フェミニズムの文脈で観るオッペンハイマー
どうしても原爆の問題で注目されがちですが、フェミニズム映画としても語れる要素がある映画だと思います。
あくまで史実ベースの映画なので、大きなネタバレにはならないと思いますが、一部劇中のセリフを脚本から引用しますので、ご留意ください。
▼オッペンハイマーの女性関係:
まず、映画でオッペンハイマーと性的関係を持つ女性は3人とも強いです。
カリフォルニアの共産党員のパーティで強気に議論をふっかけてきて、セックスでは常に騎乗位だけ描かれるジーン・タトロック。彼女はツンデレだったり、精神的に病んで自殺(他殺の疑いもあり)してしまうなど、脆さも持ち合わせていましたが。
そして夫の浮気を知っても支え続けた妻、キティ・オッペンハイマー。彼女はストローズと戦うことを強く主張し、また10年経ってもその時に夫を苦境に追い込んだ人達を許さない(*脚注1)鋼の精神を持つ女性として描かれます。
そして不倫関係にあったルース・トールマン。彼女は夫が他界するまで隠し通すほど神経が図太い女でした。周囲の人達は、夫は不倫を知ったショックで死んだと噂話をしていた(*脚注2)ようですが。
1940年代という、基本的に女性が社会で活躍できなかった時代に、裏で男を支配していたのは女だった、という描かれ方だと私は思います。
▼女は女の武器を使う:
自分から別の女に鞍替えしたとでも言いたげなオッペンハイマーに対して、ジーンが返した言葉が秀逸でした。
彼女(キティ)が欲しかったものとは?
もちろん子供でしょう。
妊娠すれば、責任を取らせる形で結婚に持ち込めますから、彼女(キティ)はオッピーのつれない恋人(ジーン)を出し抜いて第一夫人の座をゲットできます。世紀の天才科学者であり、将来の富と栄誉を約束された男を自分のものにできるのです。1940年代だからこその女の戦略ですね。
妊娠を自分の手柄のように言ったオッピーに対して、あんたは女の手のひらで転がされてるだけよ、とでも言わんばかりに強烈です。
▼ロスアラモスの女たち:
さらに興味深いのが、ロスアラモスで働いていた女たちです。
ジーン・タトロックが19世紀以前からの女らしさを武器として戦う一方で、ロスアラモスの女たちは20世紀以降のジェンダーの制約を受けない戦法を取ろうとします。
厳しい情報統制を敷こうとしていた軍部(グローヴス少将)の思惑を無視するというか、逆手に取るというか、オッペンハイマーはロスアラモスに招聘した科学者の妻たちを積極的に事務員として雇います。
出会った頃のキティが「大学で生物学を学んだのに何故か専業主婦に落ち着いた」と語るセリフもありましたが、ロスアラモスでリリー・ホーニグが「ハーバード大学を卒業したんだからタイピングくらいできるわい」と仕事を直談判するシーンも同じくらい印象的でした。
上記のいかにもアメリカンジョーク的なユーモアは日本語ではあまり馴染みが無いですが、ウィットが効いた返しで面白いですね。そして、そんなホーニグを見て、にこりと笑って即採用を決めるオッペンハイマーも粋です。
このシーンは彼女の優秀さを示すだけでなく、軍部(政府)が融通の効かない杓子定規で書面上の資格だけを頼りにしていたのに対して、科学者は実態と向き合っていたことを描いています。
これはそのまま科学者たちが、軍部が定めた区分化(情報統制)のルールを事実上守らず、効率を最優先して研究開発を進めていた姿勢とも繋がります。
無意味なルールには従わない。
優秀ならば女性でもどんどん採用する。
そしてホーニグはこの後でさらに興味深いセリフがあります。
▼女だからって決めつけるなよ:
映画ではほんの一瞬ですし、複数人が大声で議論してる場面なので日本語字幕の文字数も少なく、ほとんどの日本人が気づいてないと思うのですが、男女差別をかなり直接的に言及したセリフがあります。
ロスアラモスの研究で問題が噴出して全員が焦っていた時期に、ベーテと喧嘩したテラーが飛び出してしまう直前なのですが、男性科学者のサーバーと女性事務員のホーニグが口論しています。
映画館で観た公式日本語字幕では「男の方が浴びてる」とだけ書かれていて、注意して読んでないと(聴いてないと)単純に男女で仕事が不平等であると言ってるだけのようにも見えるのですが、ここでは「男は生殖器が露出してる」とハッキリ言ってます。
この露出(expose)という単語が《露出してる》と《放射線に当たる》のダブルミーニングになっているのが、このセリフの面白みです。言い返されたセーバーは何も反論できませんでした。画像も貼ったので表情を合わせて見てほしいのですが、ここはホーニグが明らかに喧嘩腰で返答してる場面なので「外に付いてる男が言うかよ」みたいな荒れた字幕にしてほしかったです。
もし戸田奈津子先生だったら…
男「放射線は子宮をダメにするかも」
女「あんたのタマは平気だと?」
くらい、ズバッと翻訳してくれたかもしれませんね。(笑)
あと考えられるのは、ホーニグは「女だから子供を産みたいだろう」と言われてる気がして怒ってるのもあるかもしれませんね。
