見出し画像

私漆事始め

私が漆と出会ったのは、岩手県の漆担当者としてはじめて浄法寺の山へ入った時である。

浄法寺(じょうぼうじ)はお寺の名前ではなくて、岩手県最北部にある二戸市の地域の名前で、東京や岩手から離れた町で展示会をした時など「お寺で漆を作っているんですか」と聞かれることがある。浄法寺町は合併して現在は二戸市の一部になっているが、小さな農村であるにもかかわらず存在感のある町で、瀬戸内寂聴さんが住職をしていた天台寺という古いお寺が有名である。寂聴さんが法話のためにお寺に来られた時は浄法寺の人口の3倍が集まると聞いた。天台寺はその由来がとてもミステリアスで不思議なところなのだが、この地は漆の産地として有名である。奈良時代、天台寺で作られた漆器が浄法寺塗の発祥とも言われている。

でも、私が担当者だった頃はあまり浄法寺の漆の名は知られていなかったように思う。平成15年に「浄法寺」でGoogleで検索したら数十件しか情報が出て来なかったが、令和2年の今検索してみたら100万件を超えていた。同じように「浄法寺漆」といっても知らない方の方が圧倒的に多かった。でも、漆の業界では国産漆の中心といえば浄法寺で、その漆は当然知られていた。

岩手県民なら浄法寺が漆産地というのは一応基本的な知識として身についている方がほとんどで、現在は小学4年の社会科の授業で浄法寺漆や南部鉄器について学習するので、大人より漆掻きのことを知っている子どもも多い。先日も近所の小学校の先生から掻き傷のあるウルシの木を貸して欲しいと頼まれたし、学校に出向いて漆のことを話したこともある。でも、写真や映像で見たことがある人がほとんどで、実際に漆を採る現場を見た人はあまりいない。積極的に見せるものではないので当然だが、地元の漆塗りの職人ですらそうである。

漆掻き職人以外に間近に漆掻き作業を見ることができるのは、漆に関係する地元の行政担当者、漆掻きを取材する記者やライター、カメラマン、それに全国各地の漆器産地組合から研修の見学地として依頼されるケースくらいである。

そんな行政の担当者になったことから漆掻き職人へのあいさつも兼ねて現場へ行くことになったのだが、漆掻き職人はあちこち点々と動き回りながら漆掻きするので、現場で落ち合うというのが難しい。しかも目印になりそうな建物とかシンボルのようなものが一切なく、同じような地形が連続しているところだから待ち合わせも一苦労なのである。その時はたまたま県道から見える、八戸道近くの漆林で作業しているとのことだったので、すぐに落ち合えることができたのだが、貴重な漆を忙しく採取しているところを訪問するというのは今になっても大変恐縮するものである。

漆掻き職人の大森さんは代々続く漆掻きの家系で、この道50年以上という大ベテランであった。数年前にお亡くなりになられたが、大森さんの採る漆はファンが多く、指名買いがあるほどの品質の高さを誇っていた。訪れたのは8月はじめ頃で、漆掻きの最盛期である。当時撮った写真を見ると約10辺の傷が付いているので、6月中旬頃から漆掻きがはじまり、4日おきに傷が増えていくので、8月上旬頃ではないかと推測する。

漆掻きのことを書くととても長文になってしまうので、後日改めて分けて書きたいと思っている。当時はウルシの木のこと、漆掻きのことをまったく知らず、先入観や前知識もなく見たのであるが、カンナという傷をつける道具で横一文字に幹に傷を付けた時の「サクッ」というか、彫刻刀で木を削る音にも似ているのだが、その独特の音、しばらくするとじわっと滲み出てくる乳白色の漆液、すぐさまヘラですくい取ってタカッポと呼ばれる専用の容器に入れていく一連の作業に、これが漆掻きか!となにやら原始的なものと合理性の合わせ技のようなものをなんというかビビッと感じたのであった。実際に漆の採取という行為は縄文時代にはすでに行われていたことが分かっていて、さらに現在使われている、福井県(越前)の今立地方の鍛冶職人が江戸時代に発明した漆掻き道具に行き着く。それが全国各地に広がり、浄法寺にも伝わったのである。

その時、大森さんは「こうやると漆の質が分かる」といって、ペロッと漆を舐めてみた。え、舐めるのかと思ったがそれは大森さんならではのサービス精神によるもので、漆掻きのたびに舐めているわけではない。でも当時は職人みんなそうするのかと思っていた。ピリッとするが甘みを感じるのがいい漆だとか、そんなお話をお聞きした。私自身は怖くてやったことがない。

その後、漆振興の担当を4年間仰せつかることになる。年を経ることに漆に対する関心の方向性や深さが変わってきて、1年目は表層的なことしかわからなかったが、4年もやっていると中心に漆という主体があるとすると球体の表面から中心を見るように、さまざまな視点や商売のスタンスで漆を捉えている人たちがいるということが分かってきた。漆に対する考え方は一様ではなく、使い方もそうである。漆は一つの世界で、文化であることを知った時、なんだかダイヤの原石を見つけたように感じたのである。

ここまで読んでいただいて、ウルシと漆、書き分けてあることに気づいた方は鋭い。「ウルシ」は植物、樹木としての表現(正確にはウルシノキというウルシ科の植物)、「漆」はそのウルシの木から得られた樹液のことである。

漆のことをなるべく専門的にならず書いていきたいと思う。よろしくお付き合いください。

国産漆を育て後世に継承するための活動を行っています。ご支援をよろしくお願い致します。