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環境マネジメントシステム 信頼と期待の区別

「責任」と「信頼」はいわば”コインの裏表”であって「責任を果たすことで信頼を裏切らない」ことが積み重なれば社会は良い状態を維持できる、前回はこのようにCSRのイメージ作りをしました。

確かに、「責任を果たすこと」は良い社会を「維持」するうえでとても大切です。
しかし、我々が社会活動や生活を継続して行くためには、これだけでは足りません。
現に困ったことがたくさんあるからです。
困ったことをそのまま残したまま維持されても、困りますね。

つまり、今後これらを解決へと導き、未来を担う役割としての「期待」が不可欠です。
いわば「信頼」の兄弟分である「期待」が必要なのですが、肝心なのは、この両者を区別し、それぞれに適した「別々の活動」を実施することが必要だということです。
この両者を混ぜてはいけないのです。

今回は、このことを、「環境マネジメントシステム」を例にとって示していきます。

「環境マネジメントシステム」および「ISO14001」という言葉は、多くの社会人に共有されていると思われます。
そして、とても残念なことに、両者とも、その評価は極めて低く、侮(あなど)られているのが実情でしょう。
「あんなものは役立たずの金食い虫だ」「とっくに卒業だよ」といった本音を何度も耳にしました。
読者の皆さんにも「いまさら環境マネジメントシステムなどに興味はない」と言われてしまいそうです。

こうした現実を十分に認識したうえで、あえて、以下の文章を提示します。
読者の皆さんには少なからず新しい「見方、見る角度」に気づいて頂けるものと信じています。
そのことがきっかけで、環境マネジメントシステムの有効活用につながってくれたら、とても嬉しいのですが…。

前置きはこのくらいにして、本題に入ります。
まず、環境マネジメントシステムを「環境」「マネジメント」「システム」に分けてイメージ作りをしておきます(ISO14001については別の機会に詳しく取り上げるつもりです)。
この3語が担っている重大性を実感して頂くためです。

最初の「環境」は、ここでは、「人間の生存条件」と理解しておきます。
我々人間が(健康に)生きていくためには、
「陸地が必要である」
「(人間にとって)清浄な空気が必要である」
「(人間にとって)清浄な水が必要である」
「(人間にとっての)適温」
「(人間にとって好都合な)生態系」
「(人間にとって好都合な)自然条件(たとえばオゾン層)」
といった条件が必要です。
人間が健全に生きていくための(外的な)条件、それらをひっくるめて「環境」と名付けた、と考えてみましょう。
これだけが「環境」ではない!という反論もあることは承知しています。
でも、仮に「人間の生存条件」だけに限定したとしても、これらを守っていくだけでもとても大変ですよ。
ことによると、すでに手遅れで、守れないかもしれません。
それに、「我々を取り巻くすべてが環境です」などと言ってみても、「何もしない」「座して死を待つ」という結果に陥ってしまうと思われます。
そうであれば、あえて環境を「人間の生存条件」と定義してしまって、まずはそれらを守る努力を現実的に取り組む道を選びたい、と私は思っています。

次に「マネジメント」です。
これは、英語の「manage」という動詞の名詞形「management」です。
この動詞は「magage to~」という不定詞をとって、日本語では「なんとか~する」「(苦労しながらも)~する」というニュアンスで訳されます(英和辞典をご確認下さい)。
したがって、マネジメントは「なんとかかんとかうまくやっていくこと」くらいの意味です。
スマートな日本語が見当たらないのは残念ですが、むしろこのまま理解した方が適切だと考えています。
へたに「管理」や「経営」などと訳してしまうと、かえって理解しにくくなってしまいます。
もう少し丁寧に説明をすると、仮に「両立しにくい2つのこと」があって「どちらも大切で捨てられない」ならば、当事者はどうするかというと、「なんとかかんとかうまくやっていく」しか方法がない、ということがあります。
たとえば、ビジネスの世界でも
「納期とコスト」
「残業時間と納期」
「品質とコスト」
「性能と耐久性」
「製品寿命と売上高」
など、こうした対立関係が頻発しますから、常にマネジメントする(なんとかかんとかうまくやっていく)必要があるのです。

環境マネジメントシステムにおける対立関係は、「環境と現価値」です。
この「現価値」とは私(筆者)の造語でして、
「安全、衛生、快楽、自由、満腹、健康、長寿、便利、安心、平等、など」を指し、資本主義下の現代企業・組織が、商品やサービスの提供を通じて、社会貢献の目的として大切にしている価値です。
前述の・・・
「納期、コスト、残業時間、品質、性能、耐久性、製品寿命、売上高」は、企業にとって「現価値」を支える大切な指標であると同時に、何よりも経済活動の目的(つまり収益)に直結しますから、企業活動・組織活動は「現価値」とは極めて相性が良いのです。

