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初めて作品と呼べる写真ができた / 二つの公募展を終えて

0.余談


どうも。こんにちは。JongMin(ジョンミン)です。
今更の呼び名紹介ですが、周囲の友人には”ジョンちゃん”、”ジョンジョン”あたりで呼ばれています。その理由は二つあります。
一つ目の理由に、”ジョンミンくん”だと音節と言うのでしょうか、”ん”が三つもあって呼び難いから、”ジョン”で省略しました。
二つ目の理由は、英語のJohn(ジョン)と発音が似ているので、イングリッシュネームとして使えるからです。
ですので、以後執筆するNoteでは、「どうも。こんにちは。ジョンちゃんです。」で統一したいと思います。

中々のどうでも良い話でした。

最近、うれしい出来事がありました。
春に応募した二つの公募展で、どちらも入選をしました。作品名は「湯けむり通りの恋人」
公募展の名前は「芦屋写真展 2022」と「第20回記念 JPA(日本写真作家協会)公募展」です。詳細は記事の最後にリンクを貼っておきます。

兵庫県立美術館 原田の森ギャラリーにて

どちらの公募展も県立美術館で展示がされるくらい、それなりの規模だったので、会場に行ったときは素直に嬉しかったですね。写真をプリントすること、プロの写真家さんに審査してもらうことは貴重だと、改めて実感できました。同時に、入賞した作品を見ながら、自分の課題にも気づいたので、学びを文章に起してみようと思います。


1.写真家としてのキャリアスタート

 私は写真展に行くと、作家さんの作品にも感動するけど、彼らの経歴に目が行きがちです。巨匠たちの経歴を見ながら、自分の作家としての歩みを俯瞰してみようという試しみをよくしています。例えば、決定的瞬間の写真として有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンは、私と同い年の頃には、まだ画家志望だったようです。日本人に愛される画家、フィンセント・ファン・ゴッホは、20代の頃はまだ聖職者志望だったみたいです。

芸術をやること、じっくり時間をかけたいものの、「時は金なり」の感覚に慣れている現代人の我々にとっては、難しいこと。その中で結果を求めすぎず、気の向くままに作品制作に集中するために、巨匠たちの経歴を見て、自分を俯瞰する時間は、とても重要です。

「ガクチカ」のネタにしないし、履歴書に書いたところでという経歴なので、非生産的だと言われてしまえば、残念ですが、”写真を撮っている”という感覚は強く実感できました。あたり前なことですが、”いいね”の数なんかよりも、写真を撮っている感覚とリアリティの方が大事です。

芦屋写真展で

以前も趣味の延長戦で個展をした経験はあるけど、この感覚とリアリティを獲得できて、私ははじめて自分が写真家的なことをしているという気持ちになりきりました。「湯けむり通りの恋人」という作品が、自分が写真家としてのキャリアを積んでいくスタート地点になったのは間違いないです。

2.入選をした・入選止まりだった。

次に、今回の結果に関する冷静な振り返りです。
結果として、入選。一万点以上ある作品の中で百点くらいの中に選ばれたことは、まず嬉しく思います。おそらく美大の入試同様、写真展の審査も床に並べられた数千枚の写真が一気に見られて、結果が決まるだろうと想像すると、はじめての応募にしては、我ながらよくやったなと。

しかし、「入選した」ということは「入選止まり」だったともとらえられる。「入賞はしなかった」ということ。入選は言い換えれば「選ぶけど、賞を与えるほどではない写真」との意味

審査員の好みはあるとは言え、ある程度、客観的に評価された結果、私の写真は賞を与えるほどではなかった。という解釈もできるでしょう。

JPA公募展で入選した「湯けむり通りの恋人」Ver.モノクロ

芸術という曖昧で、抽象的な世界において、自分の作品における美学的価値がある程度、定まれらたということ。作品を制作する人たちの最もの悩みは、「人にどう感じられるか」という部分なのではないかと個人的に思う。伝わらなくてもよい、と考えることもできるけど、それはどうしても一人よがりになってしまう。作品である限りは「見てもらう」前提に制作する必要性もあるだろう。

上のような文脈において、今回の結果は、自分の創作論に影響を与えました。

3.写真と画像、保存・展示場所の違い

今回の展示に向けて、額装作業をする中で、ふとした疑問がありました。
”今、写真をプリントする人がどれくらい、いるんだろう?”
インスタグラムに画像(イメージ)をアップし、それを写真と呼んでいる今。画像も写真の枠に含んで考えるべきか、画像と写真は分けて定義付けなければいけないのか、考えさせられました。

個人的な見解としては、
写真は実体を持つ。実態があるから、質感がある。コンビニでプリントすることもできれば、業者にお願いして、特殊な紙にプリントすることもできる。

画像は実体を持たない。写真のイメージだけが見られる。イメージを共有することはできても、手に持つことはできない。

しかし、どうだろう。写真が紙にプリントしないといけないというルールはないので、画像をスマートフォン(質感にあたるもの)で見せるとなれば、また画像も写真の領域に組み込まれるので、画像と写真の境界は鮮明ではない。のでは…?

写真の見せ方一つだけでも、画像と写真の違いがあり、かなり考えさせられる。

保存方法も異なる。
画像はデータとして保存され、劣化しないだろう。
しかし、プリントされた写真は自然光や湿気などで劣化する。でも時の流れによる変化が、また作品を味わい深くするのであれば、また意味は変わるだろう。

最後に場所性の違い
作品を介して議論が行われる場所が美術館・ギャラリーか、オンライン上の空間か。

私のスタンスとしては、どっちも、それぞれできることがある。
例えば、展示作品をSNSで公開しても、展示作品の価値が下がるとは思わない。作品のイメージを見るのと、作品の実体を見る体験は得られるものが、異なるからです。
だからといって、イメージを見ることが無意味であることはない。だから、個人的には、無理のない範囲で多様なメディア媒体を使用したいです。もちろん、従来の古典的なやり方も突き詰めていきたいという想い。こうしたスタンスは中途半端なのでしょうか?

4.これから

個人的な目標としては、今月中にモノクロフィルム写真の現像・印画に挑戦すること、将来的にはモノクロフィルム写真だけを撮って、現像・印画までできる状況を整えたいです。

そして、今回、偶然ですが展示会場で写真クラブに入らないかという声をかけて、いただき会員になりました。いつも展示場所や機会に困っていたので、こういう声掛けはとてもありがたい。引き続き場数も踏んでいけそうな予感がします。

 私にとって、コーヒーがLike・Rice Workだとしたら、写真はLike Workで続けたいもの。様々な写真家としての活動の仕方がある中で、写真クラブの中で活動するということは、メタバース美術館があるこの時代には、もしかしたら少し古い写真やり方かもしれません。しかし、日本、そして世界には、まだまだ写真クラブの文化が多く残っていて、各国が合同写真展を開催し、写真という視覚媒体を通して、交流していることを、今回の展示を通して実感できました。


次は合同展・会員店にもフィルドを広げながら、公募展での入賞を目指して、作品制作に励みたいと思います。これからも誠実にシャッターをきっていきます!


・写真展詳細
第20回記念 JPA(日本写真作家協会)公募展
https://jpa-photo.jp/
芦屋写真展 2022
https://ashiyaphoto.jp/photo/index.html#a02


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