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中上健次と紀州熊野への旅

 8月12日。毎年、この日がくるたびに、彼の人のことを思い出す。

 中上健次。戦後生まれで初めて、芥川賞を『岬』で受賞。紀伊半島を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」という共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」と呼ばれる作品世界をつくりあげた。

 代表的な作品としては、その紀州熊野サーガである『枯木灘』『地の果て至上の時』『千年の愉楽』『奇蹟』、短編集『化粧』『熊野集』『重力の都』などがある。

 中上は被差別部落の出身で、自らの生まれた部落を「路地」と名づけたのであった。

 そんな「路地」と、彼が作品の舞台としてこだわった「紀州熊野」に一度でもいいから行ってみようと、その地を訪れたことがある。中上はすでに亡くなっていたので、彼の墓参りもしたいと思ったのであった。

 いつの時期に行ったのか、覚えていない。少なくとも十年以上も前である。社会人だったが、お金がなかったので、特急に乗ることをけちって、東京から、和歌山まで、鈍行と特急を乗り継いで、何時間も電車に揺られ、向かった。

 最初の目的地は、中上健次の生まれ故郷である「新宮」である。

 朝には出発したのだが、新宮に到着した頃にはもう日が暮れかけていた。東京から和歌山までの距離をあなどっていた。
 
 名古屋に出るだけでも相当な時間を要したが、名古屋から特急南紀に乗り継ぎ、新宮までは一本であったが、その一本の路線で、そこからさらに3時間以上もかかったのである。

 昔から計画性が皆無だった。旅は行き当たりばったりである。会社に休暇をもらって、3泊4日くらいで紀伊半島を一周する。新宮を出発地として隣接する熊野に行く。そこからは、紀伊半島の沿岸部をなぞるようにして、勝浦、串本、白浜、田辺と、中上作品でもたびたび出てくる町を訪れ、最後は和歌山市で降りる。ざっくり、そのことだけを決めて、あとは気分のままに。一人旅であった。

 特急南紀に乗った時には、エレクトリック全開のマイルス・デイビス、『Get Up With It』に収められた「Rated X」をipodで聴きながら、中上健次の作品を読む。

 確か、小説ではなく、ルポタージュ『紀州~木の国・根の国物語』だったと思う。中上健次が、「小説家」として客観的に眼差した「紀州」について、もう一度インプットしておこうと思ったのであった。

 特急南紀が、熊野に入ったあたりだっただろうか。確かな記憶ではないが、窓をのぞくと、すぐ目の前に海が見えた。熊野灘だったと思う。その日の海はどこか荒々しかった。走る特急南紀を見て、昂っているとでもういうのだろうか。それとも、私という余所者が、その地の主らの領域<テリトリー>へ侵入してしまったことによる緊張の高まりだろうか。

 こちらに押し寄せてくる波は、猛った獣の蹄のような形をしていた。陸地ごと引きずりこもうと、皮膚がぶ厚い掌を広げてくるのだが、すぐに、岩が立ちはだかった。熊の背中のような大きな岩だった。岩が頼もしくみえた。
 
 波は岩にぶつかると、飛沫をあげて粉々に砕け散っていく。そのたびに、海が悲痛な叫びをあげているような気がした。堪忍してくれー、そう言いながら、波はゆっくりと崩れ落ち、沖へと引きずり戻される。

 疾走するマイルスの電子音が、私を「熊野」という異界へと誘うかのようであった。確かに私は、磁場が狂うような感覚に陥っていた。重力が強まる。時空が歪む。私は、熊野が作り出す、物語世界の中にいた。

 私はそうやって、中上健次がかつて「重力の都」と呼んだ世界へと没入していくのだろう。期待と不安が入り混じった感覚が、次第に高まっていく。

 私はついにこの地へ来たのであった――。

 
 中上健次は、「物語」というものにこだわっていた。ここでいう物語とは、たんにテクストであるとか、いわるゆストーリー的なものだけを意味するのではない。

 彼はこの物語を「法・制度」と独特の定義をしていた。言葉による支配。

 その言葉が、制度として機能し、表出する中心に、万世一系続くとされる「天皇」を見据えていた。

(天皇は)天地の分かれる創世記の時代からコトノハを持っている。光を光と、闇を闇とコトノハを与えた自信である。天皇がコトノハ、文字という言葉によってこの国を治めている、と思ったのだった。

『紀州 木の国・根の国物語』より

 
 われわれは、生まれた時から、この「物語=法・制度」の中にいる。

 父と子、母と子、兄弟・姉妹、家族、親族という物語。都市、町、村といった共同体の物語。

 そしてわれわれは「日本人」という単一民族であり、「日本」という国家における国民・市民であるという物語。

 この物語の源流にあるものこそが、天皇というファンクションに他ならず、中上健次は文学をやる者として、言葉を操る小説家として、絶えずこのことに意識的であった。

 この物語は、とてつもなく強力である。われわれはこの世に産み落とされた時から、コトノハの手垢にまみれるのである。そしてそれが、大抵その人間の人格、人生、アイデンティティといった自己を規定する。

 氏名を得ることが、そもそもそうである。生まれてきたわれわれは、その共同体の中において、固有名を与えられる。そしてその固有名は、ほぼ一生、自分自身を名指すものとして固定される。その固有名とは、やはり日本国民という「物語=法・制度」において付与されるものである。
 
 生まれてきたわれわれが最初に覚えさせられること。

 食べること、歩くことなどと同様に、話すこと聞くことの言語の習得が意識的にも無意識的にも行われる。こうして、われわれは共同体においてのみ通用する言葉を身に付け、物語の住人となる。

