第1話 腫瘍の疑いあり
大学生になった私は、隣の県で一人暮らしをしていました。
部活(剣道)にバイト(お土産屋さんと居酒屋の掛け持ち)、授業と毎日忙しい生活を送っていました。
その中でも特に部活に力を入れており、週4回の活動に加え、週5回自主練習を行っていました。ランニングであったり、ジムであったり、素振りであったり。
2023年4月あたり、ランニング途中で左ひざに違和感を感じました。初めは痛みというよりは膝が引っ掛かったような感じがしていました。曲げにくいというか、とにかく走りづらかったことを覚えています。
次第にその違和感が痛みに代わっていきました。
2023年5月、やっと下宿先の近くの整形外科を受診しました。先生は普通に触診をしているつもりだったと思うのですが、少し触れられただけで飛び上がるような激痛が走りました。
診断は筋肉の炎症であるとされました。湿布と痛み止めの飲み薬をもらって、自分もそれを飲めば治るだろうと簡単に考えていました。しかし、一向に良くならず、気づけば歩くのもままならないような状態になっていきました。
当時、なかなかお金がなかったため通院費を払うことも正直嫌でした。2000円は大学生にとって大きいものなのです。
2023年8月初め、実家に帰省しました。母が心配し、近くの整形外科に行くことになりました。自分は、行かなくても大丈夫と軽く考えていたのですが、半ば無理やり連れていかれました。
人気な整形外科ということもあり、待ち時間は二時間ほど。呼ばれた時にはお昼を過ぎ、空腹の状態で診察を受けました。
「レントゲン撮る?」
ここが私の人生を決める瞬間となるのです。今日のご飯を何食べようか、今日はどの服を着ようかと当たり前の日常の選択の中で、こんな大事な決断をする瞬間が不意に訪れるのです。
「いや、、」
私はレントゲンを撮ると余計にお金がかかってしまうし、診察も早く終わらせたかったしでレントゲンを撮ることを渋りました。しかし、先生が
「一応撮ったほうがいい」
そう言ってくれたのでした。私は一応という言葉に弱い。
別にやってもやらなくても、結果は変わらないけど何となくチャレンジしといたほうがいいよねという精神がここで活きたのでした。
レントゲンを撮り、先生は驚いていました。(上の写真はその時の写真)
大腿骨の左側に空洞のようなものがあって、これがどうも気になると。
「ちょっと大きい病院の予約を取るからね」
その病院の名前がパソコン上でチラッと見えました。
○○がんセンター
がん? 理解できませんでした。紹介状には、「骨腫瘍の疑い」と書かれていました。腫瘍?ほんとに言ってるの?
がんセンターってじいちゃんばあちゃんが行くところでしょ?大学生の自分なんか行ってどうするのさ。
しかし、私は楽観的というか、なにも考えていませんでした。ネットで見たら90%は良性だし、それだったら手術して治るっぽいし大丈夫かとしか考えていませんでした。
そのため、その帰りに冷凍の家系ラーメンを買って帰り、その後ジムに行って脚トレをするという暴挙を繰り広げます(本当は松葉づえを使い、左足に体重をかけないようにしなければいけなかったそうです)。
その後、実家から下宿先に帰り、変わらず部活をしながらがんセンター予約の日まで待ちました。それでも次第に痛みがひどくなり、ついには正座ができなくなり、百均で杖を買って生活するようになりました。
あの時、あの先生がレントゲンを撮ってくれていなければ発見が遅れていたと思うとゾッとします。人生の大事な瞬間は、必ずしも輝いているわけではなく日常の生活にひっそり隠れているのです。
次は、『第2話 はじめてのがんセンター』です。
よろしくお願いします。
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