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赤坂見附ブルーマンデー 第1話:安息日明け

あらすじ

 赤坂見附のイベント制作会社「サティスファクション」で働く、ぺーぺーイベントマンの中谷幸平。束の間の休息でしかない日曜日が明けると、オレたちの7日間戦争がすぐに始まる。
 オレたちは、サザエさん一家のごとく、会社という「我が家」へ導かれる大都会のソルジャー。「我が家」では今日もまたドタバタ劇が繰り広げられる。
 安月給で、どこまでこきつかわれるのかという今の現状を呪いながら、いつか「勝ち組」になることを夢見て、中谷幸平は奮闘するが・・

 
 ホイッスルを鳴らすサザエの先導によって、次いで妹のワカメ、弟のカツオ、父波平、母フネ、息子タラオを肩車する夫マスオといった順で列になり、磯野家とフグ田家の面々は、その無謬な笑顔と共に青天下の野原を軽快に行進していく。

 ハイキングをしていると思われる彼らの向かう先は、煙突のある一軒の山小屋だ。テレビなど一切見ないという若い世代の人間ならともかく、幼い子を持ち、会社で働く中堅どころのサラリーマンにしてみれば、週末の夕食時ともなれば否応なしに目にする光景である。

 無意識のうちにむかえる翌日の通勤時においては、脳裏をいつの間にか侵入している、ドド ド ラソ ドド ド ラソ ドド ド ラソ ド レレ レ ドラ レレ レ ドラ レレレ ドレ ソのメロディに、ついつい歩調を合わせてしまう自分に、どこか可愛らしさを自覚しながらも、何一つ秩序を乱すことなく、美しい列のままに行進していくスーツ姿の群集が、次々と高層ビルへと吸い込まれていく絵を少しでも俯瞰的に想像しようものならば、その姿はまるで、山小屋に近付いた途端に猛烈な勢いで建物に飛び込んでいくという、どこか狂気じみたものさえ感じるサザエさん一家のアクションを、すっかり反復しているようではないかと思い当たり、不意を突かれたようにして我に返る。

 そう、束の間の安息日が明け、日本の国民的アニメのエンディングシーンがサラリーマンたちの脳内を支配している月曜日の朝、ゴキブリほいほいのように会社という「我が家」に吸い込まれていくオレたちは、すぐに臨戦態勢に入ることになる。大都会という戦場に導かれしソルジャー。オレたちのドタバタ劇、「七日間戦争」は眠気を払う間もなく幕を開ける。

 地獄のような通勤ラッシュ、東京メトロの東西線から銀座線へと乗り継いでやってきたオレは、外堀通りと青山通りがクロスする赤坂見附の交差点で信号待ちをしながら、ようやく外気を浴びることができた安心感で大きく溜息を吐く。

 歩行者信号が青に変わる。ぴよぴよぴよ。車のエンジン音と排気音。立ち食いそば屋の鰹出汁の匂い。朝九時だというのに、頭の中はもう昼飯はどうしようかなどと考えている。

 アメリカのグローバリズムの権化ともいうべき超高層ビル、プルデンシャルタワーを横目に、オレは、かれこれ五年も勤めているイベント制作会社「サティスファクション」のオフィスへと向かう。オフィスは、日枝神社のすぐ傍にある、小さな雑居ビルの七階にある。

 その前に、オレが必ず立ち寄る喫煙所があり、自動販売機でジョージアのエメラルドマウンテンを一つ買ってから、冷たくて甘い甘い缶コーヒーをチェーサーに、煙草を飲む。それだけは、朝の通勤における欠かせないルーティンであり、戦いに入る前の儀式のようなものだ。

 昔から、たとえば古代世界のアメリカインディアンなんかにおいては、煙は神聖なものであり、神と交信するための手段として、宗教儀式や戦いの儀式の際に使われていたようだ。パイプを吸って、吐き出される煙の形から、未来や吉凶を占ってさえいたらしい。

 さて、それでいくと、オレの今日の煙の形は吉と出るか、凶と出るか。

 空に向かって吐き出した煙が、「らりるれろ」のような文字の形をしながら舞い上がっていく。ある種の崇高さを帯びて立ち昇っていく煙を目にして、らりるれろ、らりるれろ、とオレも口にしてみたくなる。

