#MeToo問題をめぐって


1)はじめに

11月27日に中島裕介が自身のBlogに掲載した「#MeToo」の文書を読んで、心を痛めている。中島は、私の人格と名誉を傷つけた。なぜ、このような文書が現れたか不可解である。
しかし、今後、個人のプライベートな領域を踏み荒らすようなことがなければ、私は、この件について法的措置を講じるつもりはない。
文学なかんずく詩歌こそが心の奥深くを照らすことができる。


2)今回の「#MeToo」について

クリティカルな内容であるにもかかわらず、全く心当たりのない内容のため、11月27日、私は、急いで中島に連絡をとった。
私は、中島にAが誰か聞いた。もちろん、Aに危害が及ぶ行為はしないと約した。しかし、中島は、情報源の秘匿義務があるとし、Aが誰かを伏せた。
また、中島は、証言の内容は、Aが誰か特定されにくくなるように本人が再構成していると明かした。〈再構成〉とは不透明な言葉である。
私は疑問に思った。匿名の〈再構成〉された内容が公にされたのである。手掛りがなかった。

以上の経緯により私は、11月28日、Twitterで次のような所感を表明した。
「昨夜、中島裕介さんが私の#MeTooの問題をツイートしています。大変驚いています。状況が詳細に記述され、年代も限定されるわけですが、全く心当たりがありません。事実の解明に努めます。」


3)Aさんのことなど

その後、進展があった。Aが誰なのか。信頼できる人からの情報提供で明らかになった。
私は、強い衝撃を受けた。Aさんと私の今までの関係性では、ありえない内容だったからである(Aがだれか分かったので、Aさんと呼ぶ)。

Aさんと私には、相互の信頼と思いやりがあった。
ときには、私は、Aさんの相談にのった。私は、Aさんから育った家庭環境や健康状態を打ち明けられて、何か力になれることはないかと思った。私は、短歌を通じて、心を解放することがAさんにとってよいことだと思った。
しかし、短歌は、Aさんの負担となった。短歌と向き合うことは、自分と向き合うことであり、重荷となったのだろう。Aさんは、締め切りや約束など制約のある物事を一旦手放し、安寧に社会生活を営むことを選び、短歌の世界を去った。

Aさんと私には、思いやりのある交流があった。しかし、Aさんから見た関係性は、別のものだったかもしれない。人の心の奥深くは分からない。そして、Aさんの思いも時の流れとともに変わっていったのかもしれない。私は、それを悲しく思う。
今、私は、Aさんの身を案じている。どこでなにをしているのだろう。私は、Aさんが安らかで健やかな日々を送っていることを祈るのみである。


4)おわりに

「#MeToo」問題が公けになって、約3週間の段階での所感を述べた。
この件では、多くの皆さんにご心配をおかけした。多くの温かいメッセージをいただいた。感謝してもしきれない。
私は、自分の責任と役割を自覚し、健やかで優しい文学の場を未来へ送り届けるよう努める。

以上

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