 この物語の住人をやめることは、国民国家をやめるということと同義である。国籍を移すものは、別の物語の住人になるまでのことだ。 

 だから、「物語=法・制度」というものは、たんに言葉で否定しても、破壊できたり消滅できたりする何かではない。一見、人間が生み出した「文化」的な営みにおいて作られた法則であるかのように思える。

 だが、人間が人間であるということ、言葉というものが、制度というものが、共同体というものが、もはや人間としての生の条件であることは紛れもない事実であり、人間が、この自然の法則において生き延びるうえで築き上げてきた生存戦略ということであるならば、それはほとんど「自然」と同義である。われわれの生と存在を強烈なまでに縛りつける、「自然の法則」そのものでもあるといってよい。

 そのことを中上健次は十分痛感していた。

物語論
定型の問題は大きすぎる・・・定型をずらす事、定型を、いまひとつ、変容さす事、もちろん、変容したとしても、また新たに、別の戦略があらわれるだけである。木喰(ミイラ)取りが木喰になるが、それを知りながら、定型=物語の奥深くに入り、この世界を鏡写しにしてやること。
物語としての鏡が要る。いままで、一度も、物語は、鏡を見たことはない。左右対称の、その顔すらである。

『中上健次と熊野』(太田出版)より

 
 中上健次にとって、文学とは、小説とは、まさにこの「物語=法・制度」と戦うことを意味していた。この法・制度の中心に、言の葉の幹として天皇がいるならば、彼の出自でもある被差別部落は、その根っこの部分であるということを意識していたからだ。

 その根っこの部分は、「法・制度」によって、普段は隠されてしまっている。隠されてしまっているゆえ、彼は小説を通じて、それを自覚的に明るみにしていこうという意図があった。

 その方法はまさに、「物語の奥深くに入り、この世界を鏡写しにしてやることで」であったのだ。だが、その試みは、「木喰取りが木喰取りになること」と引き換えである。

 ルポルタージュ『紀州 木の国・根の国物語』は、まさに言の葉を表出させる、「木の国」でもあり「根の国」でもある<日本>を、実際に紀伊半島を旅し各地を取材することで、まさに紀州という地を「鏡」としながら、<日本>の光と闇を暴こうする試みともいえる作品だが、彼は終章において、「自分が被差別部落とは何なのか、差別、被差別とは何なのか、何一つ分からないのに思い至る」ということを告白している。

 *

 特急南紀が、熊野市を超えていよいよ新宮へと近づく。「次は新宮」の社内アナウンスにより、私は降りる準備をする。聴いていたマイルス・デイビスの音楽を停め、小説を閉じた。

 はじめて降り立つ、新宮。

 中上健次の生まれ故郷であり、彼の作品世界の舞台である地。そこに、何が待っているだろうか。私は、この目で何を見るこことができるのだろうか。心臓が高鳴っていくのがわかった。
 
 だが、魔法はすでに解けていた・・・

 新宮の地につき、最初に私は、駅前のロータリーをぐるぐるしたり、宿に向かったりしたのだが、日本全国のどこにでもある、日本的な町並みと、私が知りうる日常と、何ら変わらない風景がそこにはあったからだ。都市とまではいかないまでも、私の地元である埼玉の田舎町と、大差がない。

 だが、このことはある意味、わかりきっていることではあった。かつての「路地」が、「資本主義」という新たな物語によって変容してしまうさま、ありし日の故郷が喪失してしまう姿を、中上健次はまさに自身の後期の作品にて、記録していたのだから。

 それが、『地の果て至上の時』という大傑作として結実するのである。

前作『枯木灘』において、実父の龍造に対する愛憎なかばする複雑な感情の暴発として龍造の子・異母弟の秀雄を殺害してしまった竹原秋幸は大阪の刑務所での三年の刑期を終えて新宮に戻ってくる。

紀伊半島での高速道路や原発の建設により、新宮にも資本が流入して土地改造ブームが起きており、秋幸の心の拠り所であった「路地」は取り壊されて更地になっている。

秋幸の異父姉の美恵の夫・実弘や、秋幸の母フサの再婚相手の繁蔵の息子で異父兄の文昭はそれぞれ土方の組を率いているが、彼らは開発公社にはいり土建の仕事を請け負って裕福になっている。

『地の果て至上の時』あらすじをWikiより抜粋


 しかし、それは、もはやかつての「路地」へとは後戻りできないということで、中上健次が自己のアイデンティティとして根を降ろしていた「路地」の<死>の記録をも意味するであろう。

 私は、そうであったとしても、「路地」に没入できることを期待していた。まずは、中上健次の墓地へと向かったのだが、そのあとは、新宮の町を歩きに歩き、作品世界の面影を探ろうとしたのであった。

 そうやって歩いてさえいえれば、ひょんな裏道から、家屋の影から、オリュウノオバやトモノオジ、『千年の愉楽』にも出てくる魅力的な朋輩である、三好や半蔵が、あるいは浜村龍造や秋幸が、ひょっこりと顔を出してくれるのではないか、「よく来たな」と声をかけられるのではないかと、期待をしていたのであった。

 だが「路地」はどこにもなかった。少なくとも中上健次の作品世界としての「路地」は。

 そんなことは、はじめからわかっていたことだと、私は嘯く。

 仕方なく、町の散策は中断して、予約していた宿に向かい、チェックインすることにした。

 新宮の町に、秋幸はどこにもいない。

 いや、むしろ、あの日に限っていえば、私が、秋幸だったのかもしれない。

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