人工関節

【骨肉腫 闘病記】 2023/8/24~ 左大腿骨遠位骨肉腫 誰かの希望に #闘病…

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【骨肉腫 闘病記】 2023/8/24~ 左大腿骨遠位骨肉腫 誰かの希望に #闘病記#入院#がん#AYA世代#大学生

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はじめまして。

はじめまして。現在21歳、大学休学中の人工関節と申します。 好きな食べ物はオムライスです。 私は、2023年8月24日初診日、5日後の8月29日生検手術を行い『骨肉腫』と診断されました。 骨肉腫というのは、骨のがんで100万人に1人がなる希少ながんです。この病気になるということはとても豪運なのです。 昔から運がいいと思ってきた人生でしたが、この豪運を宝くじとかで発揮したかったものです。 そして、2024年4月29日に約9か月に及ぶ抗がん剤治療が終了しました。 本当に終

    • 最終話 自由気まま 

      1 夢のこと 自由なことはいいことだ。 今日の昼ごはんが決まっていないことも、明日の予定が決まっていないことも、将来何になろうか決まっていないことも。 道の多さ、それは人生の豊かさである。しかし、道がただひとつになってほかの道が通行止めになっても、スリップして崖の下に落ちたとしても幸せはあるから大丈夫。 と、言い聞かせて過ごしていた。 それでも本当は、 一人暮らしのあの家に帰りたかった。 最後の大会に出たかった。 もっとあの仲間たちと剣道をしたかった。 同

      • 人工関節のひとりごと3 二人三脚で

        看護師さん「若様がお見えになりました。」 私「若姫が来たか!」 ベッドを抜け出し真っ先に向かうと、最高の友であり、最高の彼女である若様(仮名)がいる。 まるで、バカ殿がゆうか姫に会うときのように 「来たか来たか!」 と浮足立って面会に向かっていただろう。 面会が終われば窓からバスを見送り、「一緒に乗せってってよ」と思いながら見送る。そして一人で病室に戻る。 この治療を支えてくれた方は本当にたくさんいる。その中の一人が若様だ。 若様との出会いは高校2年生の冬。吹奏楽部

        • 人工関節の寄り道2 優秀食料賞

           抗がん剤は、吐き気、口内炎、味覚障害、腹痛とご飯を食べさせる気がない厄介者だ。  そんななか食べられたものを紹介していく。 1 ミニカップラーメン経験者ならわかると思うが、カップラーメンは味方である。味は濃く、吸えばいいので食べやすい。ただし、できればミニのカップラーメンが最適である。治療中はカップ麺一杯食べるのも苦労するものである。 特に、ミニどん兵衛はよかった。体調悪いときにうどんが食べられるように、どん兵衛のうどんも食べられた。 風邪の時の3点セットは、ポカリ

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        はじめまして。

          第9話 星おじいちゃんへ

          『死』っていうのは0らしい。 だから、辛いマイナスにいる人とっては死が良いものに見えるし、楽しいプラスにいる人には死が怖いものに見えるそう。 皆さんはどうだろうか。私は死がいいものに見えたことはない。 がんと言われ、もっと生きたいと思った。意地でも生きたいと思った。 だからと言って、人にこの考えを強制させるつもりは一切ない。 生きたくても生きれない人がいれば、死にたくても死ねない人もいる。それはもうどうしようもないから、せめて自分はさいごまで全力で生きたいと思う。

          第9話 星おじいちゃんへ

          第8話 病院年越し

          皆さんが人生で一番思い出深い年越しって何ですか? 0時の瞬間にジャンプした時でしょうか。それとも、外国に行ってド派手に越した時でしょうか。年越しの瞬間って大事ですよね。 …… 年越しを大事にする文化は日本だけだと思っていたが、外国では日本以上に大規模に年越しすることを最近知った。というか、日本はどちらかというとしんみりとした静かなほうなんだなと感じた。 私は2023年の年越しは病院と確定していた。 自分はそれでいいと思っていたが、周りが病院で年越しなんて、、みたいな雰

          第8話 病院年越し

          第7話 リハビリとおぱんちゅうさぎ

          抗がん剤がないし、余裕だと思っていた手術。 ふたを開ければ人生で一番きつい10日間だった。 手術から二日後、さっそくリハビリが始まった。 手術が終わってすぐは足も上げることができない状態。左足の神経と脳みそがつながっていない感じだった。 そんな中、すぐリハビリを始めないと後々状態が悪くなってしまうとのことだった。 まずはベッドから降りる練習。というか、体を起こすだけでも左足に激痛が走るので初日は起きる練習だった。 ベッドの柵につかまって起きようにも、起きれない。何度

          第7話 リハビリとおぱんちゅうさぎ

          人工関節の寄り道1 入院中面白ばなし

          入院中は面白いことがいっぱいある。 普通に生きていれば体験することがないであろうことも体験する。 そんな入院生活で面白かった話を思い出し次第書いていこうと思う。 1. スケッチャーズ事件リハビリをしていたある日の話だ。 手術が終わり、リハビリが始まった。 手術前に、履きやすいように手を使わないで履ける靴を買っといたほうが良いと言われた。 なので、下の写真の靴を買った。 この靴は、われらがスケッチャーズだ。履きやすく、歩きやすい。 そしていつも通りリハビリをしてい

