加藤治郎

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記事一覧

#MeToo問題をめぐって

1)はじめに 11月27日に中島裕介が自身のBlogに掲載した「#MeToo」の文書を読んで、心を痛めている。中島は、私の人格と名誉を傷つけた。なぜ、このような文書が現れたか…

加藤治郎
4年前
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中島裕介に問う(2)

1)はじめに 現代における結社とは何か。選者とは、選歌とは何か。結社に所属する歌人にとっては大切な問題である。 中島裕介は「月に一首だけ出す」のは「選者に選をさ…

加藤治郎
5年前
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中島裕介に問う(1)結社と選歌

結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。 小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。 https://note.mu/jiro57

加藤治郎
5年前
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中島裕介に問う(1)結社と選歌

結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。 小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。 https://note.mu/jiro57

加藤治郎
5年前
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中島裕介に応えて(4)

「詩客」に掲載された「短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客」について述べたい。 1. ミューズ発言について シュルレアリスムという文学運動が女性アーティストに与えた…

加藤治郎
5年前
9

中島裕介に応えて(3)

 中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」は「問題として何より根深い」のは「水原に対して『ミューズ』という語を用いたこと」であるという。Twitterで、水原紫…

加藤治郎
5年前
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中島裕介に応えて(2)

「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論の初出は「フォルテ」4号(1990年発行)である。水原紫苑は、3号から同人になった。「フォルテ」は、ニューウェーブの…

加藤治郎
5年前
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言葉を危機に 『びあんか』をめぐって

『びあんか』(一九八九)は、水原紫苑の処女歌集である。     水槽の魚運ばるるしづけさを車中におもへばたれも裸体なり     菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素…

加藤治郎
5年前
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中島裕介に応えて(1)

小文は、いわゆる「ミューズ問題」について、主に中島裕介に応える形で綴るものである。Twitterが炎上したのが2019年2月17日であるから、今日現在およそ半年後ということに…

加藤治郎
5年前
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紙のエピタフ_1  混乱のひかり

どこから始めたらいいだろう。時の流れに沿うことがよいのか。 2018年6月2日は、起点となるだろう。名古屋の栄ガスビル。「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」…

加藤治郎
5年前
6

笹井宏之『ひとさらい』一首鑑賞

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす                    笹井宏之『ひとさらい』  ねむらない樹とは、子供に読んで聞か…

加藤治郎
5年前
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「没後十五年春日井建展」に寄せて 『青葦』のころ

 一九八四年に「現代短歌シンポジウム〈名古屋〉短歌VS劇」が開催された。春日井建は、会場に刊行されたばかりの『青葦』を用意していた。私は直ぐに購入した。そして、…

加藤治郎
5年前
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虚構の議論へ  第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて

                1  第57回短歌研究新人賞は、石井僚一「父親のような雨に打たれて」の受賞となった。沈鬱で現代的な父親への挽歌であった。選考会は…

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5年前
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氷山は溶ける。濱松哲朗、中島裕介に

「詩客」「短歌時評alpha」の濱松哲朗「氷山の一角、だからこそ。」と中島裕介「権威主義的な詩客」を折に触れて読んでいる。 二人の論考は自らの心身を削ったものである。…

加藤治郎
5年前
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書評:木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』

          光のように、風のように  木下龍也と岡野大嗣の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社、二〇一八年一月七日刊行…

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5年前
20

辻聡之『あしたの孵化』書評

             スティル・ライフ  表現の計量の確かな歌集である。破綻がない。実は破綻してもおかしくないモチーフがときおり現れる。それが丁寧に隙間を埋…

加藤治郎
5年前
13

#MeToo問題をめぐって

1)はじめに

11月27日に中島裕介が自身のBlogに掲載した「#MeToo」の文書を読んで、心を痛めている。中島は、私の人格と名誉を傷つけた。なぜ、このような文書が現れたか不可解である。
しかし、今後、個人のプライベートな領域を踏み荒らすようなことがなければ、私は、この件について法的措置を講じるつもりはない。
文学なかんずく詩歌こそが心の奥深くを照らすことができる。

2)今回の「#MeToo

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中島裕介に問う(2)

1)はじめに

現代における結社とは何か。選者とは、選歌とは何か。結社に所属する歌人にとっては大切な問題である。
中島裕介は「月に一首だけ出す」のは「選者に選をさせないため」であると公言した。重要な発言であると考えたので、中島に真意を問いかけた。その応えが、Twitterの中島のアカウントから発信された。2019年8月27日のことである。
私は、結社の現状に必ずしも満足してはいない。それゆえ、中島

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中島裕介に問う(1)結社と選歌

結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。
小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。
https://note.mu/jiro57/n/n30895f97efff



中島裕介が短歌結社誌「未来」に「月に一首だけ出す」理由が示されていた。伊舎堂仁のnoteに掲載された「山﨑修平インタビュー 20190705」にある。つまり、山﨑が中島に問

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中島裕介に問う(1)結社と選歌

結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。
小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。
https://note.mu/jiro57/n/n30895f97efff



中島裕介が短歌結社誌「未来」に「月に一首だけ出す」理由が示されていた。伊舎堂仁のnoteに掲載された「山﨑修平インタビュー 20190705」にある。つまり、山﨑が中島に問

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中島裕介に応えて(4)

