働くことと書くこと 令和Ver

 昨日は、第56回新潮新人賞への応募原稿を投函してきた。ここ3か月の週末は、ほとんど作品への追い込みに時間をかけてきたので、ようやく開放されたというか、重石のようなものが取れた気分である。その縛り自体が心地よくさえもあるのだが。

 これまで10年近く中断していた創作を再開してから、4年目・4本目の作品の投稿である。枚数は215枚。毎年、中編または長編を1本必ず投稿、というのをノルマにしている。

 本業の方でも、4月からは新規事業の責任者となり、こちらも重圧ではあるが、それ以上にワクワク感でいっぱいである。それと同時並行的に、年間100冊以上(これもノルマ化)の読書をし、週末は小説を書くということに捧げる。このライフワークのバランスが、今の自分にはピタリとはまっている。スピノザ的に言うと、身心が合致している状況とでもいおうか。

 19歳の時に、作家になりたいと思った。中上健次を読むことで、その衝動は抑えられないものになり、ずっと小説を書き続けてきた。大学生の頃は、納得いくものが書けず、新人賞に投稿するというところまでもっていけなかった。未完のものがほとんどで、完成したとしても、とても世に出せるものではないと落胆し、投稿することなく破棄していた。

 就職はできればしたくなかった。たとえば阿部和重は、デビューするまで執筆活動の傍ら、フリーターとしてアルバイトをしていたという。それくらいの覚悟を持ってのぞまなければ、作家になりたいなどと軽々しく言ってはいけないとも思った。だが、企業に就職をしないという選択は自分にはなかった。覚悟を決めることができなかった。中途半端だとも思った。

 私が敬愛してやまない中上健次は、羽田空港で貨物の荷下ろしの労働に従事しながら書くということを両立させていた。中上健次は、かつては小説家であることが、ただちに倫理的基盤や社会的地位に結びついていた時代とは異なり、作家たろうとする者が筆一本で生活をしていくということが容易ではなくなり始めた時代に突入した時期の作家でもある。太宰や安吾のような時代とは異なり、「働きながら書く」ということが、前提となるような時代である。(むろん村上龍のような例外はあるだろう)

沖仲仕のように働くことと、書くということが、今ぼくの中に同居はしているが、それらがいったいどこでつながっているのか定かでないことはたしかである。・・・・・ぼくは作家である前に、一人の普通の単純に生きている男だ。単純に生きようとしているのではなく単純に生きているのである。

「働くことと書くこと」中上健次全集14巻(集英社)より

 だから、自分も中上のように、働きかつ書くことを両立させるのだと言い聞かせ、就職することを選びつつ、空いた時間を使って執筆するということを続けてきた。

「働きながら書く」ということは、楽なことではない。20代、30代と、仕事が終わってからの時間、週末の時間を使い、その両立を実践しようとしてきたが、これがなかなかうまくいかない。残業、職場での付き合い、その他さまざまな誘惑、いろいろな要素が自分の生活に入り込んで、時間のコントロールが難しくなってしまうのだ。

 結婚と、娘を授かったというライフイベントも重なったということもあり、創作は趣味として興じると割り切ったとしても、時間の確保はままならない。そこで、今は無理に創作に向かう必要はないのでは、と思い直し、小説を書くことを一時的に中断することに決めた。仕事と家庭にまずは集中するのだと。

 そこからは、仕事の方にのめりこむようになり、自分の市場価値を確かめたいと転職もはたした。転職先の仕事、今の本業も夢中になることができ、いつの間にか、40歳になっていた。管理職にもなり、それなりの安定した経済力を得ることができた。
 
 その代償も大きかった。いつしか、小説自体への関心がなくなってしまったのである。仕事によって、創作への想いが失われるということは、社会人になる前に警戒していたことであり、絶対に抗ってみせる、と考えていたのだが、ついに自分もこうなってしまったかという思いがあった。

 ところが、仕事も自分のペースでこなせるようになり、子育てや家族との時間も落ち着きを見せ始めた頃、また、ふつふつと、小説を書きたいという思いがよみがえってきたのである。とはいえ、創作を断念していた10年間、小説を読むことをぴたりとやめてしまい、哲学や歴史、政治経済や科学といった学術関連の読書ばかりしていたので、なんというか、文学に対して持っていた感覚というか感性のようなものが弱まっていたのである。リハビリではないが、今の小説の最前線がどうなっているか、まずはそこを確認するところから始めなければならなかった。

