百花繚乱のエリチェレン(第1話)【ベツレヘムの星】

あらすじ


博物学者のカリアスと共に、アウグストゥス帝の治めるローマ帝国を駆けずり回るのは、植物を操る力を持つ少女、エリカ。二人は、この世ならざるものの影響で暴走する草木を刈ってまわっていた。
だが神秘を取り締まる魔術師、ヘファイスティアにカリアスを殺される。エリカこそがこの世ならざる植物の一部、【エリチェレン】だったためだ。
エリカは復讐のためヘファイスティアの軍門に降る。
その後30年の間、この世ならざる神秘を狩り続けたエリカたちの前に、かつてない神秘的存在が現れる。それは、『復活』の奇蹟を起こした「ナザレのイエス」であった。果たして救世主を名乗る彼を抹殺すべきなのか? エリカたちは決断を迫られる。


第1話

 未開の地、ロンディニウムの沼地に、私と師匠は足を踏み入れていた。皇帝の覇権が辛うじて及ぶ程度のこの地に、好んで来る者などそうそういないだろう。

【アウグストゥス】の称号を受けたオクタヴィアヌス帝の治世となって早27年。ローマ帝国の威信は増すばかりであった。

「見てくれ、エリカ。もう城壁ができている」

 確かに、川の向こう岸には、土地の三方を囲う城壁が屹立していた。だが、そんなことより目を惹くのは、城壁に絡み付く樹木の幹だ。

「えぇ。ですが、絡み付いた枝のせいで今にも崩れそうです」

 帝国の覇権を表す壁に対し、絡み付く枝葉はさながら、権威に一矢報いようとする土着の民を象徴しているようだ。だがこの光景に、そんな大げさな形容は似つかわしくない。単に人が自然の繁殖力を見誤っただけだ。

「駆除すれば宿と飯くらいはもらえるかな?」
「それ、何日分もらう気です? 私、こんなところに長居はしたくないですよ?」
「なに、僻地に逗留するのも乙なものと、すぐに分かるさ。さて、駆除を頼むよ」
「承知しました」

 川を渡った私たちは、すかさず城壁に歩み寄った。幹はどくどくと脈打っている。やはり、この世ならざるものの影響を受けている。

「我が優秀な弟子よ、この事象をどう考えるかね?」
「ケドルスの木ですね。でも、こんなにクネクネしないし、生えるのはもっと高地です。おそらく、ヤマルギアの瘴気を受けたのかと」

 私が告げると、師匠は愉しげに鼻を鳴らした。

「私も同意見だよ。君の洞察も鋭くなってきたようだ。ほぼ正解だろうね」

 ほぼ、という言い方が引っ掛かるが、まぁいい。師匠は懐疑的だし、断定的な言い方を嫌う人だ。それに、師匠の本職である博物学者らしいといえばそれまでだ。

「【エリュシオンの庭に繁りし木々よ。皇帝のものは皇帝のところへ。神のものは神のところへ】」

 私が唱えると、たちどころにケドルスの木は萎み、髪の毛のように細くなった。これで城壁の工事も再開できることだろう。

 そう。博物学者カリアスに随行する私は、植物に命令できる。私が生い茂れといえば繁り、私が枯れろと命じれば萎む。どうやらそういうことらしい。

                  
「師匠、もう三日目ですが。いつまでも居る気はないと言いましたよね?」

 駆除のお礼にと宿を提供してもらってから3日。当然のように私の部屋でくつろぐ師匠に、私は辟易していた。

 だいたい弟子とはいえ、年頃の少女の部屋に気軽に入るなんて。もう少し気遣いがあってもいいのではないだろうか。

「エリカは、私とこうしてゆっくり過ごすのは嫌かい?」
「いえ、別に嫌というわけでは……」

 むしろ師匠と同じ時間を共有できるのは嬉しい。

「ならいいじゃないか」
「でも、こんな田舎でなくてもいいじゃないですか」
「分かった分かった。ローマに戻ったら好きなだけ遊び歩こう」

 別に遊び歩きたいわけではないのだが。せっかく師匠と一緒なら、もう少し文明的な場所の方がいいと思っただけだ。

「さて、もう夜だし、そろそろ自分の部屋に戻るよ」
「はい、おやすみなさい」

 師匠が扉を開けると、外が騒がしいのが分かった。

「おい、あれって!」
「東の空、だよな?」

 皆が不安そうに空を見上げている。

 私たちも外に出ると、ひときわ大きな赤い星が、東の空に輝いていた。

「これは……」

 月に匹敵しそうな大きさ。何かの前兆だろうか?

