swim the night

2022.8.21


用意を事前にしておけばいいのに、朝に早起きして、バタバタしていた。トランクを引っ張り出すところからのスタートだった。窓の外を見れば当然かのように雨がしきりに降っていて、部屋の中は暗かった。時間が刻々と迫る中、雨はより激しく降り、間に合わないかと思える程ぎりぎりの時間になって出かけた。母が心配して父に車で送ってやってと頼んだため、雨にそれほど濡れず向かうこととなった。雨の中、車が滑って事故になってしまわないか心配だった。父はそのつもりはないだろうが、歳のせいもあって苛立ちが運転に影響するようになった。ゆっくりでいいよ、と伝えるとほっとしたようだったが、相変わらず急発進と急停車は繰り返していた。この人生で父に特別何かしてもらったことがあるのかと振り返ると、あまり分からない。父は私たちに対して良くも悪くも、昔から無関心だったから。けれど、車で送り迎えをしてもらったことは確かに沢山あったと思い返していた。もしかすると、この先は数える程になるかもしれない。運転をしている父の後ろ姿を見るのが。暗い空のせいもあったが、この景色をいつか思い出すに違いないと思った。駅の手前のタクシー降り場付近で降ろしてもらい、父は一人運転しながら帰っていった。父の帰りが事故にならないようにと見送りながら思った。


今日はサマーソニック大阪。大阪の舞洲という埋立地で行われる音楽フェスティバル。人工の島にある大きな公園。地元の駅から電車に揺られ、トランクを転がして向かう。大阪駅に着くと環状線に乗り換えのため、一度ホームに降りる。大阪駅が一番コインロッカーが多いから、そこで一旦降りて、トランクを預ける。そこから目指すはユニバーサルシティ駅で、その間にもう一つ車両乗り換えがあった。周りにはフェスか遊園地に行くであろう格好の人が多いが、朝が早いからかそこまで満員ではなかった。そして降りる駅を間違えそうになったが、無事に辿り着いた。待ち合わせている人とは数年ぶりだった。その人に会ってから、お気に入りの晴雨兼用の日傘を車両の中に忘れたことに気付いた。


シャトルバスで私たちは会場に向かった。会場についても小雨が時々降っていた。日傘のことは心配だったが、雨が降るたびにその人が折り畳み傘の中に入れてくれた。ステージ前では見物の邪魔になるので傘をさすことはできないが、歩いて向かう時や列に並ぶ時には傘が必要だった。着いた後は、リストバンドの交換と、途中で着替えるためのフェスTシャツを買った。並んでいるうちに欲しかったカラーは目の前で売り切れに近付いていたが、ラスト2枚あたりのところで何とか目当てのカラーを手に入れることができた。Tシャツ購入の列に並んでいる間、天気は徐々に晴れてきていた。


この日一番楽しみにしていたのは、indigo la Endだ。チケットを買ったときは、THE1975を目当てでこのフェスに参加する予定を立てたが、後から追加アーティスト発表があった時、とても嬉しかった。邦楽の中で一番好きなアーティストだからだ。ときどき彼らのライブにも行くから、きっとファンと名乗ってもいいと思う。ファンの語源が"fun"でなく"fan"(fanatic-狂信者)であるらしいが、それならわたしはファンと名乗ることができない。わたしの中で彼らの音楽は"fun"であり、日々の中の大きな楽しみだ。応援している。彼らでなくとも、どのアーティストであっても、わたしは"fan"にはなれない。


途中で飲んだバナナジュースが美味しかった。マネスキンからは、ずっと屋外のステージにいた。前方にいたからかもしれないが、一日を通して周りにいる人たちは若い人が多かった。ヘッドライナーが終わった後、拍手をしたのにアンコールが無いということに文句を垂れる、学生くらいの若い人が多かった。拍手をせずにさっさと移動する(しかもそれがさもカッコいいことのように)若い人も、ちらほらいた。アーティストの彼らの母国語が通じない、独特な文化を持つ小さな日本という国まで、飛行機で遥々やってきてくれて、決してホームではない環境の中で、目の前で全力のパフォーマンスをしてくれたのに、拍手そっちのけの彼らを見ると、少し悲しくなった。その後、主催者関係のラジオ局のパーソナリティの方がステージ上に出てきて、マイクを手に持って喋っていると、周りには少し白けた空気が漂っていた。きっとほとんどの人が彼女を誰なのか分かっていない。わたしはその方の声を朝方にラジオから聴いたことがあったので、余計になんとなく寂しくなった。わたしがマネスキンを知ったのは、彼女が担当の日ではないが、紛れもなくそのラジオ局からだった。帰りのシャトルバスでは、局は分からないがラジオがかかっていて、流れている曲はあるバンドの古いライブ音源らしかった。暗い車内からは、ビルや工場の無数の電気の光が見えた。無機質な夜の景色を、昔のライブ音源の陽気さがお洒落に見せていた。一日を一緒に過ごした先輩である彼女も、私も、静かに車内で過ごしていた。彼女が東京に移り住むことになったことを、フェスの終わりとともに聞いて、部活に打ち込んでいたあの頃からずいぶん時が経ったのだと、外の夜景をじっと眺めながら、ただぼんやりと考えていた。


また再会しようねと、彼女と話をしながら駅のホームで別れた後、トランクを転がしながら夜の大阪を歩いていた。




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