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私には私にしか分からない幸福があると、抹茶ラテが確信させた

こんなキャッシュレスの時代に、愛用の貯金箱から小銭をかき集めて、コインケースに詰め込んだ。

「きっと1,000円あれば、今日の私は十分幸せになれる」


目が覚めて時計を見ると、時刻は正午を指そうとしていていた。

「まただよ、、もう自分が嫌になるな」

本当は午前中にちゃんと体を起こして、洗濯物を外に干して出かけたかったのに。

『一人でカラオケに行って、なんとなく歌の練習をする』というどうでもいい自分計画すら、すぐには実行できない自分に小さく絶望した。

もう世の中の午後は始まっていたけど、私はため息を吐きながら洗濯機をそっと回した。

結局どこに行くかは頭の中で決められないまま、化粧を始めてみた。

一人でカラオケに行くには出遅れてしまったし、そもそも街に出るだけで電車代はいくらかかるだろうか?

でも、今日は絶対にどこかに出かけたかった。
ずっと家にいたら、なんだか自分が終わってしまうそんな気がしていた。

「電車代があれば、一杯の抹茶ラテが飲めるじゃないか?」

そう思ったら今日はもう、自分の足で行ける場所に行くという発想しかなくなった。

考えてみれば、最近はどこへ行くにも電車かバスだったことに気づく。 

ニュース番組で注意喚起されるくらいの猛暑とはいえ、たぶん私の場合は少しくらい太陽に晒されたほうがいいはずだ。

最近お気に入りのキャップを被り、玄関の扉を開けた。

風で帽子が飛ばされそうになるのを押さえて信号待ちしていたら、普段助手席に乗っている有り難みをしみじみと感じてしまいそうになった。

「暑いけど、この後の一杯は絶対に最高になる」

そう思ったらこの猛暑すら受け入れられそうで、コインケースに詰め込まれた小銭たちもうずうずしていた。

目的地のエントランスに到着すると、冷房が心地良すぎて笑いそうになってしまったが、いけない、これでは不審者だと思い平然を装う。

おもちゃ売り場もゲームコーナーも、アラサーになるとなぜか一人では見づらい。

思い返せば、つい先日もそうだった。

誰も他人のことなんて見ていないと分かっていながらも、いわゆる『おもちゃ屋さん』で商品を購入した時、あたかも「子ども用ですけど?」と言わんばかりに、薬指のリングをどこよりも強調したくなった。
私に子どもはいないし、もちろんそのおもちゃは自分用だっていうのに。

本日の目的地であるカフェに到着した。
アイスミルクティー、アイスココア、アイス抹茶ラテで迷いすぎて、頭の中で何度も試飲した。

なんとなく、上に生クリームが乗っかっているほうがお得な気がしてしまって、アイス抹茶ラテを注文した。

「お待たせいたしました。」


そうか、このアイス抹茶ラテはシロップを入れることで完成するのか。

シロップで溶けていく生クリームを眺めながら、かつて友人が言っていた言葉を思い出したりしていた。

「食べかけや飲みかけにこそ、美学が詰まっている気がする。」

今日は電車で来ていないから、ある意味、帰りの時間を気にしなくていい。たまには、こういうのもいいなぁ。

この文章には何の目的も着地点もないし、どこで終わらせるかは私次第だ。

こうして書いているうちに、「一体私は何が言いたいんだろう?」ってなってきたりもしてるけど、それでも、

私にはこの時間があまりにも幸せすぎて、一人カフェで口角が上がってしまうのを抑えきれなかった。

家族がいても友人がいても、こうして一人、耳に音楽を流しながら、自分の感じたことをありのまま記す時間が私には必要であること、そしてそれこそが間違いなく私の幸福であることを、深く強く、軽やかに実感した。そんな夏のひととき。

今日のポエムはこれでおしまい



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