 すると、パンツスーツのポッケで、スマフォがぶるぶると音を立てていた。朝から誰だよ、と舌打ちしながら手に取ると、着信は上司の宮戸さんからだった。

 なんとなく、嫌な予感が走った。

「お前、会社からの電話はコール三回までに出ろよ」

 電話に出るなり、宮戸さんの怒鳴り声である。うんざりする。

「すみません、何かありました?」
 
 オレは髪を掻き毟りながら、とぼけた感じで返す。

「中谷、お前今どこにいる?」

「どこって、見附ですよ。オフィスに向っているところです」

「スタッフが飛んだ。代わりを探してるけど、クライアントに気付かれる前に、お前、穴埋めいってくれ」

「飛んだ」と聞いて、さっきまでまだ体に残っていた倦怠感と眠気が一気に引いていった。両脇から変な汗が滲み出てくる。
 
「飛ぶ」とは、イベント現場で手配していた運営スタッフが、直前でばっくれることをさす。現場のスタッフは学生やフリーターが多いから、そういう社会を舐めたことをするやつが平気でいるのだ。

 オレたちイベント製作会社の人間は、そのスタッフ手配によってクライアントからお金を頂いているわけで、スタッフのばっくれは、とてもクリティカルなものである。

「現場どこなんですか?」

「メッセだよ、幕張メッセ」

「え、まさか忍さんの現場ですか?」

「そうだよ、『IT Business Days』だ」
 
『IT Business Days』とは、IT業界における国内最大の展示会の一つで、次世代テクノロジーが披露され、海外からも注目度が高いイベントである。オレが勤めるイベント会社は、九十年代初期の立ち上げから制作と運営を任されている。
 
 忍さんは、オレの会社の中でも業界歴の長い、レジェンド級のイベントマンである。オレのような新入りは、まだ口を聞いてもらうことすらできない。部署は違えど、その忍さんのイベント現場でスタッフがバックレ、他に代替できる人間がいないから、今すぐ千葉の幕張メッセまで行って来い、というのが宮戸さんからの指示だった。

「状況わかりました。ただ、オレも今日、代理店に提出する企画書の締め切りなんですよね」

 オレは何でもかんでも上司の言いなりになってはダメだと、ほんの少しの抵抗を試みた。

「お前がやっているのは素材集めと調べものくらいだろ。骨子は俺がやってんだ。そっちは俺が巻き取るから、とにかく現場に行ってくれ。今すぐ。そして着いたらすぐに電話よこせ」

 オレが何も言い返せないでいると、宮戸さんは一方的に電話を切ってしまった。
 
 もはや幕張メッセに向かうしかない。
 
 オレはすぐに吸っていた煙草の火を揉み消し、踵を返すと、また赤坂見附の駅へと足早に向かう。
 
 幕張メッセという場所もまた厄介だった。都心からでも一時間かかる。丸の内線で御茶ノ水まで行き、そこから総武線で西船橋へ。乗り換えが多いのと、何より京葉線の海浜幕張行きの本数が極端に少ないのだ。武蔵野線と並んで最弱な路線の一つでもあり、強風で電車が停まることは茶飯である。