 小説を読むことも再開させ、書くこともノルマ化し、今は、週末の時間を使って作品に取り組むということができている。
 作品の構想から、ネタ集め、情報収集、取材。映画や音楽といった他ジャンルからのインスピレーション、舞台設定、人物設定、ふわっとしたものでしかないアイディアを少しづつ解像度を上げていき、イメージの具現化をはかる。そこからはじめて、構成案に移っていく。構成案がしっかりできると、執筆は早い。そこからの何度かの改稿、推敲、そして仕上げまでの一連のプロセスは、自分なりに経験値をためることができ始めているのではないだろうか。

 今期は余裕を持って取り組んだはずだったが、結果1年まるまるかかってしまった。最後の最後まで書き直しが発生した。最初に構想していた作品から3度も大幅な変更をしている。結果、最初に構想していたアイディアが、コアな要素となって最終的に作品として仕上げられたので、この変化自体が必要なプロセスなのだということがわかる。

 作品の方向性を大きく変更させる時のメンタルは、相当しんどいものがある。もう書けない、書きたくない、自分にはできない、という気持ちが先行してしまうからだ。そのような状態に入ってしまうと、創作というものは継続が難しくなってしまう。若い頃は特にそうだった。未完の作品ばかりが並ぶ。最近はそのような状況に陥っても、数日もすれば執筆に向かっている。落ちてもまた書くという状態が、自然になってきた。

 村上春樹が、小説家はアスリートと同じ、短距離走ではなくマラソンだ、みたいなことを言っていたのを記憶するが、確かにその通りなのだなと、素人ながらも、今は思える。
 
 二十代の頃は、坂口安吾や中上健次のような破天荒な作家に憧れていたので、「計画的に書く」とか「プロットに時間をかける」というのは、文学的ではない、もっと瞬間瞬間のインスピレーションで書くべき、感性のままに書くべきだという勘違いをしていた。わかっていなかったのである。

 衝動のままに小説を書いてもすぐに筆は折れる。そんなことを何度も経験し、ようやく、これは短距離走ではない、長距離走なのだから、ゴールまでの道筋を決めて、ペースを変えず、テンションを変えず、同じ要領、同じ分量、同じメンタルで、持続的に書くことこそが重要なのだということに気づいた。そのように自身の創作への考え方を変えたら、不思議と最後まで書くということができた。創作を復活させてから、1本目は400枚、2本目は350枚、3本目は300枚。最後まで折れることなく書くことができたのだ。

 いずれの作品も新人賞に投稿している。結果はうんともすんとも、という感じではあるが、今の私は、それでいい、書くことを継続すること投稿し続けることこそが重要だと思っている。しかし、ただ闇雲に書いていても仕方がないので、課題はどこにあるのだろうというのを自分なりに見当をつけ、次の作品にのぞむ。
 新人賞受賞作品も読むようになった。新潮、文學界、群像、すばる、文藝あたりの新人賞受賞作品は、手あたり次第読んでいる。

 私の創作は再開してから、まだ5年目でしかないが、今は書くことが心から楽しい。書くこと自体が喜びになっているので、それがどういう結果につながるとかも気にせず、ただ、自分の作品の進化だけを求め、書き、読み、ということができている。不思議なもので、創作や読書といったサイドワークが充実していると、本業の仕事の方も充実する。
 
 今の私のライフには、仕事も創作も欠かせないものになっている。中上健次にならって、今の私はこう言うだろう。

 ぼくは一人の普通の単純に生きている男だ。単純に生きるからこそ、働いて稼ぐことが必要だし、家族を食わせることが必要だ。それがぼくのリアリティである。同時にぼくは、仕事だけにマインドシェアは取られたくないのであり、「書きたい」というかつての文学青年としての衝動が今なお残存していて、そのもう一人のぼくが、働くということと同じようにして、あたり前の習慣として書くということを実践している。まさに、働くことと書くということが、ぼくの中に同居はしているが、それらがいったいどこでつながっているのか定かでないことはたしかである。


<その他の記事>


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?