『しあわせ』とは? 僕なりの定義
僕は
「幸せになりたい」
と、漠然と思っていました。
みんなが求める『幸せ』
でも、
そもそも『幸せ』とはなんなのか?
あらためて考えてみたいです。
2つあります。
一つは「主体性」です。
もし、僕が“石ころ”だったら、
強い風が吹けば転がり、
水が押し寄せてくれば流されます。
難しく言えば、
“石ころ”だったら
“世界”に対して「客体的」です。
でも、
僕は“人間”なので、
強い風が吹いても踏ん張りますし、
水が押し寄せてきても
泳いだり高台に逃げたりして、抵抗します。
なすがまま、
されるがままではありません。
むしろ、
「思い通りにしたい」
「コントロールしたい」
と思います。
これを難しく言えば、
“人間”なので“世界”に対して「主体的」です。
僕は「主体的」になれたとき
『幸せ』を感じます。
この“note”は
ムリやり書かされてはいません。
“note”を書くとき、
自分が「主体性」を発揮して、
自ら書いているから『幸せ』を感じるのです。
もう一つの感覚が
“満たされる”です。
あなたが
4~6歳くらいだと想像してみてください。
たぶん、
「幸せになりたい」
なんて言っていないと思います。
「仮面ライダーやプリキュアになりたい」
と言っているかもしれません。
けれど、
スーパーヒーローや
ヒロインになれないと分かった時、
大きな傷がこころに刻まれます。
大人になるにつれ、
「“なにもの”にもなれない」
「思い通りにはいかない」
そういった傷をこころに刻んでいきます。
こころが『欠けていく』のです。
その『欠けた』が
一時的でも満たされたとき、
『幸せ』と感じるんじゃないか?
と思います。
だから、
みんな『欠けた』を満たすために必死です。
お金、
地位、
おいしいもの、
などなど、、、
僕も
いろんなもので、
『欠けた』こころを満たそうとします。
けれど、
どれも一時的で、
『欠けた』こころが
完全に満たされることはありません。
満たされない『欠けた』は
補いあうしかないのだと思います。
だから、
人間関係が大事なのです。
けっして満たされない『欠けた』を、
人間関係で補えあえたときに、
『幸せ』を感じることができるのでは?
と今、僕は考えています。
“note”で
「主体性」を発揮し、
「人とつながる」ことで
『幸せ』を感じていたんだ
とあらためて思いました。
皆様にとって、
『幸せ』の“意味”はなんですか?
ありがとうございました。
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僕は今まで
『幸せ』になるために生きているのだと
思っていました。
けれど最近は、
「僕が『幸せ』になったところでなんなの?」
と思うようにもなりました。
僕は飲食店で働いています。
人を笑顔にすることができます。
反面、牛や鶏の『幸せ』を奪っています。
世界は決して満たされることはありません。
皆様の“note”を読むと、悩みや苦しみとも多く出会います。
虐待やいじめなどの傷で苦しんでいたり、
がんサバイバーの方もいます。
僕の『幸せ』なんて、
ちっぽけでどうでもよく思えるのです。
自分の『幸せ』を追求するよりも、
みんなの“優しさ”で
お互いを補いあったほうが、
結果的に
『幸せ』な社会を生きられると思うのです。
いかがでしょうか?
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