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神武天皇はヘブライ出身?⑧ ~天孫降臨と秦氏~

先日、神武天皇の3つの出自説で、ヘブライ説も書きました。
今回はさらにヘブライ説について掘り下げます。

約3000年前、南北ヘブライ王国の滅亡後、ヘブライ人は世界中に散ります。これが離散(ディアスポラ)。
離散した10支(部)族のうち、日本にやってきたのがユダ族。
ユダ(族)がなまって、ハタ・ハダ(秦)氏になったそうです。

諸説ありますが、神武天皇はヘブライのユダ族出身。ユダ族は王位継承権を持ちます。古事記では、神武天皇の名前は神倭伊波礼比古命 (カムヤマトイワレビコノミコト)。これはヘブライ語で「立ち上がれ!ユダヤの初子である神の民よ!」の意味。
天皇の紋章の一つである獅子は、聖書ではユダ族のシンボル(紋章)
この獅子が日本に渡来後、神社の狛犬となります。お正月に見られる獅子舞は、疫病退散や邪気払いの意味を持ち、日本人の信仰の対象となっていきました。

下記のイラストはヘブライの契約の箱(別名・契約の聖櫃(アーク))。
〈豪華装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』のイラストより〉

ヘブライのアーク(聖櫃)と日本の神社の神輿は、確かに似ています。


(飛騨・位山の巨岩の一つ)

神武天皇とヘブライのつながりは、飛騨の位山にもあります。
位山は巨石がつらなる霊山で、神代からの聖地。

飛騨口碑では約2000年前、位山で、神武天皇は両面宿儺(スクナ)から王位を授けられます。ヘブライ語で、宿儺は「神が依りつく地域に住む人々を統治する」という意味だそうです。神武天皇は宿儺から、(神の地を治める)統治王の皇位を授けられました。
宿儺は人名でなく、飛騨王国?で代々受け継がれた役職名で、それは5世紀にヤマト王権の軍略で飛騨王国が滅亡するまで続きました。

(以前登った位山登山道のマップ。巨石群登山道にストーンサークルがつらなっています)

天照大神のモデルとされるアマテルですが、イザナミから生まれる際、位山のイチイの木でできた笏(しゃく)を使って、アマテルを包んでいた砲衣を切り裂きます。時代が移り変わっても、位山のイチイの木でできた笏は、王位伝承の証として、新しく天皇が即位する度に、位山から贈られました。
位山のイチイの木は、漢字で「一位」。「ヤマト(日本)」という国を治める資格を、位山の一位(イチイ)の木の笏を持つことにより、帝位の継承という形を取っているのかなと思います。

奈良時代、天智天皇即位の際も、位山から贈られた記録が正史に残り、令和天皇即位の際も、位山のイチイでできた笏が贈られました。
約2000年前、宿儺から始まった天皇への王位継承は、「位山の笏」を授かるという儀式で、歴代の天皇の即位に欠かせないものとなりました。

(飛騨の語源である「日抱(ひだ)」岩。 ~位山登山道~)

江戸時代まで、神武天皇をはじめとする歴代の天皇の尊称は
「スメラミコト」

スメラは「統べる」をさし、ミコトは身分が高い人の敬称でした。
日本語で「スメラミコト」は、「天に代わって国を統治する者」。
天皇は、古くは帝(みかど)と呼ばれました。帝とは天皇の位。

一方、ヘブライ語で「スメル」は「神を任命」、「神の名前」の意味。
同じく「ミカド(帝)」は、「良い統治者」、「祝福された開拓者」。
そして「聖なる天降る者」
をさします。

神話の世界では、神武天皇やニニギ尊など、高天原から「天下った」天孫降臨により、日本の天皇家は始まります。

それゆえ、天孫降臨の神々は「天津神」
出雲を始めとする土着?の神々は国津神

天孫降臨の子孫である天皇をさした「ミカド(帝)」がヘブライ語で、「聖なる天降る者」を意味するのは興味深いです。
天孫降臨した人々を「聖なる天降る人々」と位置づけ、そこから(天孫降臨した人々の)王位獲得の「正統性」を示すのが、ヘブライ語における天皇・帝が引き継ぐ霊統。

古事記では、九州の高千穂に(現在の)天皇家の先祖が降臨し、九州を手中にした後、近畿地方に向かいます。この天孫たちが、日本という国の領土を少しずつ獲得していくさまが、ヘブライ語の「ミカド」である「祝福された開拓者」という意味と重なります。

ヘブライの王位継承権を持つユダ族が九州に降臨し、国土を獲得。
のちにそのユダ族の嫡流が、ミカド(帝)として日本を統治。天孫降臨の神話は、これらの(ミカドの)皇統を伝えています。


天孫降臨も、ヘブライ語で読み解くことができます。

神武天皇の出自には諸説あり、本当にヘブライ系だったかはわかりません。ただ日本語にはヘブライ語と同じ意味を持つ単語が3000語以上あり、何らかのつながりがあったのは確か。

(ヘブライ説では)神武天皇は王位を継承するユダ族出身で、このユダがなまり、秦(ハタ)氏になります。
それは日本正史において、秦氏が出現した始まりでした。

次回は平安期、さらに秦氏と深くつながっていた桓武天皇の謎。
平安京は秦氏が活躍する新天地でした。
はるか昔、日本にやってきた秦氏たちは、富士山王朝と合流し、現在の日本でも活躍しています。それが三井財閥や住友財閥、三菱財閥など。

数秘術で、出雲族は『8』という数字を好み、秦氏は『3』を好んだとあります。そして、太陽の化身とされる、三本足の八咫烏は『3』と『8』の両方の数字を持つ霊鳥。

縄文後期からフィクサー(黒幕)として活躍続ける秦氏の謎を追います。



〈参考文献〉



本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン