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バイトに明け暮れた日々―大学の外で学んだこと

(前の記事に続き、今回も自分語りです)
 
過去記事でも少し触れたが、大学時代、私はバイトに明け暮れる生活をしていた。
 
というのも、大学卒業後は就職せずに、アメリカに留学したかったためだ。
財政的に余裕のある家庭ではなかったため、就職せずに留学するのであれば、自分である程度、学費と滞在費を工面する必要があった。
 
奨学金(スカラーシップ)をもらえるほど優秀ではなかったため、大学院の2年間分の学費や滞在費など数百万円余りを自力で賄う必要があった。大学生の身分でそんな簡単に稼げる額ではない。
 
それでも、若くて体力があったこととその先に夢があったことで、あまり苦にならなかった。
 
大学時代はサークルには入らず、友達との飲み会も極力避け、複数のバイトを掛け持ちした。週4-5は家庭教師、合間に新聞の集金、そしてシフトを利用して、カフェ、ファストフード、コンビニでの接客等、堂々と言えないバイト以外はかなり網羅したと思う。
 
「私はこんなにバイトをして、自力で頑張りました!」とドヤるつもりは毛頭ない。最終的には、バイト漬けになっている子供を見かねて、親も苦しいながらにサポートしてくれた。
 
そして何より、大学院に落ちたら元も子もないので、勉強もそれなりにした。
 
ここで言いたかったのは大学時代のバイト経験は、大学で学んだこと位(いやそれ以上に)、貴重なもので、金銭以上に得たものが大きかったということだ。
 
具体的に何を学んだのか?
 
バイトの内容別に箇条書きしてみた。
(約30年前の話なので、すでに存在していないバイトもありそうだけど)


①テレフォンアポインター(電話回線の営業)

②消費者金融のコールセンター(クレームの受付)

・辛かったこと:メンタルに響く。営業のほうは、そもそもすぐ電話を切られるし、怒鳴られることもあった。くつろいでいる時に突然知らない人間から営業の電話がかかってくれば、イラつくのは当然だろう。
・良かったこと:メンタルが鍛えられた。怒鳴られても、電話をワン切りされても、気にならなくなった。そして、会話をするためには、まず相手に同調すること、寄り添うことが重要だと悟った。クレーム対応にしても、ずっと説教し続けられる人もそうはいない。
 
*実はテレアポのバイト経験が後々の記者としてのキャリアにおいて最も学びが大きかったと感じている。どんな相手でも、話を合わせられるし、コミュニケーション力がついた。手放しで歓迎されることのない取材先にも物怖じしなかったのは、こうした経験が活きているのかもしれない。

③家庭教師

・辛かったこと:それなりの収入を得られた分、予習の時間がかなりとられてしまった。
・良かったこと:効率的に収入が得られた。生徒との相性次第ではあるが、学力も一緒に向上する感覚で、やりがいもあった。
 
*小学校6年生~高校3年生まで同時に3人の生徒を抱えたこともあるが、楽しい思い出ばかりだ。受験生の場合は、かなり責任も感じた。
 

④カフェ、ファストフード、コンビニでの接客

・辛かったこと:コンビニはレジにいる時に暇だと何もできない。合間に棚卸とかあるのだけれど、何もなくボーっと立っているのがきつかった。
・良かったこと:カフェのバイトでは、それなりのおもてなしの精神を学べた。バイト仲間は友達にもなり、そこで働いたことが楽しい思い出だ。コンビニのシステム(レジや棚卸などの作業)を学べたこともいい経験となった。
 
*コンビニでは特に、お客さんは高圧的な人から気遣ってくれる人まで多種多様だ。中には不機嫌そうにお金を投げてくる人もいる。人に序列をつけて態度を変える人に対しても「こういう大人にはなりたくないな」とつくづく思ったものだ。「ありがとう」の一言でも、嬉しいものだ。人に優しく接する大切さを学んだ気がする。

⑤新聞代の集金 

・辛かったこと:最後までお金を払いたくない人は存在するので、その人たちの都合の良いときを見計らい集金に行くことで、かなり自分の時間をとられたこと。
・良かったこと:フットワークと忍耐力がついた。
 
*さすがに新聞配達はしなかったけれど、集金は体力的にきつかった。居留守を使う人もいるし、時間を無駄にすることもあった。と同時にシビアなお金の世界も学んだ。

⑥その他(数日~1カ月の短期バイト)

・居酒屋でのバイト:親に心配され、1日で辞めた。
・ホテルのレストランでの皿洗い(これも数日で終了)
・オンラインショップの顧客データ入力
・ティッシュ配り
・不動産会社の事務(日本の大学卒業後4月~アメリカ渡航までの4カ月)―戸建て販売の営業のシビアな世界を傍でみることができた。 


こうしたバイト経験のおかげで、社会人になる前に、少しだけ早く社会の現実を垣間見ることができ、人間観察もできた。
 
記者時代も含む今までのキャリアにおいても、間違いなく「糧」になったと思う。
 
今同じことをやれと言われても絶対無理だ。あの当時は本当に体力があったな、と感心すると同時に、若いっていいな、と昔のバイタリティーに少し嫉妬する自分がいる。

 
https://twitter.com/ATF_TOKYO

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