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【第一回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『北沢庄司の奇妙な習慣』

「・・・なんで、ここはシナジー生み出して・・・でさ、我々がベンチマークにしてるのはあそこなわけでしょ?だったらさ・・・まぁだからさ。一旦ゼロベースで考えてみようよ・・・うん、それはいい質問だね・・・結局さ、どれだけ誰もやってないソリューションをギブできるかってことじゃない・・・」

 ガラス張りの会議室で若きIT社長は熱弁をふるっていた。男の名前は北沢庄司。ジーパンにTシャツで髪の毛はツーブロック。スニーカーはイージーブーストを履いている。

会議室には五人いて、それで満席だった。これも、コンシューマー向けのサービスを生み出す会議に大人数が参加しても碌なものができないんだよね、だからさ元から少人数でしか話し会えないアーキテクチャを作り出そうよ、という北沢の声で決まったのだった。

 今日は経営会議で、一通り喋り終えた北沢は、部下の報告を聴きながら徐にスマートフォンを取り出した。

「最近会えてない。。」
「やっぱり忙しいよね笑」
「ごめんね」
「会いたいよ」

 こういったメッセージを眺めながらも、北沢は部下の報告にある穴を聞き逃さなかった。テキストメッセージと、それに続く悲しそうなクマのスタンプに既読をつけてから、いや、それは違うんじゃない?と声に怒気を孕ませぬよう注意しながら指摘し始めた。キレるとか感情を昂らせるとかはもう古い。そういう時代じゃない。努めて論理的に、心地のよいトーンで喋りかける。そうすれば反抗もされなくなるし、同席している女性とディナーを楽しむことだってできる。指摘を終えた北沢は最後ににっこりと微笑んで、お昼だね、じゃあこんぐらいで。あ、いま言ったところ修正お願いね。

「北沢さん、一緒にランチしませんか?」

 会議室からデスクへ向かう途中、案の定会議の女性からこんなお誘いが。だがこの男は丁重にお断る。ちょっとまだ仕事が残ってるとかなんとか言って、おまけに野口英世まで渡して最近近所にできた地中海オーガニックランチを出す店に行くという彼女を見送った。

 しかしながら、今日の彼には急いで片づけねばならぬ仕事などない。かといって先ほどのクマスタンプに返信をするわけでもない(ちなみに1週間後彼はこのアカウントをブロックする)。

 彼はトイレットの個室へと向かった。

 自分の股間にスマートフォン内蔵カメラをかざしている時、決まって北沢の脳裏にはある映像が浮かび上がる。今やどのテレビ局の何の番組だったかさえ定かではない。ひょっとしたら何かの映画だったのかもしれない。分かっているのはそこがカリフォルニアの路上であるということ。サングラスをした白人の女性がさんさんと照りつける太陽の下でインタビューに答えている。とはいえ何について語っているのか判然とせず、唯一ハッキリしているのは彼女の口から出たセンテンスに「男性器」を指す英単語が含まれていたことだけである。

「・・・ピィネィス・・・」

 「コーヒー」が実は「カーフィー」で、「トマト」が実は「トゥメイトゥ」であるように、「ペニス」は「ピィネィス」なのだ。遠い昔の彼はモニターの前でこの「ピーナッツ」を彷彿とさせる発音に出くわし、その後陰陽どちらの気分も抱くことはなく、かといって忘れることもなく、三十路を迎えようという今の今までずっとこの出来事は記憶の一席を占め続けているという次第だ。

「チェケラッチョマイティンティン。これが俺のアイデンティンティン」

 フォロワーにとっては最早お決まりとなったこのフレーズとともに、北沢は自身の屹立した性器をアップロードした。このアクティビティを始めた当初は何らかの「オカズ」に頼らぬ限り北沢のジュニアはしなけ続けるのみであったが、今やトイレットでジーパンを下ろせば反射的にシニアへとグレードアップしてくれる。それゆえ撮影は至ってクイックに遂行されていくこととなる。帰宅したらうがい手洗いをするように、投球前のピッチャーが白い袋をポンポンさせるように、このアクティビティは彼にとって欠かせないルーティンとして機能している。

 スマートフォンが震え、先ほどの投稿に早速「いいね」が贈られたことを知らせた。贈り主は画面を確認せずともわかる。じっと眺めると動いて見える渦巻きの錯覚画像をアイコン画像にしているあいつだ。これまでの投稿を見る限り北沢と同じく東京で働いているらしいが、それ以上の情報は知らない。性別も分からず無論実際に会って話したこともない。一度だけお見事とレスしてきたこともあったが、それも無視した。そんな扱いを受けてもなお、いいねを贈り続けるそいつはひょっとしたらプログラミングされた実体のないアカウントなのではないか?そう思いながら一仕事終えた顔つきで手を洗い、オフィスへ戻ると社員が、大変です。◯◯公司が他社に乗り換えるって言ってます。

