Think globally, act locally: 「会いに行ける科学者フェス」での発表のすすめ
以下、日本科学振興協会 年次大会2023の特設ホームページからの転載です。
研究者の皆さまへ、
「会いに行ける科学者フェス」のプログラム委員会・委員長の宮川と申します。
ポスター、展示、企画などのご登録締め切りが8月17日(木)まで延長となりました(その後も紙媒体プログラムへの掲載がないLate breakingの登録受付けも検討中です)。延長にあたり、研究者、特に若手・中堅の皆さまに、本イベントでの発表を勧めさせていただきます。
ご発表のお声がけをあちこちでしていますと、
「私、ただでさえ忙しく研究する時間も十分にとれていないのに、科学コミュニケーションする暇とかないですよ。」
とか、
「研究者にとってこのようなイベントで科学コミュニケーションを行うことのインセンティブってなんですか?必要なのでしょうか?しかも、発表料まで支払って?」
といった声をいただくことがあります。
研究費の申請、審査、報告、所属機関や学会での業務、家庭での家事や育児に追われる中で、本当にこのイベントに参加するメリットはあるのか?また、そもそもこのイベントを行う意義は?締め切り前というタイミングで、これらの疑問にお答えするべく、私見を述べさせていただきます。
1.普段とは異なる知的刺激:
異なる分野の研究者の話を直接聞くことで新たな視点や知識、知的刺激を得られる。各種学会の他、学術変革、創発、CREST、さきがけ、ムーンショットなどの研究者にお声がけしており、面白くレベルの高い発表が目白押し。講演者やパネリストなども豪華(プログラムの一部は、こちらを参照)。
2.研究の新たな発展:
他分野とのコラボレーションにより、新しい研究の可能性が広がる。こういった活動は研究費の申請などに有利に働くことも。
3.思わぬフィードバック:
異なる背景を持つ人々からの意見・感想や要望は、研究の新たな方向性を見出す手助けとなることがある。
4.楽しめるコンテンツ:
家族連れでも楽しめる内容が充実。研究者の皆さまのお子様も大歓迎。
5.説明責任の遂行:
公的研究費を活用する研究者として、納税者に研究の意義を伝えることは大切な責任。
最後に、私自身が科学コミュニケーションの際に個人的に感じる大きなメリットについても(少し長くなって恐縮ですが)触れさせていただきます。
6.自身の研究の再確認:
何かを解明することを目指して研究を行っていると、いつの間にか、取り組んでいるものが、どうでも良い小さなこと、些細なことのよう感じられてしまうことはないでしょうか?
私の場合、遺伝子と心・行動の関係を明らかにしたいという目的で、遺伝子を改変したマウスの行動をテストするというアプローチで、学生のときに研究を始めました。他の研究者の論文を参考に、マウスの心理学的なテストの装置とか、その制御・解析プログラムとかを作ったり改良したりするわけですが、技術的にうまくいかないことが出てきます。思ったように装置やプログラムが動かず、東急ハンズとか秋葉原のパーツ屋さんと大学を何回も往復。実験を開始することすらできず、暗い木工室にずっと籠もってアクリル板を切ったり削ったりして装置を試作していると、遺伝子と心の関係を調べるのに、なんでこんなことをやっているのだろう、という気分になってきます。フロンティアを開拓したい気持ちが先走る一方で、先端とは程遠い様々なことを地道に気長に行ってクリアしていかないといけない。この種の作業が研究生活のほとんどを占め、深い蛸壺に籠もって出ることのできない時間が続くと、世界の辺境の片隅で、細かいこと、取るに足らないことをしている自分の存在が小さく感じられてくる。さらには、こんなことをやっていて問題を本当に解明できるのか、という無力感も出てきて、モチベーションも無意識的にしぼんでいく…。
そんな時、共同研究先の一般公開イベントで共同研究者の発表を手伝い、自分のマウスを用いた脳と心の研究を紹介する機会を得ました。歩くのもままならないような高齢のご婦人にお立ち寄りいただき、私の説明を聞いていただきました。そのご婦人は私の話に、うんうんと頷きつつ、「へぇ…」とか「ほぉ…」などと合いの手を入れつつ
「うゎぁ、マウスでそんなことがわかるんだ。たいへんな時代になったもんだねぇ。すごいねぇ。お兄さん、がんばってね。」
