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「医師である父の自己破産・実話」

 父は、80歳過ぎて自己破産をした。
自己破産し、全ての財産を取られた。
生命保険、建物、土地、自家用車、何から何までもっと行かれた。
開業医はお金持ちが多い。だから、転ぶ時も大きい。
3億円の自己破産だった。
わたしのところみたいに大きく豪勢に家と病院を新築するために、大きすぎる借金をした。
母から聞いた話だと、最初建築した段階で9000万円予算がかかりすぎ借金をしたそうだ。それでも、毎日、窓口収入が10万円入り、毎月入る診療報酬も、月550万円は入っていたので返済できると考えていたらしい。
 しかし、税金は大きく毎年銀行から借り入れたそうだ。
 当時は、医師と言うだけで信用で3000万円までなら銀行は喜んで出したそうだ。
 看護師4人への給与、社会保険費用、医療器具代、家政婦への給与があり、全部支払うと生活はぎりぎりだったそうだ。
 そのうち、銀行が貸してくれなり税金は滞納。幾度も関東財務局が足を運んで直接催促に来た。父はないものは支払えないというだけだったそうだ。そのうち銀行の機嫌が悪くなり貸してくれるどころか、回収へと回った。
 父は、地方銀行から大手銀行へと乗り換えた。
 何と二重担保である。
 大手銀行は喜び、3000万円貸してくれた。
 一時的に息を吹き返した。
 母は、日本舞踊を始めた。日本舞踊は趣味の中でもお金がかかる。
 着物、帯は数百万である。
 花柳に入り、名取という地位を獲得した。師匠に数百万の御礼だ。
 そのうち、父まで日本舞踊を始めた。
 日本円円踊の発表会に出た。そのとき、踊りに合わせて演奏する人が京都から来た。彼らへの謝礼、宿泊代、食事代は両親持ちだった。
 そして、税金を支払う時期が来て、両親は慌てた。
 また、大手銀行へ駆け込んだ。
 これが本当に融資の最後ですよと言われ、800万円のカードローンをつくってもらった。
 父は、慌てて、家計簿をつけるがごとく、毎朝電話のプシュ音で残金を確認したそうだ。その他に、銀行が貸してくれないのならと個人に電話した。もちろん、親戚中にも電話した。お金をかきあつめたのだった。
 関東財務局が家に来て、カーテン、壁の本クロスなどを写真に撮っていったそうだ。差し押さえに入る準備だ。
 父はサラ金6社ほどからお金を借りた。クレジットカードもキャッシング目当てで作った。
 これが最後であった。
 わたしが、長男として知人の弁護士に頼んだ。
 すぐに借金取りはやんだが、破産するにも数字が大きすぎてわたしの手には負えないという。若手の弁護士にお願いし、すべてをやってもらった。
 父親の持参金は、80円であることが判明した。
 82才の時に破産した。
 高齢という理由で免責となった。
 税務署が抵当に入れた建物を買った人から電話があり、この建物を借りないかという話が来た。
 両親は、それで生活保護にならずに済んだ。
 82歳で生活保護はきついであろう。
 だから、わたしは、何度か書いたが我が家の宙に浮いた借金を気にするのだ。借金を借金で返しているお金だ。


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