「詩客」に掲載された「短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客」について述べたい。

1. ミューズ発言について シュルレアリスムという文学運動が女性アーティストに与えた影響は、功罪相半ばするものであった。女性アーティストの社会・家庭からの自立の契機となりながらも、一方で「ミューズ」という語に象徴されるように女性を過剰に讃美し、それが芸術における自立の妨げになった。概括すればそうなるが、個々のア

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中島裕介に応えて(3)

 中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」は「問題として何より根深い」のは「水原に対して『ミューズ』という語を用いたこと」であるという。Twitterで、水原紫苑をニューウェーブのミューズだと発言したことは、時代錯誤の妄言であるというほかない。二重三重の錯誤がある。
 まず第一に、これは私個人の回顧であり、ニューウェーブの仲間たちには全く関わりのないことである。「フォルテ」同人の中で異彩を放

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中島裕介に応えて(2)

「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論の初出は「フォルテ」4号(1990年発行)である。水原紫苑は、3号から同人になった。「フォルテ」は、ニューウェーブの拠点となった同人誌である。
「フォルテ」4号で、特集「水原紫苑『びあんか』の世界」が編まれた。坂井修一、中山明、穂村弘、大塚寅彦、小澤正邦、荻原裕幸、加藤治郎の7名が寄稿している。
 この4号刊行時点で『びあんか』は、同じく「フォルテ

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言葉を危機に 『びあんか』をめぐって

『びあんか』(一九八九)は、水原紫苑の処女歌集である。

    水槽の魚運ばるるしづけさを車中におもへばたれも裸体なり
    菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼の壺に処女のからだに
    浴身のしづけさをもて真昼間の電車は河にかかりゆくなり

 のびやかな調べで言葉に無理がない。が、力強い。リラックスしている感じを共有できるだろう。偶然だが、一首めと三首めは「しづけさ」を軸に裏返しの構

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中島裕介に応えて(1)

小文は、いわゆる「ミューズ問題」について、主に中島裕介に応える形で綴るものである。Twitterが炎上したのが2019年2月17日であるから、今日現在およそ半年後ということになる。また、中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」(「短歌研究」2019年4月号)からは、4か月半後である。
あまりに時間がかかっているが、その間に自分の考えも変わってきている。あながち空費したわけでもないと思っている

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紙のエピタフ_1  混乱のひかり

どこから始めたらいいだろう。時の流れに沿うことがよいのか。
2018年6月2日は、起点となるだろう。名古屋の栄ガスビル。「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」である。
https://wave20180602.wixsite.com/wave20180602/archives

 再結成のバンドの1日だけのライブパフォーマンスだ。30年前の曲を演奏する。荻原裕幸、西田政史、穂村弘、加藤治郎

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笹井宏之『ひとさらい』一首鑑賞

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
                   笹井宏之『ひとさらい』

 ねむらない樹とは、子供に読んで聞かせてやる物語のようだ。樹は眠るのかもしれない。昼間は起きていて、鳥や虫や子供たちが自分の周りにいる。樹は声を出せないけれども、じっとみんなの動きを感じている。夜になってみな寝静まると、自分も眠るのだ。
 でも、わたしは眠らない。それは自分

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「没後十五年春日井建展」に寄せて 『青葦』のころ

 一九八四年に「現代短歌シンポジウム〈名古屋〉短歌VS劇」が開催された。春日井建は、会場に刊行されたばかりの『青葦』を用意していた。私は直ぐに購入した。そして、署名をお願いした。
「こっちにいらっしゃい」
 春日井建は、ソファーに私を連れていった。数メートルだった。何か詩歌の奥深い世界へ誘われるようだった。

まひるまに夢見る者は危し
           春日井 建
       十一月十日
 

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虚構の議論へ  第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて

                1

 第57回短歌研究新人賞は、石井僚一「父親のような雨に打たれて」の受賞となった。沈鬱で現代的な父親への挽歌であった。選考会は、七月六日であった。
 七月十日の北海道新聞の朝刊に、早くも受賞の記事が掲載されている。その中にこんな一文があった。

  自身の父親は存命中だが「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」という。
 
 父親が健在

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氷山は溶ける。濱松哲朗、中島裕介に

「詩客」「短歌時評alpha」の濱松哲朗「氷山の一角、だからこそ。」と中島裕介「権威主義的な詩客」を折に触れて読んでいる。
二人の論考は自らの心身を削ったものである。私は骨身にこたえた。
「文芸の社会や歴史の理解が適切にアップデートされているか」(中島裕介)の指摘どおり、私自身の怠りが不用意な言動の根源にある。
その叱咤にどう報いたらよいか。私はそれを助言と受け止め、自分を変えてゆく。
その第一歩

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書評:木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』

          光のように、風のように

 木下龍也と岡野大嗣の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社、二〇一八年一月七日刊行)には、今までの歌集にない読後感があった。風が光りながら通り過ぎていったような感じがした。
「男子高校生ふたりの七日間をふたりの歌人が短歌で描いた物語、二一七首のミステリー」というガイドが帯に記されている。こういう枠組みがあると入りやすい

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辻聡之『あしたの孵化』書評

             スティル・ライフ

 表現の計量の確かな歌集である。破綻がない。実は破綻してもおかしくないモチーフがときおり現れる。それが丁寧に隙間を埋めて仕上げられている。

 雨粒のひとつひとつを飛び降りる者と思えば街の凄惨    「菊戴」

 雨の降る速さと人の落下する速さは同じだろうか。そんなことは考えてみたこともなかった。雨粒の数は無数である。それを想像力で「ひとつひとつ」と捉

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