【徹底解説】ラストシーンの意味を紐解く(コンペティション〜2001年宇宙の旅の文脈で〜)
なかなか面白かったです!
最近は映画をモチーフにした映画が多いですね。
・バビロン(2月10日)
・エンパイア・オブ・ライト(2月23日)
・フェイブルマンズ(3月3日)
・コンペティション(3月17日)
本作『コンペティション』がスペインで公開されたのは2021年だったので少し古い作品ではあるのですが、日本ではちょうどタイミングが重なりました。私は4作とも劇場で観覧しましたが、どれも力作でした。
本作の魅力として、実力ある俳優3人による演技合戦が見どころです。
▼あらすじ(ネタバレ注意):
結末まで全部書いてますので気になる人は次章までスキップを推奨します。本作はどちらに転ぶのか分からない奇抜な展開が見所でもあるので、ネタバレは比較的面白さを軽減してしまうタイプの映画だと私は思います。
ペネロペ・クルス=ローラ
アントニオ・バンデラス=フェリックス
オスカル・マルティネス=イバン
▼感想:
●ヨーロッパらしい陰湿さ
いくら高尚に見える映画でも、舞台裏では異常で非常識で奇特で下劣で極悪であることを、これでもかと見せつけてきます。要するに映画業界(俳優や映画賞や映画ビジネスそのもの)を腐すことだけに、ヨーロッパ映画界の最高クラスの才能を惜しげなくぶち込んだブラックコメディです。
最初に挙げた4作品(バビロン;エンパイア;フェイブル;コンペ)では唯一の非アメリカ映画ですが、やはり一線を画する内容でしたね。この辺りは『逆転のトライアングル』でも感じましたが、アメリカと違ってヨーロッパは良い意味で性格が悪いです。(笑)
●執拗に一点透視図法にこだわる異質さ
予告編でも一点透視図法を用いたシーンが選出されていますが、本編のほとんどのカットが同様の構図、または中心線を意識させるものでした。
ここまでくると、構図に執拗にこだわる姿勢をギャグというか皮肉として盛り込んでいるからでしょう。つまり数多の監督がキューブリックへのリスペクト等でやりたがる構図だよね、と世間の作品を腐している演出です。
キューブリックが神の視点(客観視)にこだわり人間を突き放す表現(感情移入をさせない表現)に徹したのに対して、こちらは徹底的に世俗的な人間の行いに不必要に寄り添って、全てをグロテスクなまでに主観的にカメラに収めようとします。
●こちらを見つめる俳優の不気味さ
これもやりすぎなくらいやっているのですが、俳優がカメラの正面に位置して、真っ直ぐにこちらを見つめるショットが多いです。それが俳優の演技を味わう効果を出しているし、観客にも緊張感と不快感を与える効果も出しています。
特にペネロペ・クルスの顔が超クローズアップになるシーンでは、それまでキャラ付けのためだけに奇抜な髪型だと思っていたのが、背景を丸々隠して、ここは何処で、誰に向かって、どんな状況(文脈)で話しているのか、全く分からなくする装置として使われていて、上手いなあと感心しました。
●ネタバレ:ラストシーンの解釈
さて、いよいよ本題です。
この映画で唯一謎が残るのはラストシーンです。
ラストシーンでは、それまでの映画が具象的に表現してきたのに対して、いきなり一気に抽象度を増します。あまりにも明るい照明と、あまりにも近い距離。まるで『2001年宇宙の旅』とか、あの頃の映画にあったような現実離れした空間。
もしかしたらローラが第四の壁を越えて観客に直接語りかけてきたようにも見えますし、多分それが一番素直な解釈の一つだと思います。
「映画は必ず終わると思った?でも違う映画もあるのよ」
映画に対する哲学的な思索のようにも解釈できそうです。
しかし、私はこの解釈に疑問を持ちます。
ラストシーンではローラの美しい顔が画面を支配し、観客は彼女の目線とセリフに釘付けになるのですが、それ以上に音響が重要になります。BGMもなくローラが黙ってこちらを見つめている瞬間は基本的に無音なのですが、耳を澄ますと、此処にはもう一人、おそらく女性と思われる人物が少し興奮したような吐息がずっと聴こえ続けるのです。これは普通に考えると劇中でオーディションに参加して監督に食われたあの若い娘でしょう。
つまりラストカットは娘の視点の映像で、ローラが愛撫しながら娘に囁いた言葉だと考えるのが妥当です。
「映画は必ず終わると思った?でも違う映画もあるのよ」
つまり「撮影が終わっても私達の恋人関係は続くわよ」とイチャイチャしているだけですね。照明がやたら明るいのは部屋がラブホテルのような特殊な施設だからか、もしくは娘が悦楽に浸って恍惚としていることの映像表現でしょう。
思い出してください。映画の中盤で、TikTok撮影のように踊り続ける娘と、それをベッドに座って見つめるローラの、それぞれの視点映像をただ垂れ流すだけの2分間(1分間程度かも)がありましたよね。あれをラストカットでもう一度やっているだけです。
つまり何の意味もない「ただ女同士でセックスしてるだけのPOV映像」を流して、あたかも真面目に映画論を語っているように見せかけて、説明しないでスパッと終わるという、これもまた「映画は高尚なものである」という映画ファンの固定概念をぶった斬りにきているのです。
以上が、私のラストシーンの解釈です。
いやあ、皮肉だし、嘲笑させてくれるじゃないですか!(笑)
了。
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