【頑張ってたけど】ワカンダ・フォーエバーの完成度が低くて残念だった件
率直に言って、物足りなさを感じました。
このnoteでは容赦なく批判します。
心の準備ができている人だけ読んでください。
▼あらすじ:
まず、私の理解度を示すために、あらすじを書いておきます。
どこのサイトから借りてきた物でもない、私のオリジナル要約です。
私に対して「お前はこの映画を何も分かってない!」という批判は、これを読んでからしてくださいね。(笑)
▼お断り:
私は知っています。この映画の制作中にチャドウィック・ボーズマンが急逝し、大きすぎる悲哀と混乱が渦巻く製作現場で脚本を書き直し、クルーとキャストが心を強く持ち、新型コ●ナとも戦いながら、無理をしながらもなんとか映画の完成まで持ち込んだことを。だから、そうした状況を踏まえれば、映画の出来をありのままに率直に批判するのは良くない、という気持ちに歩み寄ることもできます。しかし、作品としてリリースしたのであれば、そのような裏事情は”本来は”受け手側には全く関係ないことです。客はお金を払って映画を鑑賞するものです。情状酌量して遠慮して論じることの方が、むしろその映画と製作者に対して失礼に値すると私は考えました。ここから先は遠慮しないで、ダメだと思ったところを書いていきます。
要するに、感情に流されすぎずに映画を見させてもらうぜ、って話です。
▼ここが変だよワカンダフォーエバー:
●フランスとアメリカの描写が適当すぎる
リアリティが著しく欠けており、この映画を”子供っぽく”している最大の原因だと思います。
まず第一幕でワカンダが自国の研究施設で外部からの特殊部隊を拿捕しますが、翌日の国連会議(のようなもの)でワカンダが捕虜をなんと議会に連行してきます。更にワカンダ女王が名指しでフランスを糾弾し、フランスの外交官はその場であっさりと自国の関与を認めます。これは絶対に有り得ません。実際の国連を想定すれば、そもそも外交の場面にあんな物騒なサプライズを持ち込むワカンダの行動は非常識で無礼この上ない(議会の場に武装して現れるのはマナー違反)ですし、フランス外交官は少なくともその場では全力で否定する筈です。たとえ真相はフランスの仕業だったとしても、会議に出席していた外交官自身は認識していない事案として処理する筈です。それが先生に叱られた子供のように黙り込んで認めるなんて、絶っっっ対に有り得ません。(笑)捕まった特殊部隊もひどい体たらくです。ミッションに失敗した時点で隠し持っていたカプセル薬などを飲んで自殺するべきです。彼らはそれだけのリスクを負って破格の高額報酬を得ているのですから。
第二幕ではヴィブラニウム確保に躍起になるアメリカが描かれ、リリ&シュリ&オコエはSWATとカーチェイスまで繰り広げますが、いつの間にかフェードアウトして、第三幕以降でアメリカの存在感は完全に消えます。そりゃあないよ。(笑)そうでなくともCIA長官が個人的な権限だけでエヴェレットCIA捜査官を自由に行動させたり、それなのにいつの間にか物語に全く関わらなくなったり、かなりお粗末な脚本だと思います。エヴェレットは最初にリリの情報を提供したことを除き、中盤以降の物語には全く関与しません。ドラマシリーズならこういう細やかな群像劇も理解できますが、これをひと続きの映画にぶち込んで、結果的に161分というクソ長尺にしているのは、明らかに判断ミスだと思います。それこそ『エージェント・オブ・シールド』みたいな別枠でやれよ。
私が個人的には大嫌いなジョス・ウェドンですが、アベンジャーズでのコールソン捜査官の扱いや時間配分に関しては、彼のバランス感覚は優れていたと認めざるを得ません。
●ラストバトルの”重み”が足りない
この映画から”満足感”を得られない最大の原因だと思います。
2代目ブラックパンサーのアクションは致命的に淡白です。
もっと「蝶のように舞い、蜂のように刺す」見せ場が必要でした。
文字通り「黒豹のように」華麗に力強く戦うシーンが必要でした。
もっとネイモアとタイマンで戦うシーンに尺や壮絶さが必要でした。
体を槍が貫通するのも、リアリティが無さすぎて呆れました。
例えば、もっとネイモアがシュリの顔面を残酷に殴りつける描写が入れられなかったものか。
なんとなく、屈強な男性が華奢な女性を痛めつけるシーンが、映画倫理的にNGになりそうで、あまり踏み込めなかったのではないか、と思えます。
というか、実際にテスト試写やレーティングの段階で削ったのかもしれません。ドラマの長さに対して、アクションの時間が短すぎました。
アクションが駄目でも、シュリとネイモアが熱いセリフで理想の国家論をぶつけ合うとか出来なかったものか。
キルモンガーの魂に支配されたシュリを改心させるのが、まるでライオンキングそのままの構図で現れた母上様の巨大な幻影で良いのか。(大丈夫?これって「黒人=動物」という黒人差別になってない?)