すでに書いたように、キティもホーニグも、ちゃんと大学で勉強したのに、女性というだけで家庭に閉じ込められていることに不満を抱く、という一面が描かれ続けているように見えます。
そして、さらにホーニグの象徴的なセリフがあります。
▼男は戦争をして、女は止めようとする:
1945年4月12日に当時4期目(なんと13年目!)に突入していた偉大な米国の指導者たるルーズベルト大統領が脳卒中で急死しました。戦時中の心の支えだったリーダーを失って悲嘆に暮れるアメリカ国民。
その直後の4月30日にヒトラーがあっけなく自殺して、5月7日にドイツが降伏します。以下は、この4月30日から5月7日の間の出来事です。
集会を開いて、集まった科学者たちにスピーチするのはリリー・ホーニグでした。本来のマンハッタン計画に召集された男性科学者ではなくて、その妻として同行した女性が実力だけでチームに加わり、時には男達と喧嘩腰で議論もして、そして今や研究のそもそもの存在意義を問うレベルの大きな問題提起をしているのです。
実はこの部分は映画では少しセリフが追加されているので、最終的な映画版のセリフも載せておきます。
映画ではドイツの状況を観客にもう少し詳しく伝えるように冒頭に人物が1名追加されていますね。(ブルーレイの英語字幕ではHORNIGと書いてあったのでリリー・ホーニグの夫ということになりますが、もしかしたらブルーレイのチームも最終脚本を参考にHORNIGと書いただけで別の男性かもしれません。)
ただ、大きな流れは同じで、リリー・ホーニグが問題提起をします。敵国(日本)の敗北が確実視される状況で、それでも原爆開発の価値はあるのか?それは正しい行為なのか?
そして映画版ではリリーが、アメリカの科学者たちに《一度立ち止まる必要性》を説いています。これも他国への攻撃に邁進してしまいやすい男性らしさ(マッチョイズム)へのカウンターパートたる女性らしい発想(フェミニズム)だと言えます。
与謝野晶子の有名な詩にもありますが、いつも戦争に出て命を粗末にするのは男で、それを嘆くのは女です。男は馬鹿で、女は賢い。…とまで言い切ってしまうと語弊がありますが、でもまあ少なくとも20世紀前半までの戦争についてはそういう解釈もできるでしょう。
そして映画版で最大の追加要素として、オッペンハイマーがリリーに反論しています。
女性に対して「君が兵士だったらそうは思わんよ」と言うのは、捉えようによってはすごく性差別的な発言です。当時のアメリカでは女性は徴兵されませんからね。いくら愛国心が強くても女性は前線に行けませんでした。
しかもロスアラモスに政府から正式に召集された科学者達は軍の司令系統に従って研究を進めるために、書面上で入隊の手続きをして実際に軍人になっていました。つまりリリーをはじめとした女性職員と男性科学者の間には、書面上で明確な身分の違いがあったのです。
この発言にドン引きする科学者たちのカットが一瞬だけ挟まります。
なお、ここでオッペンハイマーがどこまで性差別に自覚的だったのかは不明です。むしろ映画全体での彼の描かれ方に鑑みると、彼がそういう嫌味を言うキャラクターだとは思えません。おそらくここで彼の発言のポイントは男性か女性かではなくて、軍人と科学者の違い(現場にいるのか研究室にいるのか)ということだろうと思われます。
しかし結果としては、正規採用でも軍人でもない女性に向かって、君には解らない(女には解らない)と切り捨てた形になっているのは、フェミニズムの視点からは注目されるポイントでしょう。少なくとも脚本にはなかったジェンダーの対立構造を、映画では読み取れるように最終脚本から撮影現場までの間にアレンジされたのは間違いありません。
こうして威圧されたホーニグ。おそらく彼女は集会を開いた時点でオッピーを問い詰めるくらいの意気込みだったと思いますが、その質問は別の男性(モリソン)が発言します。
脚本だけ読んでると、女性(リリー)が話していたのを後から男性(モリソン)が奪った形になるので、ここは《女性はあまり相手を強く責めない》とも、もしくは《一番おいしいところはいつも男性に奪われる》ともどちらとも解釈できる場面でした。
しかし映画版ではリリーが女性だからと弱みを突かれて黙ってしまい、モリソンが援護射撃をする形になったので、男性VS女性という構造がずいぶん判りやすくなりましたね。
▼女は忍耐強く戦う:
180分ある映画オッペンハイマーでトリニティ実験は1時間58分で成功します。これは言い換えると、そこから映画は62分続くという意味です。
爆弾を作って落としたら終了じゃないのです。
人は自身の行動のコンセクエンス(決着)と、その後の人生で向き合い続けなければなりません。
この長尺な映画で、観客の体力と集中力も切れ始める後半に、キティの忍耐強さは特筆に値するでしょう。
ストローズを執念深く忍耐強いと評価している彼女こそが、実は一番執念深く忍耐強いというのは、人間は自分の思考方法でしか他人の言動や思考を解釈できないという真実を描いていて面白いです。
