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国境を越えて通勤したものだ

 香港赴任になったと思ったら、突然中国担当になり、香港の自宅からほぼ毎日、香港の隣町の中国、深圳にかようことになった。

向かう先は、深圳にある香港系の部品の代理店のオフィス。香港の事務所にも机は置いてもらったが、月曜日の朝のミーティングに出る以外は、香港事務所に用事はなかった。

朝、6時過ぎに香港島の自宅を車で出発し、地下トンネルをくぐって九龍サイドに渡り、ハイウエイを飛ばして中国ボーダー近くの上水という街に入る。(ランサーに乗って、朝焼けの中このハイウェイを飛ばしている時、自分は、international business manになったものだと、よく悦に入っていた
。)
その街の駅近に借りている駐車場に車を停めて、そこから電車に乗り国境の深圳駅に行く。

香港側を出国するのは簡単。早朝であり、人影は少なく、香港の入国審査官はテキパキと出国審査をしてくれる。
やっかいなのは、中国側の入国審査であった。
こちら側も入国審査を待っている人はそう多くないのだが、いかんせん、だいたい入国審査官同士が手を止めたまま、大きな声で世間話をしをしている。
我々旅行者はそれをにがにがしく眺めながら、入国ブースの前でじっと並んで待つこととなる。

時には、入国審査官が作業を中断して、ブースから出て奥に向かって歩いて行ってしまうこともある。中国語ができる旅行者が、どこに行くのですか、と声をかけると、朝ご飯を食べてくるとの返事。
そのブース前に並んでいた旅行者は、あわてて隣のブースに並び直すこととなる。

ある時、朝ごはんを食べに奥に歩きだす入国審査官に、白人旅行者が大きな声で、朝ごはんを食べる前に俺たちの入国手続きを終わらせろ、と叫んだ事があったが、その白人はそのまま入国審査場の別室に連れ去れてしまった。

毎日のようにこの国境を越えて通勤していると、自分以外にも同じように通勤してる人を認めるようになった。
我々が並んでいるのは外国人の入国場所なのだが、朝7頃から毎日のように並んでいるのは、ほぼ、日本人で、だいたいが銀行系の赴任者だった。
当時の深圳は治安が酷くて、とても外人が住める状態ではなかった。天安門事件があった後、最初に深圳に支店をオープンさせた銀行員駐在員が、毎日香港から通っていた。

こうした、朝の入国審査を待つレギュラーメンバーは、いつ審査が始まるか読めない状況の中、カバンを床に置き、用意している新聞や、本に目を落として、気長に、そして悠々と自分の順番が来るのを待つのであった。

時には、数分で入国できるラッキーな日もあったが、だいたい、30分前後は待たされた。実際に並んでいる列は10人もみたなかったのだが。。。

毎日国境を越えていると、イミグレのハンコでパスポートのページが、あっというまに埋まる。
誰が最初に始めたのかは忘れたが、朝の入国審査レギュラーメンバーの間では、パスポートにわら半紙を自分で貼り、定規でマス目を引いて、イミグレのハンコが整然と押されるようにしたものである。
そして、わら半紙の裏、表が一杯になると、パスポートから剥がして捨て、また、マス目を書いた白紙のわら半紙を貼りつけるのであった。

今ならパスポート偽造といわれそうだが、当時は大らかな時代であった。

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