第4ー2話 最強の敵シスプラチン
抗がん剤を入れた日の夜中、とてつもない吐き気を催したものの、戻すまでには至らなかった。
次の日の朝、体が硬直したように動かなかった。起き上がることもできなかった。
抗がん剤はがん細胞を殺すと同時にいい細胞までも殺してしまうため、ああ、これは体中の細胞が死んでるわという感覚だった。
もちろん食欲なんてあるわけもなく、ジャムパンをひとかけ食べられただけだった。リンゴジャムなのにソフトクリームの味がした。
そして、ひとかけ食べたことを看護師さんに伝えるととても褒められた。はじめて壁につかまりながら歩いた時くらい褒められた。
そんな日が4日ほど続き、少し体調が回復した。そして、カレーヌードルを食べた。においを嗅ぎながらであれば食べれることに気づいた。ここでも看護師さんにとても褒められた。食べるだけで自己肯定感がとても上がるのであった。
蒙古タンメンも辛さは感じなかったが食べられた。治療中はカップラーメンに救われた。
一週間ほどの寝たきり生活を経て、重い体を持ち上げながら一階の売店に行ってみた。
このとき食べたハムチーズパンは忘れられない味だ。
体に50キロくらいの重りをつけているようで、本当にこれ治るのかととても不安になった。車いすで一階に向かう道中で寝かけたこともあった。
回復したのは薬を入れてから約2週間後だった。体の重みも解消した。シスプラチンは本当に恐ろしい、最強の敵だと感じた。
開始から約2週間、脱毛が始まった。覚悟はしていたものの抜け始まるととても切なくなってくる。抜けていく髪を見るのが嫌だったので丸刈りにした。
それと同時に骨髄抑制が起こった。体で血を作る工場(骨髄)が機能しなくなり、免疫が下がったり、血が止まりにくくなったりする。
白血球・赤血球・血小板がなくなるので菌に気を付け、貧血症状と戦わなければならなかった。
隔離されるので部屋からはトイレ以外出てはいけない。唯一の楽しみであった売店に行くことができず、一日を悶々として過ごす日々が続いた。
それから5日ほど経過し、白血球が上がったことで一時退院が許された。5泊6日の一時退院、食べたいものがたくさんあった。
入院までの日を指折り数え、行きたくねーと思いつつも次の入院の準備をした。
抗がん剤治療はまさに、この那田蜘蛛山編のくもになるようなものだ。激痛が来て体が縮むことはないがほぼ一緒だ。約一週間は蜘蛛になったと思って生活すれば多少気がまぎれるだろう(まぎれない)。
1回目の抗がん剤治療で気づいたことがある。それは、
『いまもどこかで病気と闘っている人がいて、当たり前は当たり前じゃない』という事実だ。
今までアンビリーバボーや世界仰天ニュースなどで闘病をしている人や電車でヘルプマークを付けている人を見てきたが、どこか他人ごとにとらえている節があった。
小さい子供からお年寄りまで、私がのうのうと過ごしていた日々の中につらい思いをしている人や家に帰りたくても帰れない人がいると気づいた。
だからといってその方々を思ってごはんを節制したり、行きたいところに自由にいくのは悪だといっているわけではない。その方々も日々を全力で生きているし、その人なりの幸せを見つけて生きていると思う。
私が入院しているとき、私の家族は遠慮して夜ご飯の写真などを送ってこなかった。もちろん、送るのはためらいがあるだろう。しかし、こっちはこっちで食べれるもの見つけて、これイケるじゃん!と幸せを感じている。
家族や友人がおいしいものを食べたり、楽しそうにしたりしていて
「こっちは入院中なのに!ふざけんな!」
なんて思う人はいないだろう。それは幸せのおすそ分けに他ならない。その姿をみて退院したらこれ一緒に食べようとか、うわーいいねーとこちらとしても楽しみが増えるばかりだ。
でも、その楽しいや幸せが当たり前じゃないことをこの闘病生活で学んだ。おいしくご飯が食べられることも、自分の足で歩けるということも感謝すべきことで奇跡であると知った。
今も、闘っている人がいる。
実際、この入院中に出会った協会などを下記に掲載しておく。興味があれば目を通してみてほしい。
認定NPO法人ゴールドリボンネットワーク (小児がんの支援活動など)
認定NPO法人 ゴールドリボン・ネットワーク|トップページ (goldribbon.jp)
肉腫の会 たんぽぽ (肉腫患者やその家族への支援など)
肉腫(サルコーマ)の会 たんぽぽ (tanpopokai.net)
次回「第5話 性格の悪いメソトレキセート」です。よろしくお願いします。
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