同時に、それは人類に文明が生まれてから二千年近く男性に有利な社会で耐え忍んできた女性のメッセージなのかもしれません。
▼アカデミー賞席巻の裏にさりげないフェミニズムあり:
近年のアカデミー賞はポリコレを意識しすぎだなんてよく言われます。
しかし2023年度に関しては、登場人物が99%白人のオッペンハイマーが最多13部門ノミネートして作品賞を含む最多7部門受賞しました。
覚えてますかー。今年から作品賞には多様性基準が設置されてポリコレに配慮しないと作品賞は獲れなくなったんですよー。私は昔から、あれはむしろ白人だけの映画を守るための措置だと言ってきましたけどね。
A〜Dのうち2項目で満たしてればOKとは、逆に言えば2項目は満たしてなくてもOKということなのでね。
ルールブックの読み方くらい、みんな勉強しようね。
これは、もし【白人男性のみ”出演”する映画】が作品賞を受賞しても、ポリコレを理由に非難されないように作ったルールですよ。なぜならキャストが白人だけだったら条件Aを満たしませんが、代わりに条件BCDから2つを満たせばOKなのですから。
A 作品のキャスティングやテーマ
B 主要スタッフ
C 有給インターン
D マーケティング/宣伝
一時期にアカデミー賞の受賞者がたまたま白人が多くなって、人種差別だのホワイトウォッシュだのとゴネる人権団体(迷惑クソリプ)が現れたからわざわざ作ったのです。この基準なら、アメリカで映画を普通に作れば(採用活動をしてれば)余裕でクリアできる基準です。
逆に言えば、このルールのせいで白人が殆ど参加しない日本映画は作品賞にノミネートすることさえ事実上は道がほぼ閉ざされたとも言えます。
まあ、そもそもアメリカの映画賞なので日本映画が獲りに行くモチベーションもあまりないのですが。(笑)逆に2023年度は作品賞以上に聖域かもしれないと目されていた視覚効果賞で山崎貴の『ゴジラ-1.0』が受賞したので、本当に要らぬ心配だったと言えそうですね。
さて、とはいえ、ここまで語ってきたように、オッペンハイマーは実はすごくポリコレに配慮した映画でした。ここで言うポリコレとは、フェミニズムのことです。
日本だと原爆のことばかり注目されがちですが、この映画はすごくフェミニズムを描いた映画でもありました。
ここで私が思い出したのは2015年度で同じくアカデミー賞最多ノミネート・受賞だった『マッドマックス怒りのデスロード』です。
作品賞はボストンのカトリック教会の腐敗を描いたノンフィクション『スポットライト世紀のスクープ』が、監督賞は2年連続となるイニャリトゥ監督の『レヴェナント蘇りし者』が受賞して、マッドマックスは惜しくもV8は逃しましたが、こんな脳筋バカの権化のようなアクション映画が6冠を達成したのは、私も驚きました。
映画をご覧になった方なら判ると思いますが、本作の事実上の主人公はシャーリーズ・セロンが演じる司令官フュリオサであり、物語の根幹は囚われた妻達が自由を獲得するために奔走する(爆走する)映画でした。過去三部作で主人公だったタイトルロール(マックス)は殆ど狂言回しに近い脇役です。
そしてアカデミー賞獲得6部門のうち、衣装デザイン(ジェニー・ビーヴァン)、美術賞(リサ・トンプソン)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞(レスリー・ヴァンダーウォルト、エルカ・ウォーデガ)、編集賞(マーガレット・シクセル)と4部門で女性が受賞しています。特に編集賞のシクセルはジョージ・ミラー監督の妻でもあります。衣装デザイン賞のビーヴァンはドレスではなく、背中に髑髏マークを刺繍した革ジャケットを着てステージに上がり話題にもなりました。これはかなり象徴的だと言えます。
オッペンハイマーとマッドマックス怒りのデスロードはどちらも、表向きはマッチョなエンタメ性を持つ作品のような顔をしながら、実際には多大な部分を女性が支えている映画だと言えます。
それは、これ見よがしではないという点で上品です。
一方で、おそらく意図的だと思いますが、あえて過剰にフェミニズムを強調したバービーは主演女優賞と監督賞のノミネートさえ逃し、作品賞ノミネートに留まりました。実際の内容はむしろ安直なフェミニズムを痛烈に批判する社会的に高度なものだったのですが、あくまで外見はガールズパワー全開だった本作は、米国アカデミー賞に限れば大苦戦したわけです。(興行収入では大差で世界累計1位になりましたが)
数年に一度現れるようなアカデミー賞を席巻するような偉大なエンタメ作品では、裏方からさりげなくフェミニズムで支えられていることが重要なファクターになる、つまりはバランスの時代に突入しているのかもしれませんね。
(了)
▼脚注:
1:キティの鋼の精神について。
2:トールマン夫人の浮気について。
FBIの資料に目を通せたストローズが、ローレンスに不倫をバラしたんでしょうね。つくづく最低の男です。