神秘のハーブの力で見た精神世界よりも、敵にトドメを刺すさいに心の迷いから見た幻覚の方が、決断に大きな影響を与える(=優先順位が高くなる)というのは、致命的なプロットの破綻だと思います。
シュリは6年間ずっとハーブの再生に取り組んできて、なんなら実の兄が死の間際の時でさえハーブの研究を優先していたのに、最後の最後に、土壇場でママが語りかけてきた、で済ませてええんか?
更に悪いことに、ラストバトルでワカンダ船上での総当たり戦も、かなり低レベルな殺陣ばかりで、私は見ていて呆れてしまいました。申し訳ないけどあのシーンは擁護のしようがないと思います。
という感じで、総じてラストバトルが軽薄な印象になってしまいました。
●王位継承の重みがメチャクチャ
この映画が”王家の物語”として成立しない最大の原因です。
まずこの映画はティ・チャラが亡くなったので、アフリカの伝統的な男系男子の血統による世襲が途絶えています。この時点でワカンダは現在の家系の国家としては近い将来に終了することが決定しました。
ティ・チャラが死んでも残されたシュリが普通に王位継承しそうな雰囲気だったので、個人的には少し違和感はありつつも、女系継承を認めることもまた一つの国家の選択であり、MCUの世界観の表れなので、ふーんそうなんだ、と思って普通に観ていました。
ところが映画のクライマックスバトルが終わり、ワカンダとタロカンが和解した後のエピローグでは、王位継承の式典(試練)に現れたのはシュリではなくてエムバク。あ、やっぱり男系男子で継げる血統に変更するんだ、と思って普通に観ていました。
そしたら、まさかのティ・チャラJrの登場です。
私は大混乱しました。
もう、どっちなのよ?と。(笑)
別にどちらになってもいいんですよ。厳格な男子継承でも、女子を認めても。ワカンダについては、ね。だって日本国じゃありませんから。日本で皇室の男系が途絶えるのには断固反対しますけど。日本はそれで2000年やってきたんで、たかだか100年程度の社会のトレンドで安易に変更するべきじゃないと思います。でも、ワカンダはフィクションですし、他所様の国ですから、知ったこっちゃないです。
それよりも、どっちで行きたいのか態度がはっきりしないグダグダな脚本に私は落胆しました。
トゥサントことティ・チャラJrのあの語りっぷり「我こそは王である」を見ると、おそらく10〜20年後くらいにワカンダに”王の帰還”をやるつもりなんだろうなーと思います。
おそらくシュリが王を自ら辞退したのも、制作背景的には、ここに理由がありそうです。女王シュリの王位を甥トゥサントが奪う形になると、フェミ関連からクレームが来そうですが、もともと分家のような扱いだったエムバクを王にしておけば男VS男の構図になるのでそういった心配はありません。
…って、じゃあ今、王の試練に挑んでいるエムバクの立場はどうなるんよ?
つうか、1年前にティ・チャラが逝去した時点で、ナキアと息子をワカンダに連れ戻すのが普通じゃね?
だって唯一の王家の血を引く男子なんだぜ?
ナキアは言いました。「ティ・チャラはこの子に王の重責を担わせたくないと、それで此処で隠れて暮らしていたの」って…
いやいやいやいや、ティ・チャラ、何言ってんの?(笑)
大事な後継ぎだと喜んで国に迎え入れろや。
お前の息子が継がなかったら、誰に王家を継がせるつもりやったんや?
てゆうか、お前はワカンダ国を終わらせようとしとったんか?
王家が途絶える=国が終わる、ってことなんやで?
