、水中に潜ったときに水を肺に取り込んでしまう。鼻の穴が下向きに進化すれば、水が入りにくくなって長い時間潜っていられる、というわけだ。

 このアクア説、化石のような証拠が見つかっていないということで、学界では受け入れれていないみたいだが、たとえば今サバンナで見つかっている人類の祖先の化石の数々。かつてはその場所が同じようにサバンナであったとは限らないわけで、考古学による遠い過去の論証というものは、きわめて難しいものがある。

 この議論が、マイナーな説に葬られているあたり、私が生きている間に決着するかどうかはわからないのだが、証拠がないというだけでそうなってしまっている現状は、なんとも残念ではある。

 だが、アクア説が正しいのだとすると、なぜ人類は泳ぐのかだけではなく、泳げるのかの説明もつく。

 アクア説の反論には、「人類は<訓練しないと泳げない>例外的な動物である」、「類人猿程度の遊泳能力の動物が海や湖に入るのは、サメやワニの捕食対象になるだけである」というものがあるようだが、アクア説のポイントは、人類は泳ぎに特化した水生生物という話ではなく、水の中を歩くことと泳ぐことを身につけてきた、半水生生物であるという点にある。

 人間の無体毛という特性は、ジュゴンやイルカに近いとはいえ、サルから進化した生物であるのは間違いあるまい。だが、陸や樹木での生活ではなく、水辺や海辺を選んだサル、その水生サルが独自に進化し、ヒトになったというシナリオの方が、妙な説得力はあるのは、私がプールでウォーキング&スイミングの双方を楽しんでいることによる、穿った見方になってしまうのだろうか。


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