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大事なのは反省より分析

反省なんかしなくていい

いきなり凄い始まりですが、誤解のないように補足します。

「自分を責めたりサゲるくらいなら、反省なんかしなくていい」

という意味です。

私も以前はそうでしたが、自分を責めるような反省をし、自分を責めたくて、自分を責めることで罰を受けたような気になっていました。自分が傷ついたんだから、それで良しとする。このようなことを、「悲劇のヒロイン症候群」と言います。

ちなみに、「悲劇のヒロイン症候群」とワード検索してみたら、「悲撃のヒロイン症候群」という、ちょっとイタそうなアイドルグループが出てきましたが、そのグループのPRではありません(笑)。まぁこの際、PRになってもいいですけど(笑)

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これも何かのご縁ということで、再生数が一番多かった『グリーフ』という動画を貼っておきます。

初めて知りましたが、ビジュアルからイメージするよりしっかりしていて、そんなに悪くないですよね?

「悲劇のヒロイン症候群」とは言い換えれば「メンヘラ」でもあるので、そういう感じの歌詞もありますが、意外と共感が持てるところもあって、個人的には野苺みくるの推しになってしまいました(笑)

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ちょっと話がズレますが、特にアイドルグループは、広告塔や発信源の役割があります。ある意味アイドルという一つのプロフェクトの顔であり、歌は、プロデューサーが伝えたいことを、アイドルに歌わせる、というものだったりします。秋元康氏がAKBグループを使って、情報を発信する、ということです。

そういうことなら私も、クロちゃんじゃないですけど、道楽アイドルグループを作ってみたいものですね(笑)別に彼女を作るつもりはありませんが(笑)

こう見えて私(どう見えて?)、アイドル好きなんですよね。特に乃木坂の与田ちゃんこと与田祐希さんは、最も可愛い顔だと思っています。

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ほら、ただの天使でしょ?

え?まだ見たい?

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はい、ノックアウト〜!!


・・・大幅に脱線しましたが、反省について話を戻ります。

反省なんかしなくていいと言ったのは、メンヘラ反省のことです。やや強引に脱線話から話をつなげましたが(笑)、もちろん悔い改めることも必要です。ただ、人に言われて「反省させられる」のは違うということです。

「反省しなさい」という言葉の罠

人にさせられる反省は、「お前が悪い」「お前が間違えた」「お前が直さないといけない」と押し付けられることになります。そりゃ、犯罪をしたり、事件を起こしたのなら別です。

特に、仕事でミスをしたり、人間関係で傷つけてしまったりした時に、当然謝る事は必要です。しかし、ヤラカシたからと言って、完全に自分が悪いとは限りません。昔の私は、「全て自分が悪いんだ」と自己卑下して、自分を傷つけたりもしました。それは反省とは言えないかもしれませんが、そんな風に自分を悪く言ったり、自己イメージを下げたり、何より「罪悪感」を持ってしまうことが、自己エネルギーの低下を招きます。

「セルフイメージを上げる」という言葉をよく耳にしますが、まさにそういうことです。仕事でうまくいかない理由は、過去のミスや自己イメージの低下によって、うまくいかないことがほとんどだと思います。逆に、うまくいっている時は、成功体験があって自信ができ、自己イメージが高い状態だと思います。それで調子に乗ると、鼻を折られるようなことが起こったり、うまくいきすぎて怖くなった自分自身によって、失敗を引き寄せることもあります。そういうのも、「罪悪感」や「自己イメージの低さ」が潜在的にあると、積み上げたものを崩してしまうこともあります。

反省よりも「道楽的分析」

以前、「人はまず失敗するようにできている」という創作ことわざを配信しましたが、これも、「失敗しちゃいけない」と思うから恐怖が生まれて、失敗したことに罪悪感が芽生えてしまいますが、「そもそも失敗する」ということが前提にあれば、見方は変わります。

その為に必要なのは、反省ではなく「分析」ではないかと思います。分析とは、事象の内容や性質、メカニズムなどを、客観的に見るということです。
反省と分析は似て日なるものです。仮に、仕事で失敗をしてしまった時、反省をすると、なぜこんなことをしてしまったのかという感情が入ってしまうんですよ。なので、失敗の原因を分析したとしても、自分を責めたり、誰かや何かのせいにしてしまうと思います。

しかし、分析をしようと思えば、客観的に見ることができます。失敗の原因を自分だけに見るのではなくて、上司のプレッシャーであったり、働き方に問題があったり、その出来事がいかにして起こったのかということを、俯瞰して見られます。それをもっと深い視点で見れば、その失敗は起こるべくして起こり、何らかの意味を感じることもできると思います。その時は、怒られたり責任を取らされたり、辛い経験になりますが、そう言う経験を乗り越えれば乗り越えるほど、人は成長するものです。

その時には、その失敗の"せい"で悩み苦しんだかもしれませんが、その出来事をしっかりと分析して、洞察していけば、その失敗の"おかげ"で、その後に成功するものです。反省して自分を責めていたところで、そこには辿り着けないでしょう。それは、ただの分析ではなく、「道楽的分析」と名付けることにします(笑)

反省に潜む「支配」

反省は悪いことではないと思いますが、使い方によっては、自己イメージを下げさせ、自分の支配下に置きたい、という思惑が隠れていることもあります。特に、子育てにおいては、子供が悪いことをしたら、反省させることがあります。私も昔は、真っ暗なトイレに閉じ込められたものです(笑)
泣き叫んでドアを叩いて「ごめんなさい!ごめんなさい!」と誤ったものですが、よくよく考えれば、トイレが使えなくなって困るのは家族の方です。暗闇を我慢することができれば、トイレを我慢できなくなった親が自ずと開けに来るでしょう。それで、ケロッとしてたら、親としては余計にイラつくかもしれませんが(笑)

子供を叱ることは大事ですが、時として、自分に都合よくする為に、反省を強いることもあるのではないでしょうか?子育てだけではないですが、「反省」の使い方は、気をつけないと誰かに都合よく支配されてしまうことがあります。だからこそ、反省よりも分析の方が必要で、自己イメージを下げる反省ではなく「道楽的分析」提唱したいと思います。


追記

このコラムで取り上げた「道楽的分析」について、私が所属している「道楽舎」にて、さらに深掘りして、掘り下げたコラムを三部作で配信しております。

よりディープに取り上げておりますので、ぜひこちらもチェックしていただければと思います。ついでに、道楽舎をフォローしてくれてもいいんですよ?(笑)

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