したがって、「環境」という価値がいかに重大であると(頭のどこかでは)認識していたとしても、企業や組織は、現価値(と仲の良い実益)を大切にすることを選ぶのが通例で、環境問題に対しては「総論賛成、各論反対」の状態に陥りがちになるのです。

加えて、「環境」は長年「無料のゴミ捨て場」として扱われてきたので、わざわざ費用や労力や時間をかけてまで守ろうとは思わないのです。
環境問題への取組みは、真っ白なキャンバスに絵を描くのではなく、すでに極彩色でグロテスクな絵が描いてあるキャンバスの上に美しい水彩画を描こうとしているように、厄介なものなのです。

いずれにせよ、「環境と現価値」は対立関係にあるので、しかも両方とも大切で疎(おろそ)かにできないので、私たちがこの2者を両立させようとすれば、マネジメントすなわち「なんとかかんとかうまくやっていく」しかないのです。

そこで、具体的な手法として、国際規格ISO14001には「環境マネジメントシステムの骨組み・枠組み」として、各組織内のルール体系(これが次項の「システム」です)を”収納”するための「PDCAサイクル」という枠組みが示されています。(PDCAサイクルについては詳しく後述します。)

最後に「システム」ですが、これは「その組織内のルール体系」と理解しておいて下さい。
たとえば、駅の券売機やジュースの自販機といった機械は一種の「システム」です。
これらはコインを入れてボタンを押せば、指令通り(指示したとおり)の切符や飲み物が出てきますが、そうなるようにいくつかのルール(指令)を矛盾なくつなげてあるので、最初の指示(押されたボタン)通りの商品が出てきます。
さて、組織(企業や自治体など)にはたくさんのルールが存在します。
そもそも組織とは「同じ目的のために継続的に努力をしている集団」ですから、複数の人たちで共有するたくさんのルールができあがります。
ルールのない集団は単なる「烏合の衆(うごうのしゅう)」なので、組織とは呼べません。
組織にたくさんのルールがあることは当然なのですが、それらすべてが矛盾なくつながっている状態であれば、その一団を「ルール体系」と呼びます。
ここで「体系」とは、たとえば「法体系」のように、「てっぺんに憲法があって、その下に数十個の基本法があって、さらにその下に個別法があって、地域毎に条例がある」というように、樹形図のように膨大な法規制が広がっていますが、そのすべてが憲法に違反していないという意味で「矛盾なくつながっている」ので、「…体系」という名をつけてよいのです。
同様に、組織内のたくさんのルールが矛盾なくつながっていれば、ルール体系と呼び、それを「システム」と名付けます。

こうした「システム」つまりルールたちを矛盾なく整備・収納しておくための枠組みとして「PDCAサイクル」が提示されています。
しかし、これに対しても根深い誤解や早とちりがあって、その本来の効果が得られていないことが多いようです。
多くの場合、「PDCAサイクルとは、計画(P)、実施(D)、検証(C)、見直し(A)、である」と雑に読み流してしまいますが、これでは誤解が生じます。
もう少し丁寧に「計画通りに実施しているかどうか検証して(ここに是正・修正を行いつつ)全体を見直し続けること」というふうに、続けて読むべきです。
とりわけ、「計画通りに実施する」というところが極めて重要であるにもかかわらず、軽視(ほぼ無視)されています。
詳細は後述しますが、「計画」が正しく設定されてさえいれば、「計画通りに実施する」ことは簡単ではなくなり、実施するための様々な工夫や変更が不可避となる運命にあり、それによって「検証」も不可欠になる、という実に理にかなったつながりを持っていることが分かります。

さて、ようやく「信頼」と「期待」の話に入れそうです。お待たせしました。
PDCAサイクルのPつまり「計画」の中には「二本柱」があります。
それは、「メンテナンス」と「イノベーション」、
つまり「現状維持」と「現状否定(挑戦と飛躍)」、
すなわち「信頼を裏切らないこと」と「期待に応えるため挑戦すること」
です。
企業であれば、「売れ筋の商品」を持っていますね。
売れているその商品は、(企業にとっても顧客にとっても種々の意味で)「良い状態」なので、その良い状態を維持(キープ)するために、「現状維持」つまり「メンテナンス」の努力を続けます。
この場合は、たとえば「不良品を出さないように」「納期を守れるように」「性能が落ちないように」「事故を起こさないように」といったリスクを管理していけば良いのです(これだけでも大変な苦労ですが…)。
これが「メンテナンス」つまり現状維持の活動で、企業内では製造部門が担当します。これが「一つ目の柱」です。
一方で、企業は売れ筋の商品を持っていたとしても、それだけに満足して現状維持ばかりに注力していると、ライバル会社がコスパやデザインを超える新商品を産み出せば、売れ筋の商品がたちまち売れなくなることは簡単に想像できるので、より優れた未来の売れ筋商品を生み出すための努力を継続します。
これが「イノベーション」の活動で、ここでは(メンテナンスの活動とは違って)現状に満足せず、むしろ現状の水準を否定して、「今の力では不可能だが、必要性・ニーズがある高い到達点」を目標として設定して挑戦していきます。
これが「二つ目の柱」で、企業内では研究開発部門が担当します。

