虚構の議論へ  第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて

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 第57回短歌研究新人賞は、石井僚一「父親のような雨に打たれて」の受賞となった。沈鬱で現代的な父親への挽歌であった。選考会は、七月六日であった。
 七月十日の北海道新聞の朝刊に、早くも受賞の記事が掲載されている。その中にこんな一文があった。

  自身の父親は存命中だが「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」という。
 
 父親が健在であることは、当日、選考座談会の後、選考委員に知らされた。その経緯はこうである。
 選考は、匿名で、年齢、性別も伏せられたまま行われる。受賞作の決定後、作者名、年齢、所属が明かされるのだ。受賞者の年齢が25歳だと分かった。意外であった。「父親のような雨に打たれて」に表現されている父親は老人というべき年齢であると思われた。そうすると作者は五十代ぐらいだろうと漠然と感じていた。選考座談会の「選後講評」は、この段階の情報で行われている。どうもこのあたりから微妙な空気が生まれた。この父親はどうなのだろうということである。いつもどおり編集長から電話で受賞者に連絡を入れたのだが、その結果、父親が健在であることが分かった。
 まず第一に思ったのは、前衛短歌の方法の復活であろうということであった。虚構である。北海学園大学卒という情報もあった。北海学園大学といえば菱川善夫である。前衛短歌を支えた評論家である。今、前衛短歌の方法が有効であるか。様々な言説が浮かんだ。ともあれここは、受賞者の弁に耳を傾けたいというところに私自身は落ち着いた。

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 北海道新聞の記事を入手した。亡くなったのは父ではなく祖父であった。


 「スピードは守れ」と吐きし老人がハンドルをむずと握るベッドで


〈最初の七首は父のことが「老人」という形で歌われている〉と選考座談会で私は指摘した。閉鎖病棟の場面である。ここでは、現実の祖父をそのまま「老人」と歌ったのだと考えられる。


 遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて


 選考座談会で私は〈危篤の報せを受けたとき初めて「父」と出てきます。「老人」と意識していた存在から「父」という存在に移る〉と評している。一連のここに継ぎ目があるのだ。父の死という虚構が始まったのである。
 以下、私見である。〈祖父と父〉に〈父と自分〉を重ねる。この方法は錯綜して分かりにくい。主題は「自分自身の父への思い」である。「自分自身の」ということは現実のつまり生身の私を起点にしているということだ。現実の私と、現実の父、祖父が作品の起点にあるならば、祖父の死を父の死に置き換える有効性はあるのか。ありのまま祖父の死として歌う以上の何かが得られたのか。虚構の動機が分からないのである。父の死とした方がドラマチックであるという効果は否定できないが、それは別の問題を引き起こす。演出のための虚構である。肉親の死をそのように扱うのは余りに軽い。
 受賞作は零からの虚構ではない。普遍的な父親像として昇華したものでもない。ここが塚本邦雄の歌った父とは異なる。前衛短歌において虚構の純度は高かった。前衛短歌のような鮮烈で香り高い虚構は現代において成立しないのか。
 虚構という方法を通じて新しい〈私〉を見出さなければ、ただ空疎なのではないか。

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 小文は、八月三十一日に記している。この文を書くきっかけとなったのは「短歌研究」九月号の「受賞のことば」である。受賞者は父のことについて何も触れていない。伏せているのか、触れる必要がないと思ったのかは分からない。「短歌研究」の読者は、父の死が事実ではなかったことを知らされていない形になる。不透明感が付きまとう。
 どう情報を開示するかは、作者の自由である。ここで問題になるのは、情報の格差である。北海道新聞の読者は父の死が事実でないことを知り、おそらく「短歌研究」の読者の多くは(地方紙のため)それを知らないだろうということである。私は、選考委員の一人であり当事者である。「短歌研究」の読者への説明責任があると考える。そして、父の死が事実ではないことは、読者の作品の享受に影響を及ぼすと想定できるのだ。読者を無視した作品はあり得ない。
 授賞式は、九月十九日である。私は選評において父の死について現在知っている事実を伝えることになるだろう。父親が授賞式に現れるかもしれない。どうなるかわからないのである。その前に、Twitterで情報が拡散するかもしれない。新聞で発表された以上、既に公知の情報だからである。
ともあれ、今、手もとにあるのは、北海道新聞の記事のみである。受賞者の歌論が展開され、虚構の議論が復活するかもしれない。すべて可能性である。

初出:「短歌研究」2014年10月号

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