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子どもの言葉が「母の私」よりも深くにいる「私」を見つけてくれた。

子どもの頃、誰にも負けないくらい好きだったものがある。
それは、お花。

中学・高校の頃は、近所のお花屋さんに入り浸るくらい好きだった。大学生になると母の日近くにお花屋さんでバイトした。大好きだった。

子どもの頃の「好き」を大人になった今も鮮明に覚えている人はどのくらいいるのだろうか。今も好きでい続けているのだろうか。



私の場合は、社会人になり、母になったことで、忙しさを理由に自分の好きなものを少しずつゆっくりと、気が付かないうちに忘れた。

あんなに好きだった花を買うことも育てることも減った。

大人とはそういうものだと思っていた。



ある休日に、

「ママは今日何がしたい?」
「おやつはどのお菓子にする?」

と、旦那さんからのクエスチョンがあった。私はほんの数秒で、

「親が2人そろっている日は貴重だから、思い切りお外遊びができたら子どもがHappyかな?お外遊びセットと着替えを持って○○公園に行こう。たっぷり遊んでもいいように、おにぎりを作って持っていこう。レジャーシートも一応持って行こう。上着はどうしようかな、天気予報を確認しよう。」
「このお菓子なら、もし子どもが食べたいと言ったらシェアできるなぁ。チョコレートはまだ食べさせたことがないからやめておこう。これはナッツ入りだから却下。」

と、思考をめぐらした。
ここに、自分の意志や好みはちっとも入っていなかった。母軸で過ごしている時間が圧倒的に長くて、咄嗟の判断はいつも家族にとって正解かどうか。



社会人の忙しさに、母としての役割に、ぶんぶんと振り回されて、その中心にいたはずの私がどんどん見えなくなっていた。



ある日のお散歩中、子どもが急に止まって、言った。

「ママ、みて。いーっぱい、おはなだよ。」

大人の目線からは見にくい位置にコスモスが咲いていた。

子どもの目線まで下がって撮ってみた。

「コスモス、って名前のお花だよ。 ママはね、お花が大好きなの。」
と伝えた。
そしたら、
「わ~~~~!!!おしえてくれて、ありがとう!!!」
とにこにこの笑顔で言った。泣きそうになった。


その時に、ぶわ~~~~~とまるで走馬灯のように、子どもの頃を思い出した。
たんぽぽを摘むことが大好きだったこと。よそのお庭のアジサイを摘んで怒られたこと。花の名前を知っている数でクラスで1番になったこと。近所のお花屋さん。お花屋さんでバイトしていた日々。


「おしえてくれてありがとう」は、鼻水が出たことを知らせてくれたとき、弟が泣いたり、危ないときなどに私が子どもによく言う言葉だった。

いつもは私が伝えている言葉。それを子どもから言ったことで自分が救われたような気持ちになるとは思っていなかった。
「おしえてくれてありがとう」は、「母の私」よりもずっと深く真ん中にいる「私」を見つけてくれた気がした。好きなものをいつまでも好きなままでいていいよ、と言われたような。泣きたくなった理由はたぶん、そういうところ。



それから、子どもと好きなものの話をしておうちに帰った。
第一子(2歳2カ月)は「ドーナツ」が何よりも好きなんだそう。週末はドーナツを買いに行こう。そして私の大好きなお花を買いに行こう。

そう決めた平日のお散歩時間だった。






明日もいい1日になりますように。



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