加藤治郎

加藤治郎

最近の記事

#MeToo問題をめぐって

1)はじめに 11月27日に中島裕介が自身のBlogに掲載した「#MeToo」の文書を読んで、心を痛めている。中島は、私の人格と名誉を傷つけた。なぜ、このような文書が現れたか不可解である。 しかし、今後、個人のプライベートな領域を踏み荒らすようなことがなければ、私は、この件について法的措置を講じるつもりはない。 文学なかんずく詩歌こそが心の奥深くを照らすことができる。 2)今回の「#MeToo」について クリティカルな内容であるにもかかわらず、全く心当たりのない内容のた

    • 中島裕介に問う(2)

      1)はじめに 現代における結社とは何か。選者とは、選歌とは何か。結社に所属する歌人にとっては大切な問題である。 中島裕介は「月に一首だけ出す」のは「選者に選をさせないため」であると公言した。重要な発言であると考えたので、中島に真意を問いかけた。その応えが、Twitterの中島のアカウントから発信された。2019年8月27日のことである。 私は、結社の現状に必ずしも満足してはいない。それゆえ、中島の「短歌結社の再定義 ――解釈共同体としての短歌結社」に注目し、昨年末に東京で開

      • 中島裕介に問う(1)結社と選歌

        結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。 小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。 https://note.mu/jiro57/n/n30895f97efff 〇 中島裕介が短歌結社誌「未来」に「月に一首だけ出す」理由が示されていた。伊舎堂仁のnoteに掲載された「山﨑修平インタビュー 20190705」にある。つまり、山﨑が中島に問いかけたという入れ子式の内容である。 https://note.mu/gegeg

        • 中島裕介に問う(1)結社と選歌

          結社とは何か。選歌とは何か。現代における結社の存在理由とは何か。 小文は、「中島裕介に応えて(4)」の「3.権力について」の延長線上にある。 https://note.mu/jiro57/n/n30895f97efff 〇 中島裕介が短歌結社誌「未来」に「月に一首だけ出す」理由が示されていた。伊舎堂仁のnoteに掲載された「山﨑修平インタビュー 20190705」にある。つまり、山﨑が中島に問いかけたという入れ子式の内容である。 https://note.mu/gegeg

        #MeToo問題をめぐって

          中島裕介に応えて(4)

          「詩客」に掲載された「短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客」について述べたい。 1. ミューズ発言について シュルレアリスムという文学運動が女性アーティストに与えた影響は、功罪相半ばするものであった。女性アーティストの社会・家庭からの自立の契機となりながらも、一方で「ミューズ」という語に象徴されるように女性を過剰に讃美し、それが芸術における自立の妨げになった。概括すればそうなるが、個々のアーティストの相互関係は多様である。両大戦間の混乱の時代において、多彩なアーティス

          中島裕介に応えて(4)

          中島裕介に応えて(3)

           中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」は「問題として何より根深い」のは「水原に対して『ミューズ』という語を用いたこと」であるという。Twitterで、水原紫苑をニューウェーブのミューズだと発言したことは、時代錯誤の妄言であるというほかない。二重三重の錯誤がある。  まず第一に、これは私個人の回顧であり、ニューウェーブの仲間たちには全く関わりのないことである。「フォルテ」同人の中で異彩を放った水原を「ミューズ」と言ったのは、その存在にインスパイアされたという個人的な思

          中島裕介に応えて(3)

          中島裕介に応えて(2)

          「言葉を危機に 『びあんか』をめぐって」という評論の初出は「フォルテ」4号(1990年発行)である。水原紫苑は、3号から同人になった。「フォルテ」は、ニューウェーブの拠点となった同人誌である。 「フォルテ」4号で、特集「水原紫苑『びあんか』の世界」が編まれた。坂井修一、中山明、穂村弘、大塚寅彦、小澤正邦、荻原裕幸、加藤治郎の7名が寄稿している。  この4号刊行時点で『びあんか』は、同じく「フォルテ」同人の辰巳泰子『紅い花』とともに、現代歌人協会賞の受賞が決まっている。 「フォ

          中島裕介に応えて(2)

          言葉を危機に 『びあんか』をめぐって

          『びあんか』(一九八九)は、水原紫苑の処女歌集である。     水槽の魚運ばるるしづけさを車中におもへばたれも裸体なり     菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼の壺に処女のからだに     浴身のしづけさをもて真昼間の電車は河にかかりゆくなり  のびやかな調べで言葉に無理がない。が、力強い。リラックスしている感じを共有できるだろう。偶然だが、一首めと三首めは「しづけさ」を軸に裏返しの構成になっている。 「水槽の魚運ばるる」という動的状態を「しづけさ」の中でとらえる

          言葉を危機に 『びあんか』をめぐって

          中島裕介に応えて(1)

