中島裕介に問う(2)


1)はじめに

現代における結社とは何か。選者とは、選歌とは何か。結社に所属する歌人にとっては大切な問題である。
中島裕介は「月に一首だけ出す」のは「選者に選をさせないため」であると公言した。重要な発言であると考えたので、中島に真意を問いかけた。その応えが、Twitterの中島のアカウントから発信された。2019年8月27日のことである。
私は、結社の現状に必ずしも満足してはいない。それゆえ、中島の「短歌結社の再定義 ――解釈共同体としての短歌結社」に注目し、昨年末に東京で開催された当該論文を巡る検討会に参加した。
しかし、今の私に必要なのは、抽象的な論考ではない。現実の結社における具体的なプランなのだ。中島は、自ら高いリスクを引き受けて〈選〉を否定した。結社の再定義を提案した。創造の前には破壊が必要だ。が、中島は、破壊の前のフェーズにいるのではないか。その先、中島がどういう未来の結社をプランしているのか、それを聞きたいのだ。このテーマにおいて中島と私のベクトルは、同じ方向にあると考えている。

その一方で、バランス・オブ・パワー(balance of power)についての見解には、隔たりがある。権力/対等といった問題だ。これは「詩客」における批判に通じる。


2) 一首投稿 = 選者に選をさせないとは、どういうことか。

中島の回答は、次のとおりだった。
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加藤さん、こんばんは。簡単な問いですので、連続ツイートで回答いたします。
2003年に加藤さんから未来短歌会への入会と、彗星集への参加を打診された際に、加藤さんと中島は「年齢や経験の差はあれ、対等のつもりで相対する」ことを合意していたと理解しています。

「選をさせない」は、当然のことながら、加藤さんとの「対等である」という合意を私が実践したにすぎません。
加藤さんは私を最初に誘った「結社は港である」とするメールもお忘れでした。「対等」とする合意をお忘れなだけではないでしょうか。
以上です。
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「年齢や経験の差はあれ、対等のつもりで相対する」姿勢は、今現在もそうである。しかし、対等ということの内実に隔たりがあると感じている。

選歌の否定は、リスクの高い行為の実践である。機会損失と言った方がよいかもしれない。次のような機会損失が想定される。

① 作品発表の機会損失

未来短歌会において、会員は、毎月10首投稿できる。その機会を自ら放棄した。具体的には、年間で、9首×12カ月=108首の放棄である。5年間では、540首となる。歌集が1冊出せるボリュームだ。

同時に批評の機会も喪っている。結社誌に作品が掲載されれば、批評される機会がある。歌会でも、より多く批評を受ける機会が生まれるのだ。


② キャリアの機会損失

〈選〉は、歌壇の根幹を成す。〈選〉を否定することは、結社誌、総合誌、新聞、短歌大会等々、歌人としての将来のキャリアを喪うリスクが高い。


③ 結社に所属する歌人の信頼

私のような風変わりな歌人は少数である。おおよそ、歌人は〈選〉を受け入れ、結社の根幹としている。内輪のことであるうちは笑い話で済んでいたが、それが文書化され、公言されたことの影響は大きい。しかも、失言ではなく、確信的な言辞であった。歌人の信頼を喪うリスクが高い。

これだけのリスクがあるのだ。それを引き受けて、いったい何がやりたいのか。なぜ、結社に居るのか。
それに見合うものは、正に、結社の未来の構築ではないのか。それを聞きたいのである。

3) 選と選者の現状

「選をさせない」とは、選者と「対等である」ことを実践するためだと言う。

そもそも〈選〉とは何か。それは最も単純で厳しい批評である。多くの場合、理由を明示せずに作品の掲載を「否」と評価する。
そういうことだが、実際は、良い作品を選ぶということである。高浜虚子や島木赤彦の時代、〈選〉は、重い意味をもった。宗教的な高みにさえあった。現在、〈選〉は、軽くなった。だれでも良い歌を選ぶことができる。それは、インターネットの浸透によることは論を待たない。至る所に歌を選ぶ場がある。

結社の選者の考えも多様化している。結社においても〈選〉は、役割のひとつなのである。「選歌は事務作業だ」と言い切る選者もいる。そういう側面があることは事実だ。

具体的には次のような工程を、毎月、選者である私は行っている。現在、「彗星集」と「ニューアトランティス opera」という2つの欄を担当している。

① 大量の郵便物の整理。毎月締切りの15日前後に約70通の封書が送られてくる。
② 封書の開封と原稿の仕分け。約3時間かかる。原稿に添えられた手紙を読むという慰藉はある。
③ 原稿督促。提出の遅れている会員に連絡する。
④ 選歌。良いと思った歌に〇を付ける。
⑤ 原稿校閲。選んだ歌に、漢字・仮名遣い等の間違いがある場合、会員に問い合わせる。判読しがたい文字も同様である。明らかなミスは、選者の判断で添削することもある。
⑥ 「彗星集」では、誌面の掲載順位を決める。良い歌を詠んだ会員3名は、欄の巻頭に掲載する。特選1名は「未来広場」に推挙する。
⑦ 割付け用紙に、手書きでレイアウトする。2つの欄で割付け用紙は、約10枚必要になる。
⑧ 選歌後記(講評)をタイピング。未来発行所にメールする。
⑨ 原稿の発送準備。レターパックに封入。
⑩ ポストに投函。投函後、〒の配送状況をネットで調べる。間違いなく「未来」の発行所に届いたか確認する。

最近、私は、彗星集とニューアトランティス operaのメーリングリストの移行作業を行っている。詳しい工程は省くが、多大な工数を要している。そして、自分の担当する作品欄のメーリングリストの費用は、選者である私が負担している。未来短歌会では、選者に事務経費が支給されているが、ML分を予算化していないので、実質は自己負担になっている。

こういったことを、結社の選者は、無償で行っている。選歌料は、無い。
多くの選者は、家族や勤務先との板挟みで、日々、苦労の連続である。

「権力者」「支配者」と呼ばれても、現実とのGAPが大きいのである。


4) おわりに

中島がプランする結社像に強い関心がある。同人誌でなく、なぜ、結社誌なのか。結社のヒエラルキーを否定して、選者がいなくなると仮定する。選歌欄がなくなることで、会員の満足度は向上するのか。
そのとき、結社誌はどうなるのか。例えば、自選7首になり、均一化した形で誌面に並ぶのか。

中島の考えを聞きたい。


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