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大きな樹を見て思うこと

大きな公園の中に、とても広い原っぱがあります。その原っぱの真ん中に、とても大きな欅の樹が一本あります。
冬のこの季節に、この欅の樹を見るために、この公園に足を運んでみると、秋にはすべての葉が落ち葉となって、今は葉はないけれど、伸びやかに大きく横に広がる枝の姿はとても美しく、凛々しささえ感じます。
枝を大きく横に広げる樹姿は、欅が本来持っている特徴の様です。
 
四季を通して、この欅の樹を眺めていると、葉のない、冬の寒い今頃の樹姿であっても、春や夏の緑豊かな葉があるときの樹姿であっても、この欅の樹は存在感があり、惹きつけられてしまいます。
この欅の樹が、人の手が加えられず、自然に成長して来た樹姿だからそう感じるのでしょうか。 

一方、よく見かける街路樹として植えられている樹は、枝が広がり過ぎない様に剪定されたり、枝が広がらないように品種改良されたものが殆どの様です。 

春、夏、秋、冬と四季を通してこの原っぱにあるこの欅の樹を見ていた時、一つの疑問が脳裏に浮かんで来ました。
それは、どうしてここに、こんな大きな欅の樹が、一本だけあるのかということでした。
その訳を知りたくて、この公園で植樹担当をしている方に、直接ヒヤリングをしたり、自らも関係資料を探して調べて見ました。

それに拠ると、この大きな欅の樹は、この公園をつくるために植樹されたものではなく、ここに公園が
出来る前から、既にこの場所にあった樹の様です。

今ある、この公園の中の広い原っぱは、この一本の大きな欅の樹をそのまま生かして、この樹を中心に原っぱを整備していった様です。

いつの頃のことでしょうか。どこからか風に吹かれてこの地に辿り着いた小さな一つの樹の実が、この地で地中に根を張り、雨と太陽に育てられ、やがて地上に芽を出し、そして長い年月ずっとここで立ち続け、葉を繁らせ実を結び、毎年訪れる春夏秋冬を幾年も越えながら、こうしてここまで大きく成長して来たこと、そしてときには厳しい気象にも晒され、それでも逞しく生きて来たことを思うと、この樹に威厳と尊さを感じます。

そして今、こうしているこの冬の間にも、枝の体内では新しい葉になる芽がつくられているそうです。そして春になると、枝ばかりであった枝に、少しずつ新しい葉が出はじめ、そしてやわらかな色あいの葉が徐々に増えて緑色の葉になっていきます。

その頃になると、この欅の樹の下に、くつろぎや、木陰の心地よさを求めて、人々が集まって来ます。そして虫も鳥もやって来ます。人にとっても、虫にとっても、鳥にとっても大切な樹となります。 

この樹が発見されたのは、今から40年くらい前だそうですが、その頃は、樹高が約17m、幹周りが約2.5mで、樹齢は約80年と推測されていた様です。

そして、それからさらに樹は大きく成長し、40年ほど経過した今、この欅の樹は、幹周りが4.5m程度、樹高も20m近く、枝張(半径)は16m程度まで大きくなって来ました。
幹周りと枝張り長さを体感するために、実測してみることにしました。
実測するとき、樹の幹を触ると、ごつごつしていましたが、どことなく柔らかで、温かな感じがしたのが不思議でした。

日本では、地上から1.3mの高さで測った幹周りが3m以上あるものは、巨樹と規定されていますから、樹齢が約120年のこの欅の樹は、巨樹ということになります。

樹というと、呼吸するための酸素を与えてくれたり、空気をきれいにしてくれたり、また木材として使用するといった実用的な面が語られることが多いですが、ときには思索を深める場をつくってくれたり、心を癒やしてくれたりと、精神的な拠り所にもなってくれたりすることにもあります。

振り返って見ると、日本には古くから樹とともに生きて来た暮らしがありました。そして神として樹を崇めて来た文化もありました。

そこには、長く生き続けて来た樹に寄り添い、それに草花も加わり、虫も、鳥も、動物も、そして自分もそういう相互の繋がりの輪の中で、共に生かされて来ているということに、共生しているということに感謝したいと思います。そしてそれを大切にしていきたいと思います。

今度、何処かで巨樹に出会ったときは、話しかけてみようと思います。そのうち樹の気持ちがわかるようになるかもしれません。そんなことをふと思いました。


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