 北沢庄司は飛んだ。窓に雨が叩きつけられる夜空を、上海へ向かってまっすぐに。この契約が立ち消えになればかなり面倒なことになる。

 食事も喉を通らず、機内食はキャンセルした。しかしながらCAから渡されたアドレス入りのカードをにこやかに受け取ることは欠かせない。胸騒ぎの腰つき。

 結論から言うと、彼は持ち前の交渉力で◯◯公司との信頼を回復し、ゲラゲラ笑いながら紹興酒を回し飲みするまでになった。その他、豪雨の降りしきる路上、びしょ濡れになり泣きじゃくる件のCAの肩を優しく抱くその手つき、そこから胸騒ぎの腰つきへと展開していく一連のシークエンスなどは、本滞在中の白眉と言って差し支えなかろう。全てが終わり、果てた時、全裸の彼女は掛け物にくるまりながらこう漏らすのである。

「結局みんなそれぞれの都合で好き勝手に、たまには傷つきながら生きてて、世界は全然ひとつになんかならなくて。ばらばら。でも最近はそれでいいんじゃないかなって思ってる。みんなばらばらのまま認めあってさ。もちろん一筋縄じゃ行かないけど、なんとか同じ場所にいるんだよ。それがこの世界でサバイヴしてくってことなんじゃないかな。私には私のサバイヴがあるし、北沢さんには北沢さんのサバイブがあるんだよ。この前エコノミーで赤ちゃん連れたママさんが居たんだけど、夜中みんなが寝てる頃に赤ちゃんぐずり出しちゃってさ、あー面倒なことにならないといいなって思ってたの、ママさんも周りに迷惑かけちゃいけないって必死にあやしててさ、でもやっぱり周りの人が起きちゃったわけ。しかもその中には顔つきの怖い太った白人のおじさんもいてさ、あー怒るのかなって思ってなんかあった時のために私も近づいてったんだけどさ、そしたらそのおじさん、赤ちゃんあやし始めたんだ。いないいないばあとかしてさ。それで赤ちゃんも機嫌なおして眠りはじめんだ。それでママさん申し訳なさそうに謝ってたんだけど、そのおじさんがさ、ノープロブレム、この子はベストを尽くしただけだって言っててさ。それ聞いたらなんか泣けてきちゃって。そうだよなぁって。どんな人だってベスト尽くしてるんだよなぁって。そう思わない?」

「ああ、そうだね」と言った北沢は優しく微笑んだ後に心地よい沈黙というものを作り出してから腕まくらを解き、ジーパンを履いてから口づけを交わし、部屋のトイレットへと消えていった。当然、尻ポケットにスマートフォンをねじり込みながら。

 その頃、地中海オーガニックを供する店の厨房では営業時間を終えたスタッフ達がだらけていた。どうせ帰ったってスマホいじって寝落ちするのがオチなら、ここで時間を潰した方がいい。明日休みだし。余った食材をテキトーに料理して、原価の何倍も吹っかけてるのに客が喜んで金を落としていくワインで乾杯した。とはいえやる事は家と変わらず、俯いてスマホをいじりながらたまに面白いネタがあれば見せっこしていた。

「なにこれwww、ちょwwwカオスwww」そう言って画面を掲げたのは優子だった。それを見た隆も、流石にアイデンティンティンは草、と言って楊枝に刺した肉片を口の中へと放り込んだ。それ以降北沢のライフワークに言及される事はなく、誰かがシティポップを流し始め、別の誰かがインテリアとしてホールに飾ってあったボードゲームを持ち込み、うわぁ、とかマジかーとかいった声が室内に広がってその晩はお開きとなった。

 隆と優子は電車が同じなので、座席が適度に空いた車内で例によってそれぞれの画面をスワイプしていた。

 すると急に優子が舌打ちをしたので、隆はなんだなんだみたいなちょい笑い顔でどしたんって聞いた。

「なんか友達がヒモにDVうけてて〜そんな男クソだから別れろつってんだけど全然切らないんよ。しかもそいつ借金してて、そいつのために性感で働くとか言ってんの。馬鹿じゃね?もういいわって感じ」
「シリアスか。そんなドラマみたいなんあんだ」
「それな。でももういいや。知らね」

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