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【エッセイ】カボチャの種

この人には有事の際に敵わないだろうな、と思う人がいる。
とある料理店の女性店主だ。
有事なんて縁起でもないが、言いたいのはシンプルなこと。彼女には与えられた場で生き抜く力が敵わないだろうということだ。

末の息子を出産して産後3カ月ほどたった頃、とりつかれたように貪り読んだ本がある。

『戦争中の暮しの記録 保存版』(暮しの手帖編集部編,昭和44年,暮しの手帖社)

戦後22年となった1967年、『暮しの手帖』が「戦争中の暮しの記録」の投稿を呼びかけて集まった1736編のうち、135編を掲載したものだ。戦時下における市民の体験が切々と綴られている。

産後間もなく赤ちゃんの睡眠も途切れ途切れなこの時期に、わずかな時間を見つけては繰り返し読んだ。様子を見に遠方から駆けつけてくれた実家の母を心配させてしまうほどに。

頁から息遣いが立ち上がる。
ある母親は空襲の折にガード下で煙にまかれ、背におって苦しげな子のために自分の鼻をかんで湿らせた手拭いを小さな鼻に押し当てた。ある母親はあの日の広島で息子を探し歩き、地獄のような原爆投下後の街を直視し、ついに息子を見つけられなかった。
大切な命が次の行に進むだけで簡単に失われてゆく。

授乳が済んでまどろむ息子と一緒にブランケットにくるまって、泣きながら読んだ。寝入る寸前の赤ちゃんはぽかぽかと温かい。
時代や環境が変わっても親が切実に子を思う心は不変なのだという当たり前の気付きに、産後の不安定な心が強烈に痺れた。

日々の空襲はさることながら、戦後の食糧難も恐ろしい。昭和初期の彼らは日々の食卓を工夫し、便の悪い交通事情の中でも食糧調達に出かけ、力強く生きていた。手記の中には食べ物についての記憶が生々しく残されていた。
有事の際ーー戦争や自然災害、あらゆる難しい場面でーー私は自分の家族をこの手で守れるのだろうか。

話は戻ってとある料理店の件。
店の前の駐車場に並ぶ発泡スチロールの箱。その中にはネギ、青菜、季節の野菜がずらりと植えられている。どれも青々として元気いっぱいに葉を伸ばしている。当初は窓の外に1列に並んでいた箱は日々増殖し続け、隣の敷地に食い込まんばかりだ。
与えられた場所で生き抜く力がある、そう思うのは先の本の中で出会ったひとつのエピソードが頭にあったから。
飢えている日々の中で、道端でカボチャの種を拾った家族の話。

「猿蟹合戦ではないが、この種をまいて育てよう、そんな気長なことを本気で考えた。母と力を合わせ、玄関の僅かな余地に、リンゴ箱を置いた。幾度となく襲う警戒警報のあの唸るようなサイレンを縫って、(中略)その中に種をまいた。
(中略)
毎日大きくなるのを、なめるようにさわっては楽しんだ。ーカボチャが食べられるー。それは想像もつかない喜びだったのである。」
(先の本「かぼちゃの葉」より一部抜粋)

カボチャはこぶし大の実を6つ(うち2つの若い実はもぎ取られて盗まれてしまう)つけ、爆撃からも生き延びて唯一の食糧となった。実も葉も、茎まで綺麗に食べ切り、家族は命をつないだ。

いま、戦時の切迫した食糧事情とは違う時間を過ごしている。路地で野菜を育てても盗まれる心配はないし、空襲で焼けてしまうこともない。
それでも彼女なら、いざという時拾った種からでも立派なカボチャを実らせ、子どもの腹を満たせるのではないか。そんなガッツがある。

実は店の中に入ったことはなく、横目に通りすぎて野菜の生育を見守っているだけだ。
私が知っているのは水やりをする女性店主のこざっぱりとした横顔と、彼女の足に巻きついてホースからこぼれる雫に手を伸ばす幼子の姿。



(追記)

50年後に再度手記を募った新版も出ています。時間が経ってもこんなに鮮明に記憶が残っているなんてと驚くとともに、忘れられないという痛ましさも感じます。
『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』(暮しの手帖編集部編,2018年,暮しの手帖社)

編集に入りきらなかった拾遺集も2冊出ています。
戦中編『戦争が立っていた』(暮しの手帖編集部編,2019年,暮しの手帖社)
戦後編『なんにもなかった』(同上)


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