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車椅子ユーザーへの道

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ある日突然始まった車椅子ユーザーへの道。 セカンドライフの始まりです。平凡な人生を送ると思っていた私に、こんなドラマが待っていました。
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#車椅子ユーザー

1.はじまり 〜車椅子ユーザーへの道〜

1.はじまり 〜車椅子ユーザーへの道〜

その日は何となく始まった。

私は更年期を目前に控えたお年頃。体の不調も多少感じ始めている。疲れは一晩寝ても取れないし、肩こり、目の疲れはマンネリ化していた。しかし、それもお年頃のせいと流す毎日。

その日もゴミを車に積み込み、日課のゴミ出しをしながら会社へ向かった。自宅と会社は400m。もちろん歩って行ける距離だがそこは田舎。ほぼ車移動で一歩たりとも歩かない。ほんの5分の通勤で会社へ到着。さあ

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7.大当たり‼︎ 〜こんなところで運を使うとは〜

7.大当たり‼︎ 〜こんなところで運を使うとは〜

宿泊予定の忘年会を一人早く切り上げて、夫が帰って来た。私の普段とは違う不安な声に気づいたようだ。

「私、脊髄に腫瘍ができていて、良性か悪性かを手術して調べるんだって」

いつも冷静な夫だが動揺している様子だった。

それから夫婦で主治医から説明を受けた。聞けば聞くほど、何やら面倒な病気らしいということが分かったてきた。

症例が少なく、私の住む県では年に1人か2人ということだった。日本人の胃がん

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8.準備開始‼︎

8.準備開始‼︎

入院は年明けの1月5日に決まった。もちろん初めてのことで、退屈しないようにと本を買い込み、スマホには大好きな福山雅治の曲をたくさん取り込んだ。

当時はサブスクなどというものはまだまだ普及されておらず、レンタルしたCDをPCへ取り込み、それをスマホへ。と今では考えられないくらい面倒な作業をしていた。

それを考えると今はなんて便利な世の中だろう。スマホ一台あれば、音楽、読書、映画…そして極め付けは

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9.久しぶりの一人暮らし⁉︎

9.久しぶりの一人暮らし⁉︎

病室は個室だった。オレンジを基調とした部屋で、洒落たソファーに観葉植物が置かれていた。シャワーにトイレもあるので、これでベッドが違えば、女子の一人暮らしの部屋のようだ。結婚して以来一人になるのは久しぶりのことで、若い頃の一人暮らしを思い出しちょっと浮かれていた。

病室に入ると直ぐにパジャマ(病衣)が渡された。早速着替えると私の適応能力が高いのか、病衣の魔法か分からないが、一気に病人感が増した。

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10.手術

10.手術

手術前の検査も終わり手術前日、先生から手術の詳しい説明があった。

脊髄にできる腫瘍は厄介らしく、運良く脊髄の外側にできていれば摘出できるが、内側だったら取れるだけ。神経を痛めれば障害が残るかもしれない。先ずは腫瘍が良性か悪性かを調べるのが今回の目的だった。

先生が数人集まって深刻そうな面持ちで説明を受けたが、医者はリスクを話さなければならないもの、と都合の良いように解釈して、それほど深刻に受け

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11.残された時間は…

11.残された時間は…

リハビリを済ませて退院して来た。坂道や階段は手すりが必要になり、長い距離を歩くのは難しくなった。それでも何とか自分の足で歩き、不便ながらも今まで通りに生活はできた。

しかし、良性の腫瘍とは言え、増殖すれば脊髄を圧迫して体の機能を失っていく。私の脊髄には腫瘍が残されたまま。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えていた。

それから一年が過ぎた頃…

足の痺れが強くなり、感覚も鈍くなってきていた。家の中

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12.選択

12.選択

いよいよ症状が悪くなってきていたため、MRIで脊髄の検査をすることになった。今回は閉所恐怖症を発動しないように鎮静剤を飲み準備万端。人間は学習する動物。回数を重ねると慣れるもので前よりは落ち着いていた。こんなことに慣れたくはないけど、でもドラえもんの歌にはお世話になってね。

