「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション後章」を見て不満に思った理由
原作未読だけど前章を見てぶち上がった民です。
前章がさ、ほんっとうに良くて今年ベスト来た!?!だったんだけど、後章を見てあれ?ってなってしまったんだよね
その理由を言語化できる気がしたので書きます
あれ?
1番あれ?を感じたのは終わり方だったんだけど、生き残るんかい!ってとこは好みになるから一旦置いておくとして、大葉が帰ってきた時にとてもあれ?を感じてしまったんだよね
理由としては、2人(特におんたん)にとっての「絶対」が揺らいでしまわない?(相対になる)と思ったから
絶対であることに理由は必要ない?
んー難しいんだけど
僕の意見では絶対において理由を必要としたい
例えば親からの絶対の愛とかって、一見無条件で理由がないように思えるけど、「親子である」って理由がちゃんとあるじゃん?(これってひねくれてるのかな)
だからさ、門出とおんたんはお互い絶対であるってそこの理由は何なんだろって思ったんだけど、助けてくれたとか、憧れとか、自殺に対する罪悪感から?とか理由になりうることはあるけど、それらが世界を滅ぼしてでもってことに敵うだけの理由たりうるかなぁーと
(十分な理由がなくても世界との天秤に勝つからこそ、『絶対』であるとも言える気がするから難しいんだけどね)
そう考えると(そこに理由がないとすると)大葉もおんたんにとっての「絶対」になれるよね、とゆーか誰でも良くない?に行き着いてしまいました
おんたんの兄はさ、おんたんが絶対だからって自宅警備員をしてたけど最後にそれは自分の為だったのかもしれないって気づいたわけじゃん?
家族であるって理由故の絶対でさえも、絶対ではなかったってことだよね
じゃあ理由のない絶対は本当の意味で絶対なのかな?
侵略者
世界の日常はこれまで通り続いていくわけで、2人の絶対の中に文字通り「侵略者」として大葉が来てしまった
これが意味するのって「絶対聖域」への侵略じゃないのかなって思うわけですよ
大学に入って、社会に出て、働いて
マンネリズムから外れたデデデデの世界を生きていく2人は恋愛もするだろうし、新しい友達も家族も増えるでしょ
2人は絶対であり続けたとして、そこに絶対的な理由がないのであれば、大葉が「絶対」になれるように今後も「絶対」は増えていくだろうし、兄のように「絶対」じゃないのかもと気づくかもしれない
そうなってしまうなら、それは絶対ではなく相対になっちゃうんじゃないのかな
これが僕があれ?って思った理由です!
(なんか揚げ足取ってるみたいで嫌だなって自分で思うw)
やっぱり
だからやっぱり2人は絶対って形でこの選択で良かったんだって、世界もろとも終わりを迎えてくれたほうがスッキリしたなぁって
時間軸は動いてるから、ドラえもんとかサザエさん的マンネリは出来ないしなぁあ
ちょーっとカタルシス不足であれ?が残ってしまったのが、前章が良すぎただけで悔しかったのであります
とりあえず、つべこべ言わずに原作を読んできます!w
↑前章&後章の感想です!読んでみてください!
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