教師が何度もぶちあたる壁「生徒に嫌われる」

教師をしていれば、何度もぶちあたる壁がある。

それは「生徒に嫌われる」という状況だ。

特に、教師としての経験が浅い場合は、この状況にフォーカスしてしまうことがあるだろう。

この状況がなければ、教師という仕事はどれほどラクになるだろうか。

しかし、現実はそうはいかない。

何年経っても、教師としての腕を上げても、様々な生徒との関わりの経験があったとしても、「生徒に嫌われる」ということがある。

それは、そうだ。
なぜならば、時には生徒にとって耳の痛いことを言わなければならないこともあるからだ。
生徒に迎合してばかりでは、集団の秩序が保たれなくなって、次第に迷惑を被る生徒が生まれるからだ。
そのような迎合は本当意味での「優しさ」や「思いやり」ではない。
だから、「嫌われることは仕方ない」と割り切るしかない。
それがお給料をもらって、集団に安全と安心を、そして人を育てる教師の仕事だからだ。
その痛みを多少抱えながら仕事をしていくという覚悟と自分への厳しさが必要だ。
それが教師としての本当の優しさと思いやりだと思う。
また、その覚悟と教師自身への厳しさによって、本当の信頼を得られる。

ただ、教師の指導の改善と向上によって、自分のことを嫌う生徒の割合が少なくなっていくことはある。
そのためには、自分の指導を省みるというが欠かせない。

自分の言葉は適切だったのか。
自分の立ち振る舞いは適切だったのか。
叱る基準は適切だったのか。
この発達段階に、この指導は適切だったのか。
違う方法はなかったのか。
次に同じような場面があった時により良い方法はないだろうか。

そうやって自問自答しておくと、自分の指導に磨きがかかる。
それは、「嫌われないようにする」という迎合的なものではなく、彼らにとってより納得感の得られる、彼らの心が高まっていく指導を目指したものである。


自分の指導を省みるということについては、一流の野球選手も同じだろう。

打率が3割の打者は良いプレイヤーと言われるだろう。
しかし、そのような打者でも7割は失敗(凡打)している。
きっと打率10割の完璧な打者は現れないだろう。

彼らは、その失敗(凡打)の時に、「さっきは何が改善点なのだろうか」と考える。
そして、その部分を改善するために、日々練習に取り組む。
そうやって、自分の技術に磨きをかける。

教師も一緒で、自分の指導を省みることが重要だ。

そうやって、自分の指導をブラッシュアップしていくことで、生徒を厳しく指導したとしても、生徒の中に納得感が得られる割合が高くなっていく。
また、指導すべき場面も見極めができる割合が高くなっていく。

そうしていくことで、教師としての力量が高まり、生徒からの本当の信頼も得られるようになり、そのことでしか辿り着けない教師としてのステージがあると感じている。

ただ、そのようにして教師としてレベルアップに努め続けても、「一部の生徒に嫌われる」という状況はきっとあるだろう。

だからその時は、上記に書いたように
・教師の仕事は「好かれること」ではなく、生徒集団に安全・安心の秩序を維持すること、生徒の心を成長させることを改めて念頭に置く。
・教師の仕事は「生徒に嫌われる」という状況がつきものだと覚悟して受け入れる。
・その上で、自分の教師としてのレベルを上げるために、自分の指導を省みる。
・そして改善と向上によって、生徒からの本当の信頼を得て、教師としての自信を高めていく。

ということが大切だ。

私も、生徒に迎合しがちだった初任の年よりも、「生徒に嫌われても仕方ない」と覚悟を持って、自分自身に厳しくし、生徒を指導した翌年度の方が生徒からの信頼は得られたとより強く感じた。

その当時は、初任も翌年度も中学1年生を持っていたのだが、現在は高校生の授業を担当している。
担当する生徒たちの発達段階や環境、自分の立場というものを吟味しながら、適切な指導というものを見極めていきたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?