百花繚乱のエリチェレン(第3話)【カリアスの妹】
ヘファイスティアはアレクサンドリアの大図書館に向かうという。私たちはもうローマの市街地を抜け、郊外の森に達していた。
だが、まだヤマルギアの魔の手から逃れられたわけではない。私と瓜二つの、無数の疑似餌が追ってきていた。
「疑似餌と言いつつ、捕食しにかかってるわね」
私の偽物は、顔が縦に裂け、牙の並んだ真っ赤な口を開けた状態で走っている。
「エリチェレンとはそういうものだ。餌たる人間をおびき寄せ、そのまま呑み込む捕食器官でもある。お前の能力で動きは止められるんじゃないか?」
仇に手を貸すなど不愉快極まりないが、ここはそうするしかなさそうだ。
「仕方ないか。【荒れ狂う同胞よ。楽園の誰もが、私の祈りを拒みはしないだろう。止まれ】」
無数のエリチェレンたちは突然静止し、棒立ちになった。口をついて出た今の呪文はなんだろうか。こんなセリフ、師匠から習った覚えはない。
「少しは使えるようだな」
ヘファイスティアはまたしても炎を顕現させ、エリチェレンたちを焼き払った。
「ようやく邪魔がなくなった。転移するぞ。掴まれ」
ヘファイスティアは私に、外套の袖を握らせた。
次の瞬間には、景色が変わっていた。話に聞くアレクサンドリアの大灯台が、夜闇を照らしていた。
「さて、大図書館へ急ぐぞ」
「カエサルのせいで焼失したと聞いてるけど?」
「それは一部の話だ」
夜の大図書館に入り、中庭に行くと、途端に地面が開き、階段が現れた。
「魔術の無駄遣いね」
「まぁそう言うな」
秘匿協会と言いつつ、魔術を誇示しているようにしか見えない。やはり、神秘を狩りつつも自らは神秘を独占し特権に甘える、傲慢な輩の集団なのだろう。
「【大海】のモリアどの。ただいま戻りました」
薄暗い大広間の奥に向かってヘファイスティアが呼びかけると、壮年の男が姿を表した。
「【紅炎】か。エリチェレンなど連れ帰って、どうするつもりだ?」
嗄れた声で、男は問う。
「ヤマルギア狩りに使います。あとは、ユグドラシルを退けるのにも使えるかと」
ユグドラシル? なんのことだろうか?
「件の世界樹は我々の手に負えん。不可侵の交渉を続けるのが吉だ」
などと言って、モリアと呼ばれた男は早々に引っ込んでいった。私という新入りには、興味が無いようだった。
「さて、厄介な【大海】は帰ったようだし、カリアスの弔い合戦でも始めようかな?」
突然少年の声がした。振り返ると、見たこともない装束の子供だった。華美な装飾の首飾りを着けている。
「ユグドラシル。早速のお出ましか」
言いながらヘファイスティアは炎を浴びせる。問答無用で殺しにかかっている。なにか恨みでもあるのだろうか。
「ひどいなぁ。僕は世界樹とはいえ、木だよ? 可燃物だ。気軽に放火するなんてどうかしている」
ユグドラシルと呼ばれた少年は、こともなげに返す。無傷どころか、服が焦げた様子もない。何者なんだ?
「一介の学者だったカリアスに余計な知識を授けて、何がしたい?」
「それは、彼が妹を失って悲しんでいたから、転生させる方法を教えてやっただけさ。魂の器としてヤマルギアの疑似餌を選んだのは、彼の趣味だよ。僕が責められる謂れはない」
なんだと? カリアスは、師匠は、妹の魂をエリチェレンに込めたのか?
つまり私は、師匠の妹?
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