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日本人にはヒッタイトの血が流れている?!古代、ヒッタイト民族はどうやって日本に渡来したか?①

イギリスのオックスフォード大学の歴史教授は「日本人にはヒッタイト民族のDNAが受け継がれている」と断言します。
では彼らはどうやって日本に来たのでしょうか?
日本にはヒッタイト由来の地名がいくつかあります。例えば、大分県の日田、茨城県の日立(常陸)など。これらの地名は、ヒッタイトから来ているそうです。

またヒッタイトといえば鉄!
ヒッタイト民族は日本でも製鉄技術も行ったそうですが、ヒッタイト由来のたたら製鉄との関わりがあったと言われているのが、播磨(はりま)。
播磨は今の兵庫県。
実際、石川播磨重工業(IHI)という企業も存在します。
ヒッタイトは、鉄を武器にアナトリア平原で勢力を誇った後、滅亡します。しかし国は滅んでも民族は生き残り、メソポタミア周辺に小さな国をつくり、それは今のトルコにつながることとなります。

そしてもうひとつ、ヒッタイトの血を引くと言われているのが、鉄を武器に中国の歴代王朝を脅かした、遊牧騎馬民族の「匈奴(きょうど)」
古代、秦の始皇帝は北方騎馬民族である、匈奴からの侵入を防ぐため、万里の長城をつくります。
さらに時代は下り前漢の時代、中国三大美女と呼ばれる王昭君(おうしょうくん)がいました。王昭君は皇帝の後宮にいた美女でしたが、皇帝の命令で匈奴の首長に嫁ぎます。
それくらい古代の中国にとって、勇猛な匈奴は無視できない存在でした。

その匈奴(きょうど)は、縄文後期から弥生初期にかけて鉄を持って、中国、あるいは韓国から海を越えて、日本にやってきたそうです。
実際、日本の縄文は青銅文化。
争いを好まなかった縄文人は、銅を中心に銅鐸などの文化で栄えました。
そして渡来系の弥生人は鉄を使い、圧倒的な武力で国造りをはじめます。
また日本に渡来したヒッタイト系民族は、関東から東北地方のほうに、蝦夷と呼ばれる原住民の一つとして国をつくり栄えた、と言われています。
蝦夷とは当時の大和朝廷に従わない民族を、まとめて呼んだ総称みたいなもので、ひとつの民族を表したものではなかったようです。
しかし平安初期、平安王朝により本州のほぼすべての、蝦夷と呼ばれる民族は討伐され滅びました。

昔のことなので本当のことはわかりません。
でもトルコ人と日本人の共通の先祖と言われている匈奴。
知れば知るほど、さまざまな渡来系民族が日本に来たのは間違いないような気がします。


















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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン