百花繚乱のエリチェレン(第6話)【vsペルセウス】

 師匠が死んで400年が経とうとする頃には、キリスト教はローマ帝国の国教となった。

 長命であろうと思っていたエリチェレンの私にも、老いが顕れ始めていた。顔には皺が刻まれ、やつれてきた。ただ、動きの俊敏さは以前よりも増した気がする。

 秘匿協会は復活の手がかりを見つけることはできていないようだ。それどころかエルサレムでイエスの遺骨を探してまわり、信徒や帝国からも目をつけられる始末だ。長くは持たないだろう。

 古来のローマの神々の像は破壊された。太陽神アポロンの胸像に至っては、鼻をへし折られ、額に十字の刻印を刻みつけられていた。この暴挙こそが、胸像に宿る悪魔を滅する『洗礼』であるらしい。

「こんなことが、救世主の信奉者がすることなの……」

 私は、当惑と恐怖がないまぜになった感情に押し潰されそうであった。

 かつてバビロンのベルシャザール王は、ソロモン神殿から略奪した器でもって饗宴を開き、ユダヤの神を貶めたという。

 それとこの蛮行の、何が違うというのか。

 相手が一番大事にしているものを奪い、それでもって自分たちを礼賛する。やっているのは同じことだ。

 憎しみの連鎖は、断ち切れないということなのか。

 ローマのとある神殿で辺りを見回すと、まだ無事な彫像もある。隣にあるのは、英雄ペルセウスの石像だ。

「ここもダメか」

 額に十字の刻印が押され、彫像の性器は切り取られている。これでは野蛮人とやっていることが変わらない。

「本当にあの男が【キリスト】(救世主)なの?」

 ナザレのイエスは、イエス・キリストと呼ばれるようになっていた。今では各地に教会が立ち並び、弾圧を受ける側とする側が逆転している。

 早々に立ち去ろうとすると、物音がした。まさか、暴徒に見つかったのか? とはいえ、私もこの400年で鍛えてきた。素人相手に遅れは取らない。

 恐る恐る振り返ると、ペルセウスの彫像が消えていた。誰かが持ち去ったのか? いや、あの重さの像をこの一瞬で盗み出すなどありえない。

 だとすると……

 などと考えておると、脇腹に凄まじい衝撃が走った。

「がはっ、」

 思わず倒れ込む。

 今までの旅で、数多の妖術師や魔獣と戦ってきた。ただの人間に一撃入れられるはずがない。ということは……

「彫像を依り代とした降霊?」

 目の前には、筋骨隆々の戦士が立っていた。

 その姿は、石像と瓜二つ。

 まさしく英雄ペルセウス本人が、降臨していた。
         
「どうか、お帰りください。【エリュシオンに招かれし英雄よ。楽園の誰もが、私の祈りを拒みはしないだろう。楽園のものは楽園のところへ】」

 私は必死になって距離を取り、上位命令を発動させる。

 だが全く効いていないようで、英雄はずんずんとこちらへ進んでくる。

「厄介な相手だな」

 遂にヘファイスティアが到着したようだ。他にも、秘匿協会の面々が続々と駆けつけている。

「言葉が通じる相手ではないようだ。早々に燃やす!」

 ヘファイスティアが杖を構えた瞬間、相手も盾を構えた。すると、男の周囲を霧が覆い、空気が嵐のように乱回転しはじめた。

「気候を操るというアマルティアの能力か」

 ヘファイスティアは毒づく。師匠から聞いたことがある。英雄ペルセウスの持つ【アイギスの盾】には、天候を支配する山羊、アマルティアの皮が張ってあると。死してなおその能力は健在というわけか。

