百花繚乱のエリチェレン(第2話)【魔女へファイスティア】

 などと考えながら歩いていると、黒い影が近づいてくるのが見えた。私と同じくらいの背格好の女のようだ。いや、違う。同じくらい、ではない。なにもかも同じだ。瞳の色も、髪の状態も、顔つきも、全て。

 自分と瓜二つの人間に出会うなんて思わなかった。いや、そもそも人ではないのかもしれない。

「帰りましょう。兄弟よ」

 私の偽物は、いきなりそう口にした。意味不明だが、あり得なくはない質問だ。私には、15歳より前の記憶がない。つまり、直近4年分の記憶しか保持していない。この偽物が私の双子だとしたら、家族のもとへ戻ろうと言っているだけなのかもしれない。

「帰るって、どこに?」

 私は敢えてそう問いかけ、様子を窺うことにした。

「エリュシオンですよ、もちろん」

 偽物がそう答えた途端、地面がぱっくりと割れた。

「おっと危ない」

 すかさず誰かが私を抱きとめ、地割れに落ちるのから救ってくれた。師匠だった。

「師匠! いったいこれは……」

 よく見ると、地割れの奥では、無数の牙が生えた獣の口が開いていた。

「後でゆっくり説明する。今はここから逃げよう」
「はい!」

 私と師匠は夜のローマを駆ける。不気味なほど追撃は来ない。私はどんどん不安になってきた。

「これ、いつもの暴走植物とは違いますよね?」
「そうだ。これはエリュシオンに咲く花の種を、地上で育てた結果だ」

 師匠の口からは、衝撃的な事実が示された。

「それって、もしかしてヤマルギアのことですか? 師匠が4年前に駆除したっていう……」

「あぁ、信じられないかもしれないが、私は楽園エリュシオンに迷い込んだことがある」

 師匠の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。だが、嘘ではないようだし、狂人の妄言とも思えない。

「名前すら分からないが、そのとき持ち出した花の種を、栽培しようとしたんだ。実に美しい花だった。何も害はないと思っていた」

 師匠の顔は悲痛に歪む。

「だが、あれはエリュシオンに満ちる霊気の中でしか生きられない植物だったようだ。程なくしてそれは食人植物ヤマルギアと化した」
「そんなことが……でも、討伐したんですよね? どうやるんです?」
「それは……ここではできない。実に危険な方法だからだ」

 師匠は、足を止め、俯いた。

「君だけでも逃げるんだ。私は奴を郊外まで引き付ける。その隙に……」
「逃さんよ。禁忌を犯した博物学者のカリアス」

 見ると、杖をついた赤毛の女が立ちはだかっていた。長身で、眼光は恐ろしく鋭い。肌は褐色で、どこかの属州の出身のようだった。

「そして、ヤマルギアの疑似餌、エリカ」
「え?」

 なぜこんなよくわからない女に疑似餌呼ばわりされなければならない? ひどく不愉快だ。

「ヘファイスティア。遂に秘匿協会は私を殺しに来たか」

「その疑似餌を今すぐ駆除しろ。お前の持つ毒なら可能なはずだ。それともまだ、この世に危険な神秘を蔓延らせておくつもりか!」

 ヘファイスティアと呼ばれた女は、怒りを滲ませ師匠を怒鳴りつけた。

「分かった。毒は渡す。だからせめてエリカには手を出さないでくれ。この娘は何も知らないんだ」
「自我を与えられた疑似餌なんてものを、野放しにするとでも?」
「彼女には【上位命令】の能力がある。ヤマルギアの残滓を狩るには、必要な力じゃないか?」
「ふむ」

 ヘファイスティアが考え込むと、またしても地割れが起きた。来ているのか? ヤマルギアの残滓が。

「【罰を受けしプロメテウスよ。ヘファイストスのものはヘファイストスのところへ】」

 ヘファイスティアが唱えると、目を焼かんばかりの業火が顕現し、地下に潜む植物の口を焼き尽くした。ヤマルギアの死骸と思わしき灰が地下から噴き出す。
 この女は、魔女か。本物は初めて見た。

「そこの疑似餌の利用価値は分かった。で、お前はどう落とし前をつける気だ? カリアス?」
「この首と毒を差し出そう。すまないエリカ」

 小瓶をヘファスティアに手渡すと、師匠は悲しげに微笑んでみせた。

「待ってください。何勝手に決めてるんですか! 私が疑似餌ってどういうことなんですか! 私の記憶のことと関係あるんですか?」
「ごめんな。全部には答えられない。だけど、これだけは言える」