別にそれでも良いけど、だったら子供にティ・チャラを名乗らせるなや。
もーう、ドン引きです。(苦笑)
こんなふざけた映画を世界中で売上1位にして、伝統や王家なんて全部ぶっ壊すマインドを世界中の少年少女に(潜在的に)植え付けて、全て資本主義で制服しようとしているアメリカとディズニーの陰謀ですか?…と勘繰ってしまいました。
まあ、さすがに陰謀論はこじつけだったとしても、です。
シュリが「お母様もこの子に会ったの?」と聞いたら、ナキアはYESと答えていたので、だったらラモンダ女王が数年ぶりにナキアに会ったときに葬儀に来なかったことを責めるセリフも不自然(=子供の面倒を見るために決まってるだろ)だし、命を落とすかもしれない危険なシュリ救出ミッションにナキアを任命するとは思えない(=死んだら子供の面倒を誰が見る)んですよね。
ラモンダ女王自身もティ・チャラとシュリをお腹を痛めて産んだ母親なら、そのくらい分かりませんかね?(苦笑)
そういう意味で、二重三重に設定がグダグダすぎで、とても残念でした。
「実は息子が居た」という、とっておきのサプライズを入れようとしたけど、そこまで考えが回らず、物語が破綻してしまった感じですかね?こういうサプライズ詰め込みすぎて失敗ってディズニーは以前にもやってるんですよね。SWの『最後のジェダイ』っていう映画なんですけど。(失笑)
●予告編を超えるビジュアルがなかった
この映画が”肩透かし”になった最大の原因だと思います。
予告編を超えるビジュアルがなかったのは非常に痛いです。
いや、まじでもう少しセーブしとけよ。(苦笑)
●タイアップ感満載の不釣合いなBGM
この映画が”商売臭く”なった最大の原因だと思います。
クラブで掛かってそうな、やたら4つ打ちリズムを強調する、K-POPのようなノリの良い曲がBGMに多用されていました。
しかし映像のリズム(カットとかカメラムーヴ)と合ってないことが多くて、観ていて違和感がありました。
これもある意味、予告編のNo Woman No Cryが素晴らしすぎたのかもしれません。
●人徳のない女王ラモンダ
予告編ではラモンダが世界に向かって演説をしてるのかと思ったけど、本編ではオコエに向かって叱責している場面だったのも興醒めしましたね。こんな指導者は嫌だ、の典型ですやん。
シュリを拐われたオコエを更迭するのは妥当な処分だと思いますが、「私は家族を全部失ったのよ」なんて家臣勢揃いの場所で、一人の忠実な家臣を責めるために叫ぶような人物は、王に相応しくありません。こういう攻撃性の高い人が貧困層の黒人に多いから、アメリカではBLMみたいな運動が流行るのだと思います。
こんな王様のために家臣は「命を賭けてお守り致します」とはなりませんよ。もしミッションに失敗して命を失っても、祖国では皆の前でこんな風に罵られるかもしれないんですから。アホらしいでしょ。
●空気すぎるアイアンハート
この映画から”ユニバース戦略のしがらみ”を感じた最大の原因です。
アイアンハートことリリのキャラが薄すぎました。
MITに通う超天才が、黒人であり、未成年であり、女性であることは全く問題ありません。そこまでは大変魅力的でした。
ただ、なぜアイアンマンをあそこまでリスペクトしているのか、なぜスーツを赤色にペイントしたのか、などもう少し語っても良くないですか?
シュリ「なぜスーツを赤色にするの?」
リリ「あの人が世界を救ってくれた」
シュリ「ええ。私もあの場所に居たわ」
リリ「そうだったわね」
シュリ「あなたも彼と関わりが?」
リリ「いいえ(笑)。ただ…さえない科学オタクだった私に、好きなことを極めれば成功もするし、世界を救うことだってある、って彼が教えてくれた。今の私があるのは彼のおかげ。だからこうすれば天国の彼から力を分けてもらえるかな、なんてね」
みたいな会話を入れるだけでも、かなり印象が変わったと思うのに残念です。
160分もあるのに、そこにほとんど言及しないのがアンバランスだと感じました。いっそ、このnoteで最初に挙げたエヴェレットCIA捜査官の不要なエピソードと一緒にまるまるカットして、映画を120分程度に収めて欲しかったと思わずに居られません。
アイアンマン1作目のウォーマシンの匂わせは良いバランスでしたね。
●ポストクレジットが無い
ポストクレジットがありませんでした。
ミッドクレジットだけでした。
ガッカリですよ。
この映画は世界全体の話から始まったのに、ラストバトルはワカンダとタロカンだけの話になったじゃないですか。だから私は待っていたんです。ポストクレジットで世界がどんな動きをしているのかサラッと語られるのを。
そしたら、何も無かった!
