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子どもの意外な許容範囲。母の我慢は不要かもしれない【子育てエッセイ】

平日の朝、私はものすごく自分が好きな音楽を聴きたかった。

ハイキューの「オレンジ」
ヒロアカの「ひたむき」
呪術廻戦の「more than world」

でも、朝は子どもたちが「おうた、つけて~~~!」と映画Singで使われている曲を流すように言われるのが鉄板。

ぐっと自分の希望を我慢しようと思っていた。



でも、とりあえず子どもたちに試しに聞いてみた「ママが聴きたいお歌つけてもいい?」と。



そしたら、子どもたちは「うん、いいよ!つけよ~~~!」とあっさりと許可してくれた。

私が一人で勝手に朝は子どもたちが好きな音楽をつける時間だと思っていただけだった。

YouTubeをつけて、「オレンジ」を流す。

子どもたちは2人とも初めて聴くはずの曲にノリノリで、第二子は手をパチパチさせて喜んでいた。「もう1回」のジェスチャーまでしている。

私もめちゃめちゃテンションがあがるし、朝食の用意ははかどるし、子どもたちはいつもと違う音楽が聴けて楽しそうだし、結果的にいいことしかなかった。



だぶん、今までの私だったら、自分は自分で聴きたい曲があってもぐっと我慢して、子どもたちが好きな曲をかけて、「なんで私ばかりこんなに我慢しなきゃいけないんだろう」と無意識のうちに思って、いつもより少しだけいらいらしていたと思う。

ママだから子どものことを優先しなきゃいけない

という縛りがいつも心のどこかにあって、ママも1人の人間なのに生まれてくる感情を無視してしまう。「本当はこれがしたい」「本当はあれがしたい」全部聞こえないふりしてしまう。



でも、1回子どもたちに自分の欲求を通してみたら。

そこには高いハードルなんて全然なくて、私の好きなことを一緒に楽しんでくれる子どもたちの姿があった。

私も子どもたちの欲求にすべて応えられるわけじゃないように、「ママはこれをしたい」が子どもたちにとって却下されることもあるかもしれない。でも、聞かないで勝手に我慢していらいらを溜めてしまうよりは、子どもたちにもママの欲求を伝えてもいい気がしている。

なんだか、ものすごく子どもたちとフラットな関係性であれた朝だった。



親と子じゃなくて、
1人の人間と1人の人間。



対等な関係って、きっとこんなかんじ。
子どもを中心にするときもあるけれど、私が中心の日もあってもいい。



そんなことを教えてくれた朝だった。



明日もいい1日になりますように。



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