 今回は、幸いにも何事もなく京葉線は進行していた。

 海浜幕張駅に着いたころ、再び宮戸さんから連絡があり、何かと思って出ると「お前まだ着かねえのか。どこにいんだよ」と理不尽なことを言ってくる。

「見附から一時間かかりますし、まっすぐ来ましたけど」
 
 オレは少し苛立ちながら返す。

「うるせえ、とにかく、メッセに着いたらすぐに現場ディレクターの恵に連絡しろ」

「宮戸さん、それはわかったんですが、オレはいつまで現場にいればいんですか」

「今、代わりのやついないか片っ端から連絡とってる。捕まったらそいつと代われ。捕まらなかったら悪りいが、今日は一日現場だ」
 
 まあ、それはそれでいつもの制作業務をやらなくて済むからよいか。現場が終わり、直帰も悪くないなと思いを巡らしていると、察した宮戸さんが釘を刺しにくる。

「現場終わったら、すぐに会社な。十九時には終わるよ。このままだと企画書終わらねえんだ」
 
 それは宮戸さんが巻き取ると言ってたはずでは、という言い返しはできない。現場に出て、現場の定時であがれるほど、この会社は甘くない。
 
 仕事は、次から次へと、溢れるようにあるのだ。
 
 幕張メッセに向かって歩いていると、国際展示場入口の赤い屋根が見えてきた。あちこちに『IT Business Days 2018』の看板が掲げられている。三日間で十五万人のIT関係者が集うビッグイベントだ。
 
 看板を見るだけで、どこか高揚してくるのは、イベント会社で働く人間の性というものだろうか。会場前はすでにスーツ姿のビジネスマンで溢れかえっている。

「『IT Business Days』 会場はこちらです」

 トラメガでがなる誘導スタッフの声。この展示会の運営の一部を、うちの会社が仕切っている。
 
 さらに、メインブースの総合制作、総合演出を仕切っているのが、当社の中でもガチ制作集団である第三チーム、チーム長である前田忍さんだ。
 
 オレはメッセの入口付近まで来ると、現場ディレクターの恵君に連絡をする。

 恵君はフリーランスで当社の運営業務を請け負う、イベントディレクターである。

「はい、いつでもどこでもの恵です」
 
 恵君はいつもの調子で電話に出る。

「中谷だけど、宮戸さんに言われて来たよ。今、メッセの入口」

「あ、コウヘイさん。ありがとうございます。到着したんですね。ADにそっち向かわせるんで、そこにいてもらっていいですか」

「わかった、よろしく」
 
 オレはそう言って電話を切った。
 
 イベントの現場スタッフは、大抵、人材派遣会社などに依頼する。雇われのイベントスタッフには、学生や、バイトだけをやり続けているフリーターが多い。ただ、その中でも経験を積んでいく者は、スタッフからADになり、やがてディレクターになっていく。このあたりの名称の使い方は、テレビ業界と同じである。
 
 ディレクターの上には、イベント全体の設計や、収支管理、全体演出を担うプロデューサーという存在があり、このプロデューサーに関していえば、フリーランスの人間ではなく、オレがいるようなイベント製作会社の人間、つまりは「正社員」の人間が担う。
 
 クライアントである広告代理店やメーカーから、直接仕事を貰っている人間が、イベント全体の責任者なのである。
 
 ディレクターとは、そのプロデューサーによって、各所に配置される、いわば現場責任者にあたる。
 
 恵君は、そのイベントディレクターとして、もう十数年もこの業界でやっている。オレの会社との関係性は強く、主要なイベント現場には必ず恵君が手配される。そういった「お抱え」のディレクターを持っていることで、プロデューサーは自分の仕事を楽にできるし、確実なパフォーマンスによって安全に現場を運用できるのだ。
 
 ただ、ディレクター以下のADやスタッフに関していえば、正直、会社との信頼関係は薄い。彼らは、金さえ払ってくれれば雇い主は誰でもよいのであり、ディレクターのような忠誠心はない。

「中谷さんって、あんた?」
 
 今、恵君が使いに寄こしたADは、二十代前半という感じの若者だったが、初対面にも関わらず、こちらを見下したような態度をとってくる。

「はい、そうです」
 
 オレは社員なのに、相手の勢いにのまれ、なぜか下手に出てしまう。

「誘導のやり方わかるよね。ポジションは、入口階段下のところね。そこで『IT Business Days』ご来場の方はまっすぐお進みください、ってがなっていればオーケー。今、そこのポジションが空いたままだから、すぐにポジション着いて」
 
 どうやらこのADは、オレのことをアルバイトスタッフかなにかと思い込んでいるようだ。

 こんな時は何を言い返しても仕方がない。社員だろうと、現場を仕切る人間たちの指示に従うまでだ。

 オレはトラメガを持って、他の誘導スタッフ同様に、必死で声出しをする。
 これで浮いたポジションの穴埋めはできた。オレは与えられた任務をとにかく真っ当することに専念した。


続く

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