いくらなんでも放置しすぎですよ。エヴェレットCIA捜査官にあんなに時間を使ったのに。そういえば、米国はどうなったの?ってなりませんかね。
非協力的なワカンダに対して、アメリカなどの政府が秘密裏に何か動き始める!という匂わせくらいはあるべきだったと思います。それこそファルコンまたはバッキーが招集されるとか。
詰まるところ、今後の方針が決まってなかったのかなァ。
ポストクレジットが無いMCU作品といえば、やはりエンドゲームですよね。あれはトニー・スタークの死を悼む雰囲気を維持したまま映画を終わる、優れた演出だったと思います。
ワカンダ・フォーエバーではその二匹目のドジョウを狙ったのでしょうか。
●これって感動***じゃね?
あまり言いたくないのですが、、、
これって感動ポルノじゃないでしょうか?
たしかに逝去したチャドウィック・ボーズマンを悼むプロセスは必要でした。
だからこそのアバンタイトルで治療に専念するシュリとか、マーベルロゴでのチャドウィック大集合とパープル仕様には意味がありました。私もそこまでは素直に感動できました。キャプテンマーベルでスタン・リー大集合になったのと同じですよね。あちらも良かったです。
作品外ですが、各種のインタビューや、イベントに登壇してステージ上で抱き合うキャストを見せるのも、マーベルファンにとって必要なプロセスだったと思います。
しかし、ミッドクレジットで長々と流れたアーカイブ映像は少しトゥーマッチだと感じてしまいました。あれはシュリが見た記憶じゃなくて、マーベルファンが見てきた記憶でしょ。チャドウィックはせいぜい1カットくらいにして、あとはレティーシャ・ライトの演技を信じて彼女に全て託してあげてほしかったです。
やっぱりね、実際に亡くなった俳優を、映画内の登場人物と混同して扱うような演出は、やりすぎると気持ち悪いですよ。日本のテレビ局の某24時間テレビのような押し付けがましい感動ポルノを、私は少し感じ取ってしまいました。
レティーシャ・ライトが服を燃やすだけで意味を理解できる人達だけに向けた演出で良かったのに、あそこでチャドウィックを見せないと意味を理解できない低レベルに合わせた感じが残念でした。(まあ子供も見る映画だから仕方ないか、とは思います)
▼では、どうすれば良かったのか?
かなり色々と語ってきました。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
文句だけ言っても仕方ないので、最後に建設的な意見も書いておきたいと思います。
すでに上記の批判の中で都度書いてきたことなのですが、、、
フランスやアメリカのもう少しリアルで大人な振る舞い
ワカンダとタロカンの外側の世界を俯瞰的に語る
アイアンハートをもう少し掘り下げる(もしくは限界まで減らす)
予告編で見どころシーンを全部見せない
王位継承に対する一貫性のある態度や発言
、、、このあたりが出来ていれば良かったと思います。
苦言こそ呈しましたが、チャドウィックを悼むシーンはあのくらいあっても良いかなとは思います。映画全体でガキっぽさをもう少し上手く隠せていれば、そんなに気にならなかったと思います。
いつもの「子供でも楽しめるMCU」として観れば、決して粗悪な映画ではないですし、普通に面白いと思います。
チャドウィックを愛し、彼の死を悼む儀式に参加して、心の整理をしたい人達にとっても、大切な映画になるでしょう。
ただ、あまねく洋画を嗜む視点からでは、世間で絶賛されているような「シリアスで重みのある作品」と呼ぶには、いささか脇が甘すぎて、にもかかわらずやたら自己主張だけは強くて、鼻白む映画だと私は思いました。
何より、現実の世界で西側諸国が結託してウク●イナを利用してロシ●と戦争を繰り広げて、おかげで経済的な打撃を喰らい身近でも台湾有事が迫る状況下で今作を視聴する一人の日本国民としては、戦争ドラマとしてあまりにもチープです。
もしかして、ガチでリアルに「ワカンダの資源を狙う西側諸国」を描いてしまうと、現在のウクラ●ナ紛争に似過ぎてしまい、アメリカ政治の批判に繋がってしまうので出来なかった、という事情があるかもしれません。(正直この可能性が一番高いかと…)
すでに説明した通りですが、長いスパンで見ればBLM擁護や伝統の軽視/破壊につながるような教育的にあまり宜しいとは言えない思想や危険性を孕んでいるのも気になります。
そういう際どい要素さえも昇華した高度な作品が観たいなァと感じる私には、ブラックパンサー:ワカンダ・フォーエバーは完成度が低くて残念さが残る映画でした。とお伝えして締めたいと思います。
何か意見があれば遠慮なくコメントください。なお仮に反対意見を頂戴しても、それら全てに再反論する気も、説き伏せる気もありません。逆にそれらを聞いて私が意見を変える保証もできませんが、何かしらの気づきのチャンスにはなるかもしれません。よろしくお願いします。
了。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!