「【罰を受けしプロメテウスよ。ヘファイストスのものはヘファイストスのところへ】」

 業火がペルセウスを襲うが、暴風の盾がそれを弾き、かき消した。

 だが、ヘファイスティアも狼狽えない。杖を地面に突き刺し、足元に向けて炎を噴射した。

 地面に潜った炎は、土を溶かしながら進み、やがてマグマのようにペルセウスの足元から噴火した。だが。

「チッ、」

 ペルセウスは跳躍し、襲い来る火柱を盾で受け流していた。

 暴風の盾の隙を突いてもこれか。さすがは神代の英雄。突破口が見当たらない。

「援護します!」

 続いて協会員の剣士たちが一斉に斬りかかる。ダメだ。ペルセウス相手に並の剣士が無策で突っ込むなど、自殺行為だ。

「一旦退がって!」

 私が制止するよりも早く、アイギスの盾の第二の能力が発動する。剣士たちの身体は空中で石像と化した。そのまま落下し、石化した彼らの肉体は砕け散る。

「くそっ、バカどもが!」

 ヘファイスティアは歯噛みする。

 英雄ペルセウスは、討ち取ったメデューサの目を盾に嵌め込んでいたという。その能力は石化。直視すれば終わりだ。

 このままでは犠牲ばかりが増えていく。なにか策を練らなければ本当に全滅だ。

「【封じられし同胞よ。楽園の誰もが、私の祈りを拒みはしないだろう。顕現せよ】」

 同胞などと呼びたくはない。だが、私の出せる切り札は、これだけだ。

「【ヤマルギア】!」

 巨大な地割れが起き、ペルセウスの全身を呑み込む。ヤマルギアには眼球がない。つまり、メデューサの魔眼と目を合わせることはない。これなら時間を稼げるはずだ。

「今のうちにアレクサンドリアに退避しましょう。協会の財宝をかき集めるしかありません!」

 神殿から逃げ出しながら、私はヘファイスティアに提案する。

「いや、残念だがその手は使えない」

「なぜ!」

 確かに英雄ペルセウスを前にしては無力かもしれない。だが、使えはするだろう。

「秘匿協会の本部は破壊された。キリスト教徒の略奪を受けてな」
「な……」

 奴らの暴挙はそこまで及んでいたか。

 と同時に、ヤマルギアの大口は斬り裂かれ、中からペルセウスが這い出してきた。その表情からは何も読み取れない。暴徒を憎んでいるのか、敬意を忘れ去ったローマ市民に怒っているのか、はたまた何も思っていないのか、分からない。

「本部のことなど今はいい! こいつをどうにかしてエリュシオンに還すぞ!」

 ヘファイスティアは、老魔女となってもその覇気に少しの翳りもない。裂帛の咆哮とともに駆けていく。

 ヘファイスティアと並走するように、巨大な火球が隕石のごとく射出される。ペルセウスは全て盾で受けきれないと悟るや、すぐに回避に専念しだした。華麗な身のこなしで、火球は躱される。

「これを使え!」

 ヘファイスティアから長剣を投げてよこされた。見たところ、アンフィスバエナの毒が塗ってある。師匠を唆したあのユグドラシルには効かなかったが、今は有効かもしれない。

「はい!」

 私は剣を精確に受け取り、ペルセウスとの斬り合いに臨んだ。

 相手は火球を回避しながらだというのに、剣技においても精彩を欠くことはない。一合、二合と打ち合ううちに、こちらの剣は少しずつ欠け、腕も痺れていく。それほどまでにとんでもない膂力だ。

 遂に大振りの一撃が迫り、私は弾き飛ばされた。

「そうですよね。あなたほどの英雄相手に、剣のみで斬り合おうなど、傲慢でした」

 私は触手を展開させる。

 そう。

 私は卑しい食人植物の疑似餌、エリチェレンなのだから。化け物は化け物らしく戦わせてもらおう。

 ペルセウスは盾をこちらに向け、石化の魔眼を見せつけてきた。

 だが、私には届かない。触手の先に付いた眼球が代わりに目を合わせ、石化を肩代わりした。ヤマルギアに眼球はないが、私身体の一部であれば無理矢理作り出すことはできる。

 石化していく触手を切り離し、私は距離を詰めていく。いよいよ剣の切っ先が届きそうになったとき、ペルセウスは盾を手放し、こちらへ放り投げた。

「やばっ、」

 私は思わず目をつむり、めちゃくちゃに剣を振って盾を弾く。だが、それが仇となった。

 重い盾を手放したペルセウスは、俊敏な動きで私の胴を両断し、ヘファイスティアの右腕を切り落とした。

 あまりの早業に、視認が追いつかなかった。ただ、激痛のみが危機を知らせる。

「ならばこれで!」

 私はヤマルギアから霊気を引っ張る。そして触手に集束させ、爆散させた。閃光が辺り一帯を支配する。これで一瞬とはいえ隙を作れた。

 次の瞬間には、身体中から毒々しい色の花が咲き乱れ、私は意識を失った。

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