「メンテナンス」と「イノベーション」、良い企業として存続し続けている企業は、例外なくこの両輪がうまく継続的に機能しています。

ここでとても大切なことは、「イノベーション」の計画をするときに、「必要な目標」を立てることです。
これを「できる目標」に値引きしてはダメです。
繰り返しますが、「今の力では不可能」なほどに「高い到達点」になってしまうことが少なくないのです。単に「目標「と表現するよりも、「最終到達点」という意味に理解しておくとよいでしょう。
二つ目の柱「イノベーション」の目標設定のステップで、「必要であれば、今の実力ではできない高水準であっても、値引かず、諦めずに設定する」ことが大切(不可欠)で、その理由は、もし「できる目標」に値引きしてしまうと、PDCAサイクルの「DCA」が不要になってしまうからです。

たとえば、「地球温暖化を抑制する」という社会的なニーズに着目して「二酸化炭素を出さない自動車を製造・販売する」という目標を立てることは「必要な目標」の設定になっているので、正しいイノベーション計画と言って良いでしょう。
なぜなら、「今の自分たちの力では不可能」なのだから、「足りない知識・ノウハウ・経験をもった人材を補強しよう」「現状の実験設備や製造インフラの入替えが必要だ」「資金確保のための選択と集中を断行しよう」といった「D」実施ステップでのいくつかのアクションが前向きに検討されざるを得ない、という流れができてくるからです。
しかし、「ゼロ(100%削減)は難しいから10%削減くらいにしとこうぜ」などと目標設定を値引きしてしまえば、現有の資源(人材、ノウハウ、インフラ、資金など)から何の変化もなく(細々とした改善を重ねるだけで)達成できる見通しが立ってしまうことがあります。
これではまるで「現状維持」の延長線です。

「イノベーション」活動を、「現状維持(メンテナンス、信頼を裏切らない、今できていること)」活動と混在させてはいけません。
こうした「値引きした目標設定」では、「PDCAサイクル」全体が不必要になり、「P(計画)」だけ完了されてしまう(完了したと勘違いされてしまう)こともあります。
とりわけ「地球温暖化を抑制する」といった「環境」におけるニーズに対処する場合では、こうした「目標の値引き」の横行が目立ちます。
しかし、ビジネス上で、たとえば「コストを半減させなければライバルに負けて売上が10分の1になる」となれば、「コスト半減」という目標を、たとえば「10%削減などという楽な目標」へと値引きすることなどあり得ません(座して死(倒産)を待つのであれば別ですが…)。
「今の実力ではできない高い水準の目標」であっても、プロとしての知恵やノウハウを駆使して、挑戦し続けて決して諦めない姿勢が、健全な企業・組織のあり方でしょう。
もうお気づきですね。「環境」は「現価値」と両立しにくく(二律背反に近いことも多く)、しかも現代人にとって両者とも捨て去ることができないとても大切な価値だからこそ、企業や組織が今後新たにこれら双方の価値を尊重していくために、ルール体系の整備において不可欠なのが「真っ当なPDCAサイクル」「値引かない目標設定のイノベーション活動」「必要な高い目標に対して、プロとしての知恵やノウハウを駆使して挑戦を続け諦めないという姿勢」なのです。

繰り返しになりますが、「期待」に応えるために必要なのは、「挑戦すること」「現状に甘んじないこと」「現状を否定してでも新たな境地に踏み出すこと」「努力を惜しまず挑戦を続けて決して諦めないこと」であって、その出発点は「必要な目標」に限定することです。
ここを「できる目標」に値引いてしまっていることこそが、多くの企業の環境マネジメントシステムが、侮(あなど)られるような「低水準の代物」に陥っている根本的な原因である、と考えています。(神様に「地球温暖化を鎮めて下さい」とお願いしてもムダなので…)

CSRにせよ環境マネジメントシステムにせよ、「張りぼて」「見せかけ」「やったフリ」は、実力以上の「信頼」を利害関係者に与えてしまうという意味で危険です。
「信頼を裏切らない」ことが「責任を果たす」ことである以上、「真の姿を超えた虚栄・虚像」は、裏切る危険性を自ら高めているとも言えるでしょう。
「ウォッシュ」すなわち「うわべだけを取り繕うこと」ような状態に陥らないよう、注意したいものです。

CSRや環境マネジメントシステムに続いて、数年前にSDGsが登場しました。
これも同様で、「SDGsウォッシュ」に陥らないように、企業や組織は気をつけなければなりません。
具体的にどのように進めていけばよいのか、これについても「信頼」と「期待」がヒントを与えてくれます。 そのお話は次回に。(*^_^*)

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