と。
そんな具合におっしゃっていただいたことで、当時の私は画期的に勇気づけられ、モチベが爆上がりしたのでした。
眼の前のそういう方、おそらく科学に詳しいということはないだろう方に、自分の研究の本来の面白さ、意義をなんとかご理解いただくためには、少なくとも
・大きな文脈の中に自分の小さな研究を位置づける、
・その関係をシンプルな論理とわかりやすい言葉で言語化する、
という作業を行う必要があります。
大きな問題を解くためになぜ今それをやらなければいけないのか、この研究を進めるとどんな面白いことが判明しどんな重要なことが実現しうるのか、その問題を追究すると本当に課題が解決するのか、などを再検討し簡潔に表現しなおす必要があるわけです。
このような経験を振り返って気づくのは、この種の作業を通じて、小さくて些末に感じてしまいがちな自分の研究を、未だ誰も解決できていない問題/課題に対する人類の挑戦という大きな文脈の中に、ロジカルに配置することになり、それによって自分の活動の合理性・必然性を再確認することができるということです。
そのとき私はまだ学生でしたので、そのようなことを明示的に意識することはありませんでしたが、これが自分にとって貴重で大きな体験であること、「モチベ爆上がり」に繋がったことはわかりました。30年近くも前のことをありありと覚えているわけですので、よほど、プライスレスな体験だったのだと思います。
これと関連して、大学院に進学する前なのですが、アメリカで新しくPIになった学科の先輩の家にしばらくホームステイさせていただいたことがあり、そのときに、お聞きして印象に残っている(というか以降の私の研究活動の一つの指針ともなっている)言葉を紹介いたします。
「最初から論文をたくさん読んで、まだされていないことを探すようなアプローチはあまり良くない。ボストンあたりで気の利いた連中は、まず“What is time? (時間とは何か?)”とか、”What is space?(空間とは何か?)”くらいから始めるんだよ。シンプルなビッグ・クエスチョン。そこから始めて、何をすべきかを考え、それについて今、どこまで答えが得られているのか、どういうツールが使えるのか、などを知るために論文を読む。そういう順がいいよね。」
研究者にとってのビッグ・クエスチョンは、それぞれでしょう。例えば、「意識とは何か?」や「老化とは何か」、「一億年前の地球はどんなだったのか?」、「気候変動を制御するには?」といったこと。しかし、おそらく、どのような分野でも著名な研究者の多くは、そのようなクエスチョンに戻ってみるという作業をしばしば日常的に行っていているのではないでしょうか。専門的な論文を執筆したりグラントの申請書を準備する際にも、そのような思考の過程をうまく活用し、効果的に記述している。専門家が専門的知見/研究計画を評価する場合にも、大きな文脈の中での意義・価値が明確に説明されるているかどうかは評価の重要な視点の一つです。こういったことに加え、私の事例のように、普段の研究を大きな視点で俯瞰してみることは、自分の研究や自分自身に自信と誇りを持つためにも有益でしょう。日常進める研究が一見小さく些細に見えてしまっても、それを大きな文脈の中で再評価することによって、モチベーションを新たにし、エネルギーを再充填することができる。一流の研究者が、たいがい自信を持っているように見えるのは、そのような要因もあるのかもしれません。
科学コミュニケーションを行うこと、科学に詳しくない一般の人々にface-to-faceでお会いして研究を説明することは、なかば強制的にそのような思考のスイッチを入れることに繋がる。そういった意味やメリットもあるのではないか、ということになります。
以上、個人的な感想を交えた「会いに行ける科学者フェス」でのご発表のすすめでしたが、一つ注意が必要です。小さな研究から大きな結論を導くと、論理が飛躍しすぎたり、過度の期待を生むリスクがあります。実際のデータからはそのような大胆な結論は導けない、といったことはよくあることで、このような場では気をつけなければいけません。そのあたりについても、またの機会に私見をご紹介させていただければと思います。
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