初めての検査の時はこんな感じ↓

なんとか無事に終わり診察室に戻ると、脊髄の画像がPCに映し出されている。私の胸は不安と恐

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13.化学療法

13.化学療法

治療が始まった。
先ずは、数日に一度点滴で薬を体に入れる。その後、2週間に一度の間隔で投与を続ける予定だった。

投与を始めて数週間が過ぎた頃から体調に変化が現れた。洗髪のたびに髪が抜け始めた。覚悟はしていたものの、現実となるとやはり悲しいものだ。治療が終わればまた生えてくるのだからと思っても、こんな時に限って私の中の乙女がメキメキと顔を出してくる。髪は女の命と昔の人が言う意味が分かる。鏡に映った

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14.超ー!ベリーショート!

14.超ー!ベリーショート!

化学療法を止めると体調は回復してきた。食欲も出てきて体重も今まで通りに戻っていった。しかし、足の痺れや感覚の鈍さは悪くなる一方。化学療法の効果は無く、腫瘍の増殖を止めることはできなかった。

そして、体力も回復してきて、そろそろ次の治療を考えなければならない頃、運転免許の更新時期がやってきた。

田舎の交通手段と言えば車。車に乗らなければ自由に出掛けることもできない。杖を使って歩いてはいたが、更新

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15.ふたたび新婚旅行⁉︎へ

15.ふたたび新婚旅行⁉︎へ

いよいよ体も次の治療の段階へときていた。頭では大変なことになっていると理解はしているが、頭が回らない。悲しいとか怖いとかいう感情が麻痺して、なんだか他人事のようで、真剣に考えられない。私の脳が私の意に反して現実逃避をしているのだろうか。

それでも現実が変わることはない。残される治療はあと2つ。

1.腫瘍の摘出手術
2.放射線治療

私の腫瘍は脊髄と絡み合っていたので、放射線を当てると脊髄も一緒

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28.車椅子生活大作戦!

28.車椅子生活大作戦!

我が家もだいぶ車椅子仕様になってきた。

先ずはキッチン。好みのユニバーサルキッチンを選び、流し台は正面を向いて使えるようになった。お陰で車椅子を横付けして、身体をひねって調理する〝強制ダイエット〟から解放された。残念ながらダイエット効果は…。

壁にはネイビーブルーのタイルを貼り、ついでにキッチン用品は黒に統一した。何だかいい感じになってきた!

そしてファイヤーダンスさながらのガスコンロは、I

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29.喪服の誤算と笑いの結末 〜入院奮闘記〜

29.喪服の誤算と笑いの結末 〜入院奮闘記〜

我が家での生活も落ち着いてきた頃、手術を受けた背中に激痛が走るようになった。眠れない日が続き、様々な痛み止めを試したがどれも効果が薄く、急遽入院することになった。

一通り検査を行ったが、心配していた病気の進行はなく、しかし、激痛を和らげるためにモルヒネの24時間点滴が始まった。

すると眠気が襲い一日中寝たり起きたりを繰り返すようになった。医師からは「もし脳へ転移すると容体が急変することも…」と

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30.痛みに勝ってカロリーに負けた

30.痛みに勝ってカロリーに負けた

退院してからもモルヒネの服用で痛みのコントロールは続けることになった。痛みをゼロにすることはできないが、時々ベッドで休めば問題なく生活できた。

痛みが治れば時間はたーっぷりある。そこで思いついたのがパン作り。以前はホームベーカリーにお任せしてきたが、今回は手ごねに挑戦しようと思い立った。

車椅子でのパン作りは結構な筋トレ。座っているので体重がかけられず、腕の力に頼るしかない。

「オリャー!」

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31.車椅子ワンダーランド

31.車椅子ワンダーランド

パン作りにハマり、やりたいことが見つかると、もともとお家大好き人間が益々加速した。義母には「家ばかり居ないで温泉でも行ってきたら。」と言われるが、全然行きたいとも思わない。出かけるとなれば、バリアフリーだなんだと考えなければならないことは盛りだくさん。

むしろ感覚のない身体で温泉に入っても、入っているのか、入っていないのか、分からないのに入る意味って?鈍感な姑は平気で言ってくるので、文句の一つも

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