          小文は、いわゆる「ミューズ問題」について、主に中島裕介に応える形で綴るものである。Twitterが炎上したのが2019年2月17日であるから、今日現在およそ半年後ということになる。また、中島の短歌時評「ニューウェーブと『ミューズ』」(「短歌研究」2019年4月号)からは、4か月半後である。 あまりに時間がかかっているが、その間に自分の考えも変わってきている。あながち空費したわけでもないと思っている。   加藤は(実際にどう考えているかは別にしても)「水原の容姿のみで人間性や

          中島裕介に応えて(1)

          紙のエピタフ_1  混乱のひかり

          どこから始めたらいいだろう。時の流れに沿うことがよいのか。 2018年6月2日は、起点となるだろう。名古屋の栄ガスビル。「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」である。 https://wave20180602.wixsite.com/wave20180602/archives  再結成のバンドの1日だけのライブパフォーマンスだ。30年前の曲を演奏する。荻原裕幸、西田政史、穂村弘、加藤治郎。最後に、4人、手をつないで、手を挙げて、来場者におじぎする。それで終りだ。あり

          紙のエピタフ_1  混乱のひかり

          笹井宏之『ひとさらい』一首鑑賞

          ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす                    笹井宏之『ひとさらい』  ねむらない樹とは、子供に読んで聞かせてやる物語のようだ。樹は眠るのかもしれない。昼間は起きていて、鳥や虫や子供たちが自分の周りにいる。樹は声を出せないけれども、じっとみんなの動きを感じている。夜になってみな寝静まると、自分も眠るのだ。  でも、わたしは眠らない。それは自分一人のことで、やはり周りの樹々は眠る。わたしは、ねむらない樹となる。あなたのこと

          笹井宏之『ひとさらい』一首鑑賞

          「没後十五年春日井建展」に寄せて 『青葦』のころ

           一九八四年に「現代短歌シンポジウム〈名古屋〉短歌VS劇」が開催された。春日井建は、会場に刊行されたばかりの『青葦』を用意していた。私は直ぐに購入した。そして、署名をお願いした。 「こっちにいらっしゃい」  春日井建は、ソファーに私を連れていった。数メートルだった。何か詩歌の奥深い世界へ誘われるようだった。 まひるまに夢見る者は危し            春日井 建        十一月十日         名古屋のシンポジウムの日  万年筆で歌を書いていただいた。淡く美

          「没後十五年春日井建展」に寄せて 『青葦』のころ

          虚構の議論へ  第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて

                          1  第57回短歌研究新人賞は、石井僚一「父親のような雨に打たれて」の受賞となった。沈鬱で現代的な父親への挽歌であった。選考会は、七月六日であった。  七月十日の北海道新聞の朝刊に、早くも受賞の記事が掲載されている。その中にこんな一文があった。   自身の父親は存命中だが「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」という。    父親が健在であることは、当日、選考座談会の後、選考委員に知らされた。その経緯はこうである。

          虚構の議論へ  第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて

          氷山は溶ける。濱松哲朗、中島裕介に

          「詩客」「短歌時評alpha」の濱松哲朗「氷山の一角、だからこそ。」と中島裕介「権威主義的な詩客」を折に触れて読んでいる。 二人の論考は自らの心身を削ったものである。私は骨身にこたえた。 「文芸の社会や歴史の理解が適切にアップデートされているか」(中島裕介)の指摘どおり、私自身の怠りが不用意な言動の根源にある。 その叱咤にどう報いたらよいか。私はそれを助言と受け止め、自分を変えてゆく。 その第一歩を「短歌往来」の「ニューウェーブ歌人メモワール」で示すことが直近の道だ。 連載は

          氷山は溶ける。濱松哲朗、中島裕介に

          書評:木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』

                    光のように、風のように  木下龍也と岡野大嗣の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社、二〇一八年一月七日刊行)には、今までの歌集にない読後感があった。風が光りながら通り過ぎていったような感じがした。 「男子高校生ふたりの七日間をふたりの歌人が短歌で描いた物語、二一七首のミステリー」というガイドが帯に記されている。こういう枠組みがあると入りやすいということだろう。が、「男子高校生」というキャラクターを特に意識して読む必要はな

          書評:木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』

          辻聡之『あしたの孵化』書評

                       スティル・ライフ  表現の計量の確かな歌集である。破綻がない。実は破綻してもおかしくないモチーフがときおり現れる。それが丁寧に隙間を埋めて仕上げられている。  雨粒のひとつひとつを飛び降りる者と思えば街の凄惨    「菊戴」  雨の降る速さと人の落下する速さは同じだろうか。そんなことは考えてみたこともなかった。雨粒の数は無数である。それを想像力で「ひとつひとつ」と捉える。飛び降り自殺は都会の事象であることにも気づく。おおよそビルの屋上から飛び降

          辻聡之『あしたの孵化』書評