 師匠の目から、涙が零れ落ちた。

「愛していたよ、エリカ」

 次の瞬間、師匠の身体は火に包まれ、首を残して灰と化した。

「あ、あ……」

 私は、師匠の亡骸に駆け寄ることも、ヘファイスティアと戦うこともできず、呆然と立ち尽くしていた。

「なんなんですか……私から師を奪い、恩人を奪い、生きる意味を奪って、あなたは何がしたいんですか?」
「まるで人間かのような口を利くな。お前はヤマルギアが人をおびき寄せるための疑似餌、【エリチェレン】だ。エリカという名も、そこから取ったのだろう。単なる人型の疑似餌に自我を吹き込み飼っていた。カリアスは、そういう悪趣味な男だったということだ」
「師匠は、カリアスどのは! そんな人じゃありません! 私を弟子として、人間として扱ってくれました!」

 私は思わず声を荒げる。師を殺され、さらに侮辱までされて黙っているわけにはいかない。

「それが悪趣味だと言っているんだ。植物の一部に名前をつけ、人間であるかのように扱う。奴隷をいたぶるよりおぞましい所業だ。あるいは狂人の為すこととも言える」

 ヘファイスティアは師匠への侮辱をやめない。私は思わずヘファスティアの外套に掴みかかるが、素早い身のこなしで避けられた。よろめいた私の腹に、ヘファスティアは容赦なく蹴りを叩き込んでくる。
 苦悶の声を漏らし倒れ込んだ私を、奴は見下ろしていた。

「お前に残された道は2つ。この毒を飲んで師匠の後を追うか、私と共に旅をし寝首をかく機会を狙うかのいずれかだ」

 そんな無茶な二択を迫る敵に対し、私は睨み返すのが精一杯だった。声は出ない。

「答えろ」

 ヘファイスティアは私の胸ぐらを掴み、持ち上げる。無理にでも選ばせる気か。

 ならば答えは決まっている。

「あなたについていく。そうして、師匠の仇を討つ!」
「ならばそうしろ。お前は私の命を狙い続けるがいい。私はお前の【上位命令】の力を利用させてもらう」
「私が力を貸すとでも?」
「力を貸さなければ、お前も私も死ぬだけだ。いいか? この世にはヤマルギアなどとは比較にならないほど凶悪な神秘がある。それを討伐していくのがお前の使命だ」
「何のためにそんなことを……」
「我らが皇帝の威信を世に知らしめるためだ。それ以上に重要なことなどない」

 ヘファイスティアは言い切る。狂信的な思想の持ち主のようだ。カエサルの偉業を以て、ローマ皇帝の威信と帝国の覇権は確固たるものとなっている。これ以上どこに知らしめる必要があるのか。それは、不安の裏返しのように思えた。

【救世主の到来は近い】
【我らの威光は地に落ちるだろう】

 パンテオンから聞こえたそんな声が甦る。

 もしや、このヘファスティアも新たなユダヤの王が帝国の威信を脅かすと思っているのだろうか。

「怖いのか? ユダヤの地から現れる救世主が」
「怖くなどない。あんな予言に惑わされる民の愚かさのほうが、私は怖いね」

 ヘファイスティアは不快そうに吐き捨てた。一矢報いることができたと思いきや、そんなことは歯牙にもかけていないといったふうだった。
「だが、神聖なるローマの神々の威光と、誇り高き皇帝の威厳を損ねる可能性があるのなら、すぐにでも火種は潰すべきだ。その点、ヘロデはよくやったと言えるだろう」

「虐殺を正当化するの?」
「必要な犠牲だ」

 話の通じない人間であることは分かった。狂信的な一団に所属する魔女なのだから、当然そうなのだろうが。

「そんなことより、私を殺すために戦わないのか? 愛しの師匠は今まさに灰になったというのに」

 安い挑発だ。いくらなんでも、乗るはずがない。ここで感情的になっても意味はないし、なにより自分の感情が追いついていなかった。

「あなたに挑んでも、死ぬだけです。私は、師匠の遺志を継ぎたい。この世を楽園にするという理想を受け継ぎたいんです。だからまだ死ねない」
「殊勝な心がけだが、狂気と紙一重であること、忘れるなよ」

 そうとだけ言ってヘファスティアは前を向き、歩き出した。

 こうして、私は魔女の従者となった。

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