「吉兆か、はたまた凶兆か? どう見るかね、エリカ?」
「分かりません。占星術は専門外なので。吉兆か凶兆かは、時代が判断するものです」
「私は違う意見かな」

 師匠はきっぱりと言った。

「ではどうお考えで?」
「吉兆にするんだよ、我ら人類皆で。時代が判断すると君は言ったが、その時代を創るのは、他でもない我々なのだからね」
「なるほど」

 師匠は懐疑的な博物学者だが、こういう精神論も時折口にする。若干暑苦しいが、そういうところも私は好きだ。

 どういうわけか師匠は、翌日の早朝にはここを発とうと決めたようだった。

              
「案の定、東が騒がしくなってきたようだ」

 ローマに戻ると、ユダヤの地を治めるヘロデ王の所業について、情報が入ってきた。どうやら、ベツレヘムの2歳以下の幼児をすべて虐殺したらしい。師匠の顔は曇っている。

「東方の占星術師は、新たなユダヤの王が誕生すると予言したそうだ。それが本当なら、あの星は吉兆だったことになるね」
「ですが、王になるべき子供が殺されてしまったのでは、予言は成就しないでしょう」

 私は至極当然のことを述べたつもりだったが、師匠は頭を振った。

「そんなことで回避できるほど、予言は軽々しいものではない。実際、東方のマギ……つまり賢者たちは優秀だよ。どうあがいてもユダヤの王は新たに誕生してしまうさ」
「しかし、星が輝くほどの祝福を以て生まれてくるとは。どれだけの大人物となるのでしょうか?」
「さあね。ローマの威光を脅かすほどの脅威となるか、お手並み拝見といこうか」

 師匠は謎の上から目線で、新たな王への期待を表明した。

「ま、私たちの旅に影響はないでしょうね」

 師匠と私は、博物学の知識を生かして暴走する植物を駆除しているだけだ。関係ない。

「いや、影響大有りだ。我らは地上を楽園にすることを目指しているのだからね」
「それって、害をなす植物を駆除するのをカッコよく言い換えただけですよね?」
「違う。植物が暴走するのは、楽園エリュシオンから流れ出す力を上手く制御できないからだ。その方法を見つけ、地上を楽園に変えることが、私の目的だ」

 そうだったのか。今初めて聞いた。師匠の目的は遠大すぎて夢のようだ。

「カリアスどの、パンテオンが大変です! すぐに来てくれませんか! 気色の悪い蔦に突然覆われてしまって!」

 突然、男が駆け込んできて師匠に助けを求めてきた。またしても、駆除が必要なようだ。

「案内をお願いします」

 私たちはパンテオン(万神殿)への道を急いだ。 パンテオンはローマの古くからの神々を祀る神殿だ。アウグストゥス帝が3年前に建てたものだが、もう植物の暴走に巻き込まれているのか。

「分析をしている暇はなさそうだ。早速頼むよ、エリカ」

「はい。【エリュシオンの庭に繁りし木々よ。皇帝のものは皇帝のところへ、神のものは神のところへ】」

 私が手を触れてそう唱えると、蔦は急速に萎み、茶色の枯れ草となって崩れ去った。あっけなかったな。私はすぐに手を離そうとする。

 だが同時に、奇妙な声が頭の中で響いた。

【我らの威光は地に落ちるだろう】
【救世主の到来は近い。そうすれば、我らは忘れ去られる】
【ならばいっそ、こんな神殿などなくなってしまえばよいのに】
【君もそう思うだろう?】

 有無を言わさぬ強制力を孕んだ声だ。思わず返事をしそうになるが、それはなんだかマズイ気がする。

「エリカ、耳を貸すな」

 私の肩に手を置いた師匠が、そう制止した。師匠にも聞こえていたようだ。

「オリュンポスの神々は色を好む。あまり真面目に取り合わないことだ」

「ひょっとして私、口説かれていたんでしょうか?」

 確かに、ゼウスの子を生まされた娘の話は、神話にも多い。

「少し違うと思うが……例のユダヤの王の件で、神々も危機感を覚えていのだろうよ」
「最高神ユピテル様の威光をも脅かすほどの存在になると?」
「さぁ? 件の新たな王となる子も、まだ生まれたばかりだろうから、分からないけどね」

 分からないことだらけだ。スカッとしたい気分になってきた。さっき力を使ったせいで、精気を吸い取られたような気もするし。

「なんだか疲れました。公衆浴場でも行きません? せっかくローマに帰ってきたんですから、たまには骨休めをしたいです」

 私がそう申し出ると、師匠は途端に顔を赤らめた。

「君のようなうら若き乙女と浴場だなんて、はしたないことはできないよ!」
「はい? あそこは混浴ですよね? 普通に皆入っていますが?」
「とにかく、こういうのは個別に入るべきだ」

 師匠らしくもない。どこぞの異民族の文化にでも影響されたのだろうか。

「はぁ、ではアレネさんにでもマッサージしてもらいますよ」

 私は、師匠お抱えの奴隷に身体を揉んでもらうことにした。
 マッサージを受けて一休みした私は、夜の街に繰り出した。ふと星空を見上げるが、例の赤い星はもう消えている。

「新しきユダヤの王……ね。皇帝の地位を脅かすことになんて、なるのかしら」

 実際、考えられないことだ。一属州に過ぎないベツレヘムから、それだけの大人物が現れるなど。

 だが、オリュンポスの神々が、現時点で恐れをなしていたのもまた事実。もしかしたら今は、時代の変わる大きな潮目なのかもしれない。

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