          人工関節の寄り道1 入院中面白ばなし

          第6ー3話 発狂じいさんと腰痛

          集中治療室から病棟に帰ってきて、無意識にスマホを眺める時間が過ぎていった。 痛みで脳死状態のままそうするしかなかった。 本来ならばこのような大手術の後は個室に入れてくれる予定だった。しかし、あいにく個室が埋まってしまっていて大部屋に移動になった。 しばらくして、斜め前におじいさん(?)のような方がいるのに気が付いた。 入院中は同部屋の人がどんな人かによって生活水準は大きく変わる。 隣にいても全く音がしない人もいれば、看護師さんに怒鳴り散らかす老〇おじ様もいる。 一

          第6ー3話 発狂じいさんと腰痛

          第6ー2話 集中治療室へ

          看護師さんに肩をたたかれた。 「今何時かわかるー?」 「今16時だよー」 と言われたことだけ覚えている。9時から始まった手術は予定を大幅に超えて、約7時間の手術となった。 そして記憶は飛び、主治医たちが集中治療室へ運んでくれている場面になり、その数秒後には集中治療室で主治医がなにか話しかけてきている場面になった。 若い人は個室に入れてくれる(ウソかホントかはわからない)そうで、個室だった。 24時間看護師さんが横にいて、パソコンをカタカタ打っている。 痛みもあった

          第6ー2話 集中治療室へ

          第6話 大手術

          少し長めの一時退院が終わり、また病院に戻ってきた。 しかし、今回の入院は手術だけ。 抗がん剤に比べれば、全身麻酔で眠らされている間にすべて終わると少し気楽だった。 手術の説明をされた。 手術予定時間は約4時間。大腿骨(だいたいこつ)と筋肉をとり、腫瘍をとりきった後に人口関節を入れる手術だ。 上腕二頭筋の次くらいに有名だと思われる(?)、大腿四頭筋もなくなるので筋肉がつくまでは歩くことはもちろん、足を上げる動作もなかなかできなくなるという。 そして、人口関節を入れたら膝

          第6話 大手術

          人工関節のひとりごと2 本退院を迎えて

          2024年5月11日、本退院をしました。 当日はずっと担当してくれていた看護師さんもいて、本当にいい退院日でした。 さらに、賞状まで作っていただきました。こんなにも嬉しい賞状は他にありません。 裏には看護師さんのメッセージがびっしりと書いてありました。何度も何度もみてニヤけていました。 入院中は楽しいことがたくさんありました。 点滴を変えてくれるときにするお話も、わざわざ部屋に顔を出してくれるときも、車椅子を押して売店に連れて行ってくれるときも、、 ほっぺがどんだけ

          人工関節のひとりごと2 本退院を迎えて

          第5話 性格の悪いメソトレキセート

          5泊6日の一時退院を終え、憂鬱な気分で病院に戻った。 そして、また尿道カテーテルを入れられ悶絶した。今回はこれを少なくとも3週間入れるというのだから気が狂いそうだった。 メソトレキセートは約6時間の点滴で入れられた。その後5日間ほど500mlの点滴を3時間おきに流すというものだった。 一日目、二日目と副作用は全くなく、不思議だなーと思っていた。しかし、油断していた。 メソは口の粘膜をめちゃくちゃにしてきたのだ。 (写真見つけたら貼ろうと思う。) 熱いものはまず食べれ

          第5話 性格の悪いメソトレキセート

          今日は看護師さんに感謝のメッセージカードを書いていた。一人ひとり思い出があって、看護師さんに恵まれたなあと思いふけっていた。

          今日は看護師さんに感謝のメッセージカードを書いていた。一人ひとり思い出があって、看護師さんに恵まれたなあと思いふけっていた。

          人工関節のひとりごと1 戦友の存在

          がんセンターに入院している人の平均年齢は大体50歳ほどだろうか。 小児科はないので自分が20歳で病院内最年少だったと思う。 自分はなるべく他の患者さんと関わらないでいたかった。こんなに若いのに入院して可哀想だとか思われたくなかったし、暗闇の中にいた自分はしゃべる気もなかった。 それでいて孤独だった。 そんな時、自分の斜め前に歳が一個上だという大学生が入院してきた。手術をして帰ってきた彼は意識がもうろうとしていて、自分が誰なのかすらわかってなさそうだった。 「やべー奴

          人工関節のひとりごと1 戦友の存在

          第4ー2話 最強の敵シスプラチン

          抗がん剤を入れた日の夜中、とてつもない吐き気を催したものの、戻すまでには至らなかった。 次の日の朝、体が硬直したように動かなかった。起き上がることもできなかった。 抗がん剤はがん細胞を殺すと同時にいい細胞までも殺してしまうため、ああ、これは体中の細胞が死んでるわという感覚だった。 もちろん食欲なんてあるわけもなく、ジャムパンをひとかけ食べられただけだった。リンゴジャムなのにソフトクリームの味がした。 そして、ひとかけ食べたことを看護師さんに伝えるととても褒められた。は

          第4ー2話 最強の敵シスプラチン