大したことのない自分だからこそ、自愛なんだ。
わたしは器用だ。
何事も、まあまあソツなくできるタイプだ。
それでいて、わたしは結構、優しいところがあるし、独特の視点を持っているカリスマ風のところもあるし、頭の回転だって、そこそこ早い方なのだ。
人当たりもいいし、道だってよく聞かれるし、話も面白い方なのだ。
そうだ。
そうだ、けど。
だから、なんだって言うのだろうか。
そういう特徴は、あなたにもある。
わたしは、大したことのないやつだ。
そのことを思い知る30年だったと言ってもいい。
所詮、人だ。人間だ。
当たり前か。
でも、そうなのだ。
そもそも大したことあるやつというのは、どういうやつなんだ?と聞かれると、正直、よくわからない。
だけど、今わたしは、わたしが大したことないやつだと、心底認めようと思う。
わたしは、大したことのないやつだ。
大したことないやつだから、本気で、自分を愛してやろうと思う。
応援してやろうと思う。
大したことないくせに、ジタバタ頑張ってる。
大したことないくせに、大したことしたいと意地はってる。
大したことないくせに、自分にも、自分だから、できる何かがあると信じてる。
大したことないんだ。わたしは。
だけど、それでいいんだ。
大したことないことは、カッコ悪いことじゃない。
大したことないやつにしか、見たことがない景色がある。
その劣等感や、無力感のなかで、人は常に大したことないやつなんだ。
わたしは、それでいいと思う。
大丈夫だと思う。
大したことないから、愛してやろう。
大したことないから、愛が必要だと思う。
自分を育てる。
いいや、育ててきた。
一歩、一歩。
育てるより他にない。
目一杯の愛を注ぐ。
溢れんばかりの愛を。
きっと大したことない花が咲く。
でも、わたしが咲いてくれたら、わたし、きっと大喜びすると思う。
そして、感動して泣くのだと思う。
大したことない花かもしれない。
それでも。
